第4回 足利事件④:封印された殺害現場
メディア批評&事件検証足利事件は、1990年5月12日の発生から1年半後に元幼稚園バス運転手の菅家利和さん(当時45)が松田真実ちゃん(4)殺害の自供をして逮捕されることになる。だが、事件発生直後から栃木県警本部が内部で箝口(かんこう)令を敷いてまで伏せていた「殺害現場」が不思議なことにいつの間にか消えてしまったのだ。
真実ちゃんの遺体を解剖した栃木県壬生町の獨協大学法医学教室の上山滋太郎教授(当時)の鑑定書には、記載漏れがあったのだ。外表検査をした時に顔面、特に鼻や口のまわりに砂がこびりついていたという。しかも身体にはなかったという。上山教授は解剖後しばらくして思い出し、県警捜査員らに説明したらしい。
この事件は、90年5月12日夕に父親と訪れた真実ちゃんがパチンコ店「ロッキー」から行方不明になり、父親の通報で栃木県警が捜索した結果、翌日の午前10時20分ごろにロッキーから南約300㍍離れた中州の葦の茂みの中から真実ちゃんの遺体が見つかったものである。これが足利事件捜査の始まりだった。
捜査報告書には「遺体発見時に、真実ちゃんの顔の前面に砂がついていた。裸であったにもかかわらず、身体には背中の一部を除いて砂がついていない」と書かれていた。
そして、同報告書には「遺棄現場は葦と雑草が密生し、とても顔面全体に砂が付着する状態になかった」との記述もあった。現場で遺体を確認したベテラン捜査員は、一目で絞殺と分かったらしい。首の両側頸部に顕著な皮下出血が見られ、口や鼻の周辺に薄い皮下出血痕、軽く開いた上唇に擦過痕があった。
その見立ては、真実ちゃんを司法解剖した上山教授の見解と同じで、犯人は真実ちゃんの口を強く手で押さえ、もう片方の手で首を絞めて殺害したとみられるという。
これは、初動捜査上、殺害場所や犯人を断定する重要な手がかりの一つだ。実は、真実ちゃんがパチンコ店から姿が消えて父親の警察への通報で、当時警察犬1頭が投入された(後2頭追加)。警察嘱託犬のシェパード「チル」だ。このチルが活躍する。後に重要な手がかりになるはずだった。
チルは、翌5月13日午前0時40分頃には真実ちゃんが行方不明になったロッキー前に到着した。その後真実ちゃんの靴が自宅から届けられ、それを原臭としてロッキーの出入り口から追跡が始まったのである。この深夜からのチルの鼻を使った追跡によって真実ちゃんの遺体の近くまで追跡でき、この日午前中に遺体発見にこぎつけた。
チルは、真実ちゃんの匂いを頼りにロッキーから確実に道を東南へと進んだ。約130㍍行った四つ角に出ると、今度は渡良瀬川堤防より広い空き地に入る。膝あたりまで雑草が生い茂った中を150㍍ほど行くとチルは角にあった砂山でいったん止まったという。
チルの訓練士が懐中電灯を照らすと、子どもが遊んだ形跡があった。さらにチルは、その空き地の砂山から道路を防波堤側へと渡った。田中橋方向に歩道を戻ると、階段を上りサイクリング道路を越えて階段を下り、渡良瀬運動公園内へと出た。
チルは、サッカー場前の外周道路を右へ曲がり児童遊戯場へと向かった。そして直径約10㍍の砂場に来ると、うろうろと落ち着かなくなって足を止めた。訓練士がチルにもう一度その周辺を嗅がせてみると、鼻を上げて、それ以上追いかけなかった。
ここから真実ちゃんの匂いが消えていると言っていい。なぜ、ここで真実ちゃんの匂いが消えたのか。誰もが疑問に感じることだろう。おそらくここが真実ちゃんの殺害現場だったのだろう。そして遺体は犯人に抱えられ遺体発見現場まで運ばれた。だから顔に砂がついていたのだ。
チルの訓練士はもう一度、今度は「ロッキー」の景品交換所から再び追跡捜査をさせた。チルはそれでも同じルートをたどった。真実ちゃんが児童遊戯場の砂場に連れられて来たのは間違いない。
もし、犯人が最初から自転車で真実ちゃんを乗せたのであれば、チルは、動くはずがない。犬の臭覚は動物の中でも鋭いといわれている。真実ちゃんの匂いがあるからこそそれを嗅いで、動き出したことが明白だ。
捜査本部は当初、顔や体の砂の付着状態や出動させた警察犬の行動から犯人は、この砂場で真実ちゃんを殺害し、ここから遺体発見現場まで抱えて運び、捨てたと踏んだはずだ。
独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。