【特集】9.11事件の再検証

9/11の公式見解とは矛盾する“最良の証拠” ―暴かれた9/11:『外部調査委員会』による調査からの抜粋―

エリザベス・ウッドワース(Elizabeth Woodworth )デイヴィッド・レイ・グリフィン(David Ray Griffin)

【9/11コンセンサス委員会の形成】

2011年、デイヴィッド・レイ・グリフィン博士とエリザベス・ウッドワースは、広範な専門性を持ち、9/11に精通した20名ほどの独立した研究者たちからなる委員会を立ち上げた。

様々な専門的背景を持つ23人が、9/11同時多発テロ事件に関する検証可能な証拠について、確実に分析を加えるため集った。この委員会には、物理学、科学、構造エンジニアリング、航空工学、操縦法、航空機墜落調査、医学、ジャーナリズム、心理学、および宗教の分野の人々を含まれている。

「コンセンサス9/11委員会」にはまた、7人の名誉メンバーがいる。イタリア最高裁の名誉裁判長フェルディナンド・インポッシマート、米国の生物学者の故リン・マーギュリス、そして英国下院議員の在職期間が最も長い故ホン・マイケル・ミーチャーらである。

【目的と目標】

委員会のメンバーは、以下に述べる目的と目標に関する文言を承認した。

「『9/11コンセンサス委員会』の目的は、9/11に関する公式見解に反する幾つかの最良の証拠について、専門家の独立した意見に基づく明確な見解を世界に提供することである」。

「委員会の目標は、一般社会やメディア、学会、あるいは他の調査団体や機関によって着手される可能性のあるあらゆる調査に対して、証拠に基づいた最良の情報源を提供することである」。

【手順】

「9/11コンセンサス委員会」は、科学と医学において使われる標準的な最良の証拠にコンセンサスモデルを適用して、9/11同時多発テロ事件の公式見解での増大する主張を検証した。

このモデルは、医学において多大な権威があり、そこから派生する医学上のコンセンサスに基づいた見解がニュースで伝えられることがよくある。

同様に、9/11の犯罪はいかなる公的機関によって適切に調査されたことが決してなかったが、以上のような医学で採用されているアプローチを、公開された調査で使用する必要がある。「コンセンサス9/11委員会」は9つの項目で、流布している公的な主張を覆す証拠を提供する。

●世界貿易センタービル(WTC)のツイン・タワー(WTC1、WTC2)の倒壊
●WTC7の破壊
●国防総省への攻撃
●9/11同時多発テロ事件に関わる航空機
●9/11同時多発テロ事件前後の米軍演習
●軍および政治指導者についての主張
●オサマ・ビン・ラディン氏とハイジャック犯
●9/11同時多発テロ事件の航空機からの電話
●インサイダー取引

【影響】

「コンセンサス9/11委員会」は、すでに世界中に影響を与えている。HPで「コンセンサス9/11委員会のポイント」というコーナーを設置し、英語、フランス語、オランダ語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語で翻訳されている。

7年にわたるこのプロジェクトは、2018年にオリーブ・ブランチ・プレスから『9/11 Unmasked: An International Review Panel Investigation』という著書にまとめられて発表された。

3,500人のメンバーからなる組織である「9/11の真相を究明する建築家、エンジニア」(Architects & Engineers for 9/11 Truth)は、この書について以下のように述べた。

「この本は将来の研究のバイブル、基礎、将来の調査のための取り入れるべき情報源となりうる。それは、2001年9月11日に何が本当に起ったのかについて、疑問に付きまとわれるどんな人々の本棚にも置かれるべきものだ。そしてそれは確かに、あのとてつもない出来事の再調査をいつか命じられるかもしれない、あらゆる政府の役人の机に置かれることは間違いないだろう」(URL:https://propgwot.org/9-11-crimes/

その「最良の証拠」は、9つのパートに分かれてある。

① ツィンタワーの倒壊

ツィンタワーの倒壊についてもっともらしい説明を作成する仕事は、国立標準技術研究所(NIST)が行った。NISTの科学的説明は、シャム・サンダー主任調査官が率いる科学者チームによって行われることになっていた。NISTは2005年に、WTC倒壊に関する最終報告を発表した(注5)。

この報告は、第三者機関によって作成されたかのように受け止められることがこれまでよくあった。しかしNISTは米商務省の機関であり、その報告を作成している間は、ブッシュ政権の機関であった。ブッシュ政権のカルロス・グティエレス商務長官の名前はNISTの最終報告の最初のページにあり、NISTの理事全員がブッシュ政権によって任命された者たちであった(注6)。

その上、WTCプロジェクトに携わっていたNISTの元職員が2007年に、「NISTは科学的な領域から政治的な領域へと完全にハイジャックされていた。その結果、NISTで働く科学者は、科学的独立性を失い、“雇われた殺し屋”同然となった」と明かした。この内部告発者は以下のように述べている。

「2001年までに、NISTの指導層にいるあらゆる人間が政治的圧力に細心の注意を払うようになっていた。9/11の状況を『調査している』NIST関係者が科学的独立性の真の精神で行動していた可能性はまったくなかった。『雇われた殺し屋たち』が考えたあらゆることは、それまでにはフロントオフィスを通じて日常的にフィルタリングされ、公表前に事実よりも政治的意味合いから書かれる内容が決定されていた」(注7)。

2016年にも、別のNIST内部告発者が出た。同年夏、欧州の物理学界の雑誌として知られる『ユーロフィジックス・ニューズ』が、「15年後:高層ビル崩壊の物理学について」というタイトルの記事を発表した。物理学者スティーヴン・ジョーンズと他の3人の研究者たちによるその記事は、こう結論した。「3つの建物は、コントロールされた破壊行為によって倒壊した」(注8)。

元NISTの数学者の、ピーター・マイケル・ケチャムによる編集者宛の手紙によると、2016年8月に彼は、世界貿易センタービルに関するNISTの報告のいくつかを読んで、その結論に異議を唱える文書を精査し始めたという。そのときの自身の見解を要約して、彼は以下のように論じた。

「私はすぐさま憤慨した。まず自分自身に憤慨した。NISTで働いていた数年間に、どうして自分自身が気付かなかったのか。そして、私はNISTに憤慨した。……自分で調査すればするほど、NISTが証拠を無視し、却下し、否定することによって、あらかじめ決められている結論に到達していたことが、一層明らかになった」(注9)。

② WTC7の崩壊

崩壊した3番目のビルのWTC7は47階建ての鉄骨の建物で、2つの基本的な点でツィンタワーと似ていた。その一つ目は、3つの建物すべてが9/11に倒壊した点。だがWTC7は、午後遅くになるまで倒壊しなかった。二つ目は、それら3つの建物が、公式見解によれば爆発物なしで倒壊した鉄骨建築としては初めてのものである点だ。

他方、それらの建物の崩壊は異なってもいた。第一に、WTC7はツィンタワーとは異なって航空機が衝突したわけではなかった。

第二に、各建物は政府と報道による取り扱いが非常に異なっていた。ツィンタワーへの飛行機の衝突、及びその後の倒壊は、テレビで繰り返し放映された。しかし9/11同時多発テロ事件以降、WTC7の崩壊はテレビでめったに報道されることはなかった。さらに、米国政府が設置した「9/11調査委員会」の最終報告が2004年に出されたものの、そこにはWTC7への言及すらなかった。

さらに第三の違いは、NISTによる扱いだ。NISTは2002年に、ツィンタワーとWTC7の両方に関する調査報告書を2004年に発表すると発表した。ところがNISTは2005年になってやっとツィンタワーに関するその報告書を公表したが、WTC7に関する報告書案および最終報告は、2008年まで公表されなかった(注10)。

WTC7には飛行機のが衝突していなかったという事実は、政府機関にはその崩壊についての一見明快らしき説明が何もないままだった

2001年11月、『ニューヨーク・タイムズ』紙のジェームズ・グランツ記者は、次のように書いた。

「構造工学のコミュニティー内では、WTC7は理解することがツィンタワーよりもはるかに重い課題であると考えている」。なぜならエンジニアたちは、「どうしてWTC 7が倒壊したのか?」という質問への回答を、まったく持たないからだ(注11)。

WTC7の崩壊に対するNISTの見解は、多くの人々によって最も根拠薄弱なものの一つであると考えられているが、そう考えている一人に元NIST元職員のピーター・ケッチャム氏がいる。

「NISTは証拠を無視して退け、否定することで、あらかじめ決められている結論に達していた」と非難したすぐ後に、彼はこう述べた。

「最もひどい見解の一つにWTC7倒壊の事例がある。起りそうもない出来事がいくつも重なって連続したことが、一棟の鉄骨造りの建物がその土台へと自由落下で加速してほぼ対称的に完全崩壊するに至らせた、という説明だ」(注12)。

③ 国防総省への攻撃

9/11同時多発テロ事件には、世界貿易センタービルに加えて国防総省への攻撃が含まれるが、国防総省の方には関心があまり向かない。世界貿易センタービルへのテロ攻撃と同様に、国防総省へのテロ攻撃に関する最初の調査はFEMA(米連邦緊急事態管理庁)によって統括された。

2003年にFEMAは、米国土木学会のボランティアが前年に執筆した「国防総省建築物性能報告書」を発表した。しかしこの予備的な報告書の発表後に、NISTや他の公的組織によって広範な報告書が出されることはなかった。そのため、2003年のFEMA報告が、国防総省へのテロ攻撃の唯一の公的記録となっている。

世界貿易センタービルの倒壊に関する証拠を丹念に調査した「9/11コンセンサス委員会」を始めとする人々の間では、ほぼ完全なコンセンサスが存在する。

国防総省への攻撃についてもそうではない。特にコンセンサスが成立しない主だった問題は、アメリカン航空77便が国防総省に衝突したか、あるいはそうではなく他の何らかの航空機なのかどうかという点に他ならない。

それにもかかわらず、「コンセンサス9/11委員会」の過半数は、この中心的問題に関して合意した。それは、「国防総省への攻撃に関する公式見解は真実ではない」というものだ。

こうした合意に至った主な理由は、国防総省が「アルカイダのハイジャック犯の1人のハニ・ハンジュール氏が操縦する飛行機による予測不能な攻撃で被害を受けた」という主張であり、3点の証拠がこの公式見解の誤りを明瞭にする。

つまり、①メディアで報じられたように、ハンジュール氏の操縦技術ではセスナ機も飛ばせない未熟さで、②これもメディアで報じられたが、ハンジュールの飛行の軌道とされるものが明らかに公式見解と異なり、③地面に触れずに国防総省の1階と2階の間に衝突させることは不可能だとする、パイロットたちの証言がある。

これらの証拠は、国防総省への攻撃に関し、公式見解のすべてに疑義を呈するのに十分である。

④ 9/11の飛行機

9/11同時多発テロ事件の公式説明の最も中心的である主張は、ツィンタワーと国防総省が、「アルカイダのメンバーによってハイジャックされた飛行機によってテロ攻撃された」というものである。さらにユナイティッド航空93便では、一部の乗客が「飛行機を乗っ取ったハイジャック犯たち」に襲いかかった後に、ペンシルヴァニア州に墜落したと言われている。

だが、9/11の飛行機が「アルカイダのテロリストたちによりハイジャックされた」という主張を否定する非常に良い論拠が、少なくとも以下のように4点ある。

●4機の「ハイジャックされた飛行機」を操縦していた8人の正副操縦士のうち、誰一人としてハイジャックされた際に緊急発信する世界共通のハイジャックコード(7500)を作動する(squawk)ために必要な行動をとらなかった。
●「ハイジャックされた飛行機」が墜落したというペンシルヴァニア州のシャンクスヴィル近郊の住民、市長、ジャーナリストたちは、墜落現場に指定された場所に1機の航空機も見えなかったこと(注13)や、さらに様々な部品(1,000ポンドの重さのエンジン部品を含む)が、現場から1マイル以上離れた地点で見つかったことを証言した。(注14)
●「ハイジャック犯たち」が9/11の飛行機に搭載されているトランスポンダーを手動で停止した、あるいはそれを変更した、という公式見解を裏付ける十分な証拠は、これまで一つも提示されていない。
●9/11の4機の旅客機のどのブラックボックスからも、情報がまったく得られなかったという主張は、立証できていない。

(編集部注=世界貿易センタービルに激突した2機の旅客機のブラックボックスは未発見で、国防総省に激突したとされる旅客機のブラックボックスは回収されたが破壊のため聴収不能と報じられた。唯一回収され、内容が公表されたのは「乗客がハイジャック犯と格闘」して墜落したとされる1機の操縦室内のやり取りだが、聴収不能の箇所も多く、実際に起きたことを正確に伝えているとは言い難い)。

⑤ 9/11前後に行われた米軍演習

2001年9月11日以前に行われた大規模軍事演習には、次のような奇妙で異例な出来事がいくつかあった。

Ⅰ.ホワイトハウスと国防総省の主要な高官たちによれば、9/11テロ攻撃の成功にとって極めて重大なことは予測不能(surprise)という要因であった、という。しかし「9/11調査委員会」の報告の主張とは反対に、(2000年以降)9/11以前の米軍演習では、米国の領空内外において、「飛行機が兵器として利用されるハイジャック」という想定が含まれていた。

Ⅱ.2001年9月11日まで、米国・カナダ両軍で構成される「北米航空宇宙防衛司令部」(NORAD)は、年間4回の大規模軍事演習を行なっていたが、それには戦争シミュレーションも含まれていた。これらの演習は慣例では10月か11月に行なわれていたが、2001年9月11日にはその1日だけで4つすべてが行なわれていた。

毎年の大規模な図上演習及び実働演習である「グランド・ガーディアン」は、慣例上は毎年10月か11月に行なわれる。2001年3月23日付の軍の新聞によれば(注15)、「グローバル・ガーディアン」統合演習は、当初、10月に予定されていたが、その後9月初めに日程が変更されたという(注16)。

⑥ 主な軍事および政治のリーダーたちに関して矛盾する主張

9/11当日において中心的な役割を果たした 8人の政治および軍事のリーダーたちの行動に関する公式発表(その日の重要な出来事の結果に影響を与える役割)は、それぞれが嘘であるか、良くても疑わしいこと示す事実によって、異議を申し立てられている。

Ⅰ.ジョージ・W.ブッシュ大統領:

9/11の朝、ブッシュ大統領はフロリダのサラソタにある小学校を訪問していた。ハイジャック犯たちが価値の高い標的を狙おうとしているときに、シークレット・サービスの責任者は、ブッシュ大統領が30分間もその学校に留まり国民に向けてテレビ演説することを許したため、それによりブッシュ大統領がまだそこにいることをテロリストたちにもわかるようにさせた。

シークレット・サービスは、大統領を守るのが任務だ。答えられていない疑問のうちの一つが「シークレット サービスがブッシュ大統領をすぐに安全な場所に移動させなかった理由」である、とロシアの英字紙『セント・ペテルスブルグ・タイムズ』紙(2014年に発行停止)が伝えた。

9/11の遺族らが事件の真相究明のために立ち上げた「9/11家族運営委員会」は「なぜブッシュ大統領は、サラソタ小学校に留まることをシークレット・サービスによって許されたのか?」と尋ねた。

「9/11調査委員会」の報告は、単に「シークレット・サービスは、大統領を安全な場所に移したかったが、大統領が教室のドアから走って出ることが緊急に必要だとは考えなかった、と語った」と述べただけであった。

この規約違反が示すのは、たとえそれが証明するわけではないとしても、シークレット・サービスは大統領が危険に晒されていないないことをわかっていた、という点だ。

Ⅱ.ディック・チェイニー副大統領:

「9/11調査委員会」によれば、ディック・チェイニー副大統領がホワイトハウス地下の「大統領危機管理センター」(PEOC)に入って、テロ事件に対する政権の対応を担当したのは「10時少し前」まではなく、国防総省への攻撃の後であった、という。

しかし、何人かの目撃者たち―ノーマン・ミネタ運輸長官、ホワイトハウスのカメラマンのデイヴィッド・ボーラー氏、そしてチェイニー副大統領自身(NBCの報道番組「ミート・ザ・プレス」での発言)が、国防総省への攻撃の前に、チェイニー副大統領はPEOCにいたと証言した。

最も重要なのがミネタ運輸長官で、彼は飛行機が国防総省に接近したときに「命令はまだ有効である」のかどうかについての、一人の若い警護官からの質問に、チェイニー副大統領が返事をしていたと報告した。「命令は有効である」というチェイニーの返事は、待機しろ、という命令を確認したものとして理解するのが最善であろう。

チェイニー副大統領に関するもう一つの論点は、彼が軍に、敵対する旅客機を撃墜する許可を与えた(ブッシュ大統領が認可したと言われる)時刻に関係している。それはユナイティッド93便に関係しており、その飛行機はペンシルヴァニアにおいて墜落したと言われている。その飛行機が米軍により撃墜されたという報告が多数あったものの、軍と「9/11調査委員会」は、チェイニー副大統領の撃墜認可はユナイティッド93便がすでに墜落された後に出された、と主張した。

Ⅲドナルド・ラムズフェルド国防長官:

ドナルド・ラムズフェルド国防長官及び「9/11調査委員会」の報告によれば、ラムズフェルド国防長官は自分のオフィスにいて、国防総省への攻撃を知るまで、それらのテロ攻撃に気付いていていなかった。さらにユナイティッド93便のハイジャックについても、それが墜落するまで知らなかった、という。

しかし、当時のテロ対策コーディネーターであるリチャード・クラーク氏の回想録で、2004年に「9/11調査委員会」の報告の公表数ヶ月前に出版された『Against All Enemies』では、ラムゼフェルド国防長官は、国防総省内にある電子盗聴を防げる会議室のエグゼクティヴ・サポートセンターに設けられたビデオセンターに、2度目の世界貿易センタービルへのテロ攻撃の少し後から、国防総省へのテロ攻撃の後までいた、と描かれている。

さらに国防長官補佐官のロバート・アンドリューズが単独で述べたことは、世界貿易センタービルへの2度目のテロ攻撃後にラムズフェルド国防長官はエグゼクティヴ・サポート・センターに行き、クラーク氏がいたビデオ会議に参加した、という。

Ⅳ統合参謀本部議長代理のリチャード・マイヤーズ将軍:

「9/11調査委員会」報告および統合参謀本部議長代理のリチャード・マイヤーズ将軍によれば、マイヤーズ将軍は、一連のテロ攻撃の間、国防総省に戻らず、連邦議会議事堂にいたという。この説明は以下にある幾つかの目撃証言とは矛盾する。

●リチャード・クラーク氏の『Against All Enemies』では、マイヤーズ将軍はラムズフェルド国防長官と共に、国防総省のビデオセンターに午前9時10分ごろ(世界貿易センタービルへの2番目の攻撃があった9時3分の少し後)に到着していたとあり、マイヤーズ将軍はその時刻に議事堂にいたはずがないと思われる。
●トーマス・ホワイト陸軍長官は、マイヤーズ将軍が午前8時から8時46分(最初の飛行機が世界貿易センタービルに衝突した時刻)まで、ラムズフェルド国防長官とともに朝食を取りながら会議をしていたことを指摘した。
●当日の朝に職務を代行していたヒュー・シェルトン将軍の2009年の著書では、マイヤーズ将軍は「国防総省が攻撃されたときに同省にいた」と書かれている。

Ⅴ.統合参謀本部議長ヒュー・シェルトン将軍:

9/11の朝、統合参謀本部議長であるシェルトン将軍は、欧州行きの軍幹部専用機に乗っていたと後に報告した。

世界貿易センタービルへの2度目の攻撃を知ったあと、彼は国防総省に戻るよう同機の乗務員に命じた。シェルトン将軍によれば、彼はほぼ即座に本国へ戻る許可を与え、昼頃までにはアンドリュー空軍基地へと戻り、その後まもなく国防総省へ到着した、というしかし、この主張は下記のいくつかの事実とは異なっている。

●軍幹部専用機の操縦士は、同機がすぐには着陸許可を受け取らなかったため、グリーンランド上空(2時間)とさらにカナダ上空で待機状態にならざるを得なかった、と述べたという。
●航路追跡記録は、その専用機がアンドリュー空軍基地に午後4時40分になるまで着陸しなかったことを示していた。
●シェルトン将軍に同行していた一人の補佐官が、彼らはアンドリュー空軍基地から国防総省まで、「午後遅く」に車で行ったと述べていた。
●マイヤーズ将軍は、シェルトン将軍は「中止された欧州への飛行から戻ったばかり」の午後5時40分に国防総省に到着していた、と述べていた。

Ⅵ.モンターニュ・ウィンフィールド准将:

9/11同時多発テロ事件から2年間、テレビで当然のこととして報道されていたのが、核戦争時に対処するための国防総省内の「国家軍事指揮センター」(NMCC)の副作戦指揮官であったモンターニュ・ウィンフィールド陸軍准将が、9/11の朝、担当任務にあったという点だ。

しかし、2003年7月に「9/11調査委員会」が聴収したところでは、午前8時30分からおおよそ午前10時までの間、ウィンフィールド准将は彼自身の要請で、ある会合に出席するためチャールズ・ジョセフ(“ジョー”)・ライディヒ海軍大佐に交代した。彼は2ヶ月前にNMCCが実行する作戦の補佐役にされ、8月にウィンフィールド准将の代わりにチャールズ・ジョセフ(“ジョー”)・ライディヒ海軍大佐が警備に就く資格を得ていた、ということだった。

しかし、この説明は人々に下記のように不可解な疑問を呈した:
●なぜウィンフィールド准将は、2002年のCNNおよびABCの番組で、自分が9/11の同時多発テロ事件時に副作戦指揮官であったと述べたのか?
●なぜウィンフィールド准将は、ツインタワーへの2度目の攻撃―それは米国が攻撃されつつあることを明瞭にした―の後、NMCCへ呼び戻されなかったのか?
●なぜリチャード・マイヤー将軍は、自分が統合参謀本部議長代理であったのに、9/11の朝はウィンフィールド准将がNMCCの「当任務将校」であったと、2009年に出版された回想録に書いたのか?

これらの疑問は、9/11同時多発テロ事件の間ウィンフィールド准将ではなく、ライディヒ海軍大佐が副作戦指揮官の任務にあたったという、国防総省と「9/11調査委員会」の主張が偽りであることを示唆している。

Ⅶ.NORAD総司令官ラルフ・エバーハート将軍:

9/11当日の米国防衛の最終責任者であったエバーハート将軍は完全なる失敗者であった。「9/11の英雄」と呼ばれるよりも、エバーハート将軍が自分の任務を放棄していたこと示す証拠はかなりある。

●彼の迎撃機パイロットたちは、それらのテロ攻撃のどれ一つも防止しなかった。
●彼は9時30分から10時15分の間、自身を他からの連絡が取れない状態に置いた。
●彼は自分の行動について、いくつか説明がつかない矛盾した発言をした。
●彼は、当日に予定されていたすべての軍事演習が原因の一部となって、対応に遅れを引き起した。

Ⅷ.ニューヨークのルディ・ジュリアーニ市長:

世界貿易センタービルへの攻撃後、ニューヨークのルディ・ジュリアーニ市長と彼の緊急事態管理チームは、バークレー街75番地にある建物に暫定本部を設置した。そこにいる間、彼はABCニュースのニュースキャスターであるピーター・ジェニングス氏に、「世界貿易センタービルが崩壊する」と警告されたと語った。

しかし、2004年の「9/11調査委員会」に対する証言で、彼はこの警告について言及しなかった。その代わりに彼は、「バークレー街のその建物が倒壊するかもしれないと心配になった」と主張した。2007年、ビデオカメラをもった人々のグループが、なぜタワーにいた人々は警告されていなかったのかとジュリアーニ市長に尋ねた。ジュリアーニ市長は「私はタワーが崩壊するとは知らなかった。……私が知る人間の誰ひとり、それらのタワーが内部崩壊するだろうとの考えは持っていなかった。それはまったく驚きだった」と答えた。

結論:

●8人の高官全員が、9/11同時多発テロ事件の結果に影響を与える立場にいた。
●各人の行動についての「9/11調査委員会」の報告は、かなりの数の証拠によって矛盾する。

 

1 2 3
エリザベス・ウッドワース(Elizabeth Woodworth ) エリザベス・ウッドワース(Elizabeth Woodworth )

気候変動科学と行動に大きく関わっている。彼女はGlobal Researchに42本の記事を掲載し、『Unprecedented Climate Mobilization: A Handbook for Citizens and their Governments』、『Unprecedented Crime: Climate Science Denial and Game Changers for Survival』の共同著者であり、COP21ビデオ「A Climate Revolution For All」の共同制作者である。彼女は核兵器反対運動に関するパンフレット『What Can I Do ?』及びその小説『The November Deep』の著者である。彼女は25年間、カナダ・ブリティッシュコロンビア州政府の医学図書館長を務め、はクィーンズ大学の学士号、ブリティッシュコロンビア大学の図書館学の学位を持つ。

デイヴィッド・レイ・グリフィン(David Ray Griffin) デイヴィッド・レイ・グリフィン(David Ray Griffin)

デイヴィッド・レイ・グリフィン(1939/8/8~2022/11/26)は、米クレアモント神学学校およびクレアモント大学院の宗教哲学および神学の名誉教授で、プロセス思想の探求と普及を目的とする「プロセス研究センター」の共同所長であった。彼の編集した「Constructive Postmodern Thought」のSUNYシリーズは31巻発行された。彼は30冊の著書を出し、13冊の本を編集、250本の記事と文章を執筆した。最近の著書には、『The American Trajectory: Divine or Demonic』、『Bush and Cheney: How They Ruined Americaand the World』及び『Unprecedented: Can Humanity Survive the CO2 Crisis? 』がある。

ご支援ください。

ISFは市民による独立メディアです。広告に頼らずにすべて市民からの寄付金によって運営されています。皆さまからのご支援をよろしくお願いします!

Most Popular

Recommend

Recommend Movie

columnist

執筆者

一覧へ