【連載】ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会 メールマガジン
ノーモア沖縄戦

メールマガジン第38号: ウクライナと「破滅への道」(上)

ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会

・「核共有」という選択

かつて米軍は「北ベトナムを石器時代に戻してやる」と公言し、全土の焦土化にむけて沖縄を拠点に第二次大戦時を越える無差別空爆作戦を3年間にわたり展開したが、この恐るべき戦争犯罪を想起させる事態がロシアの侵略によって生じている。

ウクライナにおける「非人道的な大惨事」は国際社会に大きな衝撃を与え、欧米諸国では軍備増強に拍車がかかり、日本では、独伊などNATO5ヶ国で行われている「核共有」の仕組みを導入せよ、との主張が安倍元首相などによって提起されている。

しかしそもそも安倍氏は、2014年のロシアによるクリミア併合に対して欧米諸国が制裁を加えている中で、プーチンを「信頼できる指導者」と呼び、16年末には「日露経済協力」に乗り出した。

当時、パノフ元駐日露大使が「日本が対ロシア制裁のレジームから抜け出た」と高く評価した(「Sputnik日本」2017年4月29日)」ように、これはまさに“制裁破り”そのものであり、クリミア併合を事実上黙認しプーチンを増長させることになった。今日の事態を見るとき安倍氏の責任は重大で、およそウクライナ問題で発言する資格などあるはずがない。

ところで「核共有」とは具体的には、米国の核兵器を日本に配備し共同運用するという構想であるが、戦術核は「核密約」の対象となった沖縄に配備されるであろうし、沖縄が占領された場合は戦闘機がその沖縄に核を投下するという恐るべきシステムである。

さらに何より、NATOでの核共有の仕組みはNPT(核拡散防止条約)の締結前に構築されており、いま日本が導入すると、核兵器とその管理の「移譲」と「受領」を禁じたNPTの1条と2条に違反する、との批判に直面せざるを得ない。

・「核武装」という選択

先月23日、来日したバイデン大統領は岸田首相に対し、米国は「核の傘」による「拡大抑止」で日本を防衛するとの意志を強調した。ここには、日本のタカ派が叫ぶ核武装論を抑えこむ狙いが見てとれる。

しかし、例えば歴史人口学者のエマニュエル・トッドは、「核の傘」はナンセンスで幻想と断じる。なぜなら、中国や北朝鮮が米国本土を核攻撃できる能力があれば、「米国が自国の核を使って日本を守ることは絶対にあり得ない」からである。こうしてトッドは、日本が自ら核を保有する以外の「選択肢はない」と主張する。

しかし、トッドの議論の致命的な誤りは、日本が核武装するためにはNPTから脱退せねばならず、仮に日本が脱退すれば核保有を求める多くの国々も追随しNPT体制は崩壊する、という「悪の連鎖」を全く認識していないところにある。

イスラエルやインド、パキスタンの場合は当初からNPTに加盟していなかったが、北朝鮮は核開発に伴い事実上の脱退を表明した。つまり、日本の核武装は北朝鮮と同じ道を歩むことになる。さらに、日本のNPT脱退は明らかに「一方的な現状変更」を意味し、国際社会に対し深刻な打撃を与えることになる。

ところでウクライナ危機は、5大国に核保有を認めているNPT体制の前提を問うこととなった。なぜならウクライナ侵略によって、「何をするか分からない」といった精神状態にあるプーチンのような人物が核のボタンを握っている、という問題が露呈したからである。

実はこの問題はすでに、トランプが大統領に就任した際に、「短気で切れやすい性格」「ツイートするように核のボタンを押す」との危惧が拡がったことで議論の焦点になった。

早くも17年1月には、議会の承認なしに大統領は核を先制使用してはならないとの法案が提出され、当時の米戦略軍司令官は「違法なら命令を拒否する」と明言し、警鐘を鳴らした。プーチンを称賛するトランプが仮に大統領に再選されるならば、一億の日本国民の安全が「トランプの傘」に依存するという、恐るべき事態が再び生じることになろう。

そもそも、自由や民主主義といった価値観とは無縁のトランプの再選は、バイデンとの間で形成されつつある新たな日米同盟の枠組を崩壊させることになろう。

さらにこの問題は、核抑止論の前提を崩すことになろう。なぜなら核抑止論は、核による“脅し”を相手側が理性的に判断することで抑止が機能する、という論理構造になっているからであり、仮に相手側の指導者が理性を欠いているならば、そもそも成り立たない。

NPTのもとで核保有が認められている国の指導者が公然と核使用の“脅し”をかけるという事態を踏まえるならば、NPTはその役割を終え、「核兵器が再び使用されないことを保証する唯一の方法は核兵器を完全に廃絶すること」を謳った核兵器禁止条約こそが最も現実的、と見なすべき時代が到来したと言うべきであろう。

・「使える核」という問題

さらに論ずべき問題がある。それは、プーチンがウクライナで使用するのではと懸念されている「小型・低出力核」という「威力を抑えた使える核」の問題である。威力を抑えたとはいえ、広島・長崎の原爆と同程度かそれ以下とされ、甚大な被害が予想される。米国はさらなる小型化を目指しているとされるが問題は、こうした小型核が「通常兵器の延長」として使用することが想定されていることである。

このように、核兵器が超小型化に近づくほどに提起される根本的な問題は、それでは生物・化学兵器と何が違うのか、という問題である。実は2001年秋に米国で、国家機関やメディアなど20数カ所に白い粉を封入した手紙が送りつけられるという炭疽菌テロ事件が発生した。

ある議員に送られた封筒には、10万人を殺害できるような「驚くべき高純度」に精製された菌が封入されていた、と報じられた。当時のブッシュ政権は事件をアルカイダやイラクと結びつける発言を繰り返したが、捜査によって「米陸軍感染医学研究所」が保管していた株と遺伝子が一致していることが明らかになった。しかし、この米国史上初の生物兵器テロ事件は真相が解明されないままに迷宮入りとなった(拙著『集団的自衛権とは何か』2007年、岩波新書、六章二節)。

さらに、言うまでもなく日本では、6,000人以上の死傷者がでた地下鉄サリン事件が起こった。もちろん、核による放射能汚染と同列に論じることはできないであろう。しかし、これらの事件が象徴するように、生物・化学兵器のもつ破壊力は想像を越えるものがある。

だからこそ、その使用は「人類の良心に反する」との理由で、両兵器について全面的な禁止条約が締結された。とすれば皮肉なことに、「使える核」として核の超小型化が進められる事態は、「貧者の核兵器」としての生物・化学兵器と同様に、今や「富者の核兵器」も禁止されるべきとの論理に、きわめて説得的な根拠を与えることになろう。

・「敵基地攻撃」という選択

自民党は4月下旬、弾道ミサイル攻撃を含む日本への武力攻撃に対する「敵基地攻撃能力」(反撃能力)を保有すべし、との「提言」をまとめた。この場合、攻撃の対象範囲は相手国のミサイル基地に限定されず、指揮統制機能(中枢)も含むとされる。つまり、こうした能力を日本も保持することによって敵の攻撃を抑止する、という構想である。

具体的には、「相手側に明確に攻撃の意図があって、既に着手している状況」において攻撃を加えるということであるから、例えていえば、ウクライナ国境地帯にロシア軍が大量に集結し攻撃に踏み切ろうとした段階で、ウクライナがモスクワに攻撃を加える、というイメージであろうか。

いずれにせよこの敵基地攻撃論は、余りにも組み立てが粗雑と言う以外にない。なぜなら、議論の展開が2020年6月のイージス・アショアの破綻から始まっているからである。

この破綻は、関係者において性能への根本的な疑問が広く認識されていたにもかかわらず、トランプによる米国製兵器の購入拡大を求められた安倍首相が現場の声を無視して政治主導で購入を決めた、無責任外交の当然の結果であった。ところが、この破綻を受けて20年9月に安倍氏が打ち出したのが、ミサイルを阻止するための「新たな方向性」としての敵基地攻撃論であった。

従って今回の「提言」はイージス・アショアの破綻を受けて、「ミサイル技術の急速な変化・進化により迎撃は困難となってきており、迎撃のみではわが国を防衛しきれない恐れがある」との認識を披瀝する。

つまりは、「迎撃能力」の”脆弱性“を認めた上で敵基地攻撃能力の必要性を論じているのである。とすれば、全ての敵基地や中枢を一挙に破壊することができず反撃を受けることがあれば、「迎撃困難」である以上、日本は甚大な被害を受けざるを得ないであろう。

それにしても、相手側が極超音速ミサイルなどを実戦配備している状況において、それを越える「極極」超音速ミサイルを開発し、一般市民に被害を及ぼすことなく中枢部だけを正確に攻撃できる能力を獲得し、相手側の無数のミサイル・サイトの位置を特定する情報収集体制を整えるのに、一体どれだけの期間を必要とするのであろうか。

防御兵器のイージス・アショアでも実際の運用には少なくとも5年を要するとされたが、反撃を許さぬ敵基地攻撃能力を整えるためには、途方もない年月と巨費を費やさねばならないであろう。

とすると、日本がこの能力を獲得できるまでの長期間、相手側は何をしているのであろうか。「迎撃は困難」「わが国を防衛しきれない」と政権党が内外に公言しているときに、なぜ相手側は攻撃してこないのであろうか。

なぜ、この絶好の機会を活かそうとしないのであろうか。そもそも相手側に攻撃する意図がないのであろうか。このように問い詰めていくと、今日の軍事論の深刻な陥穽が明らかとなってくる。

ウクライナ危機を受けて、東アジア情勢をめぐり軍事アナリストなどの「専門家」が連日のようにメディアで議論を展開しているが、その大半が「兵器論」に終始していると言わざるを得ない。

従って、仮に防衛費がGDP2%に増額されても、約5兆円の大半は高額な米製兵器の「爆買い」に費やされることになる。今日議論されるべきは、そもそも日本周辺の専制国家が何を目的に、いかなる意図をもって日本を攻撃するのか、この核心の問題である。

・「攻撃の意図」という問題

例えば北朝鮮の場合、歴代政権の安全保障問題に深くかかわってきた北岡伸一・JICA理事長は、「北朝鮮にとって最も重要なのは、日本からの巨額の資金を獲得しているので、対日攻撃の可能性は低い」と断じている(北岡・森「ミサイル防衛から反撃力へ」『中央公論』2021年4月号)。

この認識にたてば、北朝鮮脅威論などは馬鹿げた話となってくる。たしかに、朝鮮問題の専門家の多くが、北朝鮮の狙いは「体制保障」にあると論じている。とすれば、北朝鮮の核開発は自国を防衛するための抑止力の確保であり、そのおぞましい体制問題を別とすれば、核保有国や「核の傘」のもとにある諸国が核抑止によって自国防衛をはかろうとするのと、論理的には同じ地平に立っていることになる。

しかし他方で、安倍氏が煽るように「敵の狙いは日本の殲滅」ということであるならば、まずなすべきは、稼働中の全ての原発の停止であろう。現に、先の自民党の「提言」ではウクライナ情勢を受けて、「原子力発電所などの重要インフラ施設への攻撃など、これまで懸念されていた戦闘様相が一挙に現実のものとなっている」と指摘されている。

とすれば、日本海をはさんで北朝鮮やロシアと向き合う島根における原発再稼働などは論外のはずである。ところが、同じ自民党が参院選での公約として「原発の最大限活用」を打ち出している。政権党内でエネルギー政策と防衛政策が、まさに支離滅裂の状態を呈している。周囲を「敵」に囲まれたイスラエルが原発を保有しない背景を検討すべきであろう。

それでは中国の場合はどうであろうか。ロシアのウクライナ侵攻をうけて「台湾有事」の切迫性が喧伝され、抑止力の強化が叫ばれている。しかし、仮に台湾が独立を宣言すれば中国はいかなる犠牲を払っても軍事侵攻するであろうというのが専門家の一致した見方であり、ここではいかなる抑止力も全く機能しない。

中国に対する見方が余りにも“甘い”と言わざるを得ない。しかし逆に言えば、問題の核心が独立か否かという、すぐれて政治外交的な問題にあることが確認される。

そもそも、台湾の独立は明らかに「一方的な現状変更」を意味し、中国に侵攻の格好の口実を与えるものである以上、関係諸国は独立への動きを注視せねばならない。

この意味では、ウクライナのゼレンスキー政権が昨年9月のバイデンとの会談でNATO加盟に具体的に踏み出したことは「一方的な現状変更」にあたり、プーチンの侵略への野心に火を付ける結果となった。プーチンを厳しく批判し続けてきたローマ法皇が他方で、「NATOはロシアの玄関口で挑発を続けた」と批判した所以である。

・「挑発者」の役割

それでは、尖閣諸島についてはどうであろうか。丸裸で防備困難な尖閣を中国が奪取する軍事的な意味合いがどこにあるのかという問題は別として、改めて尖閣問題とは何かが問い直されねばならない。

それは、沖縄が1972年に日本に返還される際に米国が尖閣の主権のありかについて「中立」の立場を打ち出したことに根源がある。つまり、尖閣がどこの国に帰属するのか分からないという立場をとった結果、そこを中国が突いてきているのである。

ところが日本政府は、こうした無責任きわまりない米国の立場を変更するように公的な申し入れを一度も行ったことはない。事実上その立場を黙認しているのであれば、尖閣の主権のありかについては「棚上げ」をして、中国や台湾、さらに沖縄をも含めて、危機管理にむけて早急に協議を開始すべきである。

そもそも尖閣が政治問題として先鋭化した契機は、2012年4月に当時の石原東京都知事がワシントンのタカ派のシンクタンクにおける講演で、尖閣諸島を都が「買い上げる」との方針を打ち出したことにあった。

本来ならば石原氏は、なぜ米国は尖閣を「日本固有の領土」として認めないのか、なぜ久場島や大正島を米軍管理下に置いたままで日本人の立ち入りを認めないのか、と厳しく抗議すべきであった。

しかし彼の矛先は中国に向けられ、米国側も認めたように中国を「挑発」するところに主眼があった。つまり、尖閣をめぐって日中間で「軍事紛争」を引き起こし、そこに米軍が「踏み込んでこざるを得なくなる」ような状況をつくりだすことに大きな狙いがあった。まさに「挑発者」そのものであり、野田政権による「尖閣国有化」を経て日中間の対立が激化することになった(拙著『「尖閣問題」とは何か』岩波現代文庫、2012年、第三章)。

冷静に振り返るならば、実は1960年代の末まで日本人の大半は尖閣諸島の存在など全く知らず、ましてや「日本固有の領土」などという認識さえなかった。

とすれば、こうした無人島をめぐって戦争するなどという愚をおかさないために、以上の経緯からしても「領土問題」として対処するという方向に踏み切り、2014年の「日中4項目合意」に示されたように緊張緩和と危機管理に向かうべきである。

(次回 <下>に続く)

※「オキロン」2022年6月15日の内容を転載しています。

文責:豊下 楢彦(元関西学院大教授)

 

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