【連載】週刊 鳥越俊太郎のイチオシ速報!!

第21回 我が、京大合唱団同期のエース指揮者 村井真一が死んだ!/コロナ5月8日に感染症法5類へ/マスク外すか?いや、外したくない?問われるんだよ、我ら日本人は!

鳥越俊太郎

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週刊 鳥越俊太郎のイチオシ速報!!
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先ずは我らが京大合唱団の同志、指揮者、村井真一の訃報をトップに上げねばならないのが極めて残念で仕方がない。

少し長くなるが、ごめんなさい。

僕らは昭和33年(1953年)4月京都大学に入学、教養課程の1年間を宇治分校で過ごすこととなった。私は銀閣寺の隣に一回生の時から下宿、宇治分校に通った口。大半の学生は宇治分校周辺の下宿に住んでいた。

私は両親が団内結婚した第1号。団内結婚第1号の2世第1号。それを持て囃されるのに嫌気が刺し、入学直後はヨット部などで遊んでいたが、結局梅雨明けの7月くらいから、合唱団に入部歌い始めていた。

この年の男声合唱団は翌昭和34年、九州演奏旅行を試みている。その時の指揮者は野村透氏で、のちにアルママータクワイアの指揮もおやりになった。私には大変印象に残る名指揮者だった。

次が長尾氏で、その後がいよいよ我が同期の桜、村井真一の番だった。2年目だったかな?彼が選んだのが、合唱団の先輩、銀行に勤めながら多くの合唱曲を世に送り出した、多田武彦さん作曲の組曲「父のいる庭」だった。

一曲目が「紀の国」だった。

曲の出だしが「紀伊ーの国ぞはや、湊につきたり」はバスのソロで始まる。

村井指揮者はそのソロにバスのパートにいた私を指名した。しかも、それは「京都会館」のお披目公演の日だった。

「紀伊ーの国ぞ、はや、湊につきたり」

この一節を京都会館のお披露目の日、私が歌い出して始まるのだ。緊張しないはずがない。緊張した震える心で村井の指揮棒の先をただただ見つめていた。今も忘れられない一瞬である。

あの時から60年の月日が様々な想いを包み込みながら流れていった。

我々─関東在住の京大合唱団同期の連中は時折会って交流を温めていた。先日昨年11月1日、やはり同期のバリトン﨏君が島根県の西の方から状況するとて錦糸町駅前の、いや地下だな、「眠民」に南平、松永、白田、村井、吉田、鳥越など数人が頭をそろえて何とはなく語り会ったばかりだ。その時村井が食道がんだなんて誰も知らされていない。

あの日から3ヶ月も経っていない1月28日、突然知らせが来た。

昨日1月28日、村井君の奥様より訃報を受け取った。食道がんが見つかり、そう長くはないようだ、との感触はあったが、まさか、まさかこれほど早く訃報が発せられるとは……

奥様の話では村井は最後に恵比寿ビールをグラスに注いで飲み干し、「これで儀式は終わった」と、言葉を残し、30分後静かに息を引き取ったという。

なんというかっこよさだ!

村井らしい、覚悟の程が見て取れる。

うむうむ、俺も最後はビール行くか!

俺は恵比寿の近くに住んでいるのでこちとらも「恵比寿ビール」か!

実は昨年夏、生涯の友と呼べるテレビ朝日のディレクター、青木吾朗を突然失い、先日は京大文学部入学同期文学部2組(L2)の詩人、清水哲男の訃報を受け取ったばかり。

周りの大切な壁がベリベリ音を立てて剥がされていく感じを拭えない。

話は変わるが、昨日孫のりうが我が家を訪ねていた。間も無く13歳を迎える思春期真っ只中。背丈は私を遥かに超え180センチに届かんばかり。

「あのさぁ、おじいちゃまはさぁ、りうが20歳になる日を絶対に見るからねぇ」

「ふーん」とも「うーん」ともつかない、曖昧な返事。おそらく本人には何とも言いかねる実感の伴わない問いかけだったのだろう。

実のところ昨今の友人たちの相次ぐ訃報に接する身としては、正直後7年生き残る力が、我が身に残っているとは言い難いのだ。

(閑話休題)

 

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鳥越俊太郎 鳥越俊太郎

1940年3月13日生まれ。福岡県出身。京都大学卒業後、毎日新聞社に入社。大阪本社社会部、東京本社社会部、テヘラン特派員、『サンデー毎日』編集長を経て、同社を退職。1989年より活動の場をテレビに移し、「ザ・スクープ」キャスターやコメンテーターとして活躍。山あり谷ありの取材生活を経て辿りついた肩書は“ニュースの職人”。2005年、大腸がん4期発覚。その後も肺や肝臓への転移が見つかり、4度の手術を受ける。以来、がん患者やその家族を対象とした講演活動を積極的に行っている。2010年よりスポーツジムにも通うなど、新境地を開拓中。

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