【特集】原爆投下と核廃絶を考える
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核兵器(原爆)問題をめぐる過去と現在:「被害」と「加害」の二重構造を越えて

木村朗ISF編集長

アジア太平洋戦争末期に米国によって日本の広島・長崎に対して行われた原爆投下は、人類にとって核時代の幕開けを告げたばかりでなく、戦後世界における冷戦開始の合図となりました。この冷戦は、大戦末期における米ソ間の戦後秩序をめぐる対立から生じたものでした。

Hiroshima A Bomb Dome on a sunny day, Hiroshima, Japan, July 2017

 

また、冷戦は、米国を中心とする西側陣営とソ連を中心とする東側陣営との間での勢力圏をめぐる権力政治的対立と社会体制のあり方をめぐるイデオロギー的対立という二重の相克を意味していました。

この米ソ対立を中核とする東西冷戦では、米ソ双方によって「力による平和」が追求され、また核による「恐怖の均衡」によって世界秩序・社会体制ばかりでなく、人間の心の中までが日常的に支配されることになったのです。

しかし、1980年代末に東側陣営の急速な崩壊という形で冷戦が終結すると、新しい世界秩序が模索される中で冷戦期には封じ込められていたさまざまな矛盾が表面化すると同時に、戦後処理に伴う未解決の様々な問題が浮上しました。すなわち、これまで冷戦構造の下で押さえられていた、民族・宗教対立の激化、南北・南南問題の深刻化、環境破壊の進行、人口爆発と飢餓・貧困の拡大、大量難民の発生といったさまざまな矛盾が一挙に目に見える形で噴出したのです。

さらに、東京裁判・ニュルンベルク裁判の見直しが浮上し、米国が行った日本への原爆投下の是非と核兵器の違法性、日本軍が行った重慶大爆撃、南京大虐殺、731部隊、強制連行、従軍慰安婦(戦時性奴隷)等さまざまな残虐行為・戦争犯罪とそれに対する戦後補償・戦後責任の追及などが改めて問われることになったのでした。

こうした中で、米国は戦後一貫して日本への原爆投下の正当性を主張し続けています。日本への原爆投下を正当化する論理は、「原爆投下こそが日本の降伏と戦争の早期終結をもたらしたのであり、その結果、本土決戦の場合に出たであろう50万人から100万人にのぼる米兵の犠牲者ばかりでなくそれ以上の日本人やアジア人の生命をも同時に救うことになった」という早期終戦・人命救済説であり、今日の米国においても支配的な見解となっています。

この早期終戦・人命救済説が必ずしも事実に基づいたものではなく、戦後権力(占領軍・日本政府など)によって意図的に作り出された「原爆神話」であることが次第に明らかになりつつあります。

戦後50年を経た時点で起きた米国でのスミソニアン原爆展論争や20世紀末に行われたコソヴォ紛争でのNATO空爆、9.11事件後のアフガニスタン・イラク攻撃の正当性をめぐる議論との関わりで、日本への原爆投下の意味と背景を改めて問い直す動きが生まれていることが注目されるようになります。また、「原爆神話」を肯定する立場が、核による威嚇と使用を前提とした「核抑止論」の保持と密接不可分の関係にあることはいうまでもありません。

一方、戦後の日本では、毎年8月6日と9日の「原爆の日」に、広島・長崎両市が「平和宣言」を発表し、その中で原爆被害の恐ろしさと核兵器廃絶を世界中の人々、とりわけ核保有国の指導者に訴えてきました。近年では、原爆投下の「被害者」としての視点ばかりでなく、先の大戦での日本の加害責任に言及することが多くなっています。

こうした一定の肯定的な変化が見られる一方で、日米安保体制下で米国の「核の傘」に依存する日本政府は、現在でも原爆投下を正当化し核兵器の保有・使用を肯定している米国政府を真正面から批判することができず、原爆投下を「戦争犯罪」として明確に告発する被爆者たちの声を依然として無視し続けているのが現状です。

こうした現状を打開していくためには、原爆投下の本当の意味と真実を明らかにし、日米間ばかりでなくアジアを含む全世界の共通認識を育てていくことが特に重要です。

その鍵を握っているのが、「被害」と「加害」の二重性、「戦争」と「原爆」の全体的構造の把握(あるいは戦争の記憶と被爆体験の統一)、という複合的視点です。この点で注目されるのが、「外国人被爆者・在外被爆者こそが、日本軍国主義と米国原爆帝国主義に挟撃された二重の被害者である」という故鎌田定夫先生(長崎平和研究所創立者)の言葉です。

この言葉には、広島や長崎では日本人ばかりでなく日本の侵略戦争・国家総動員体制の下で強制連行された多くの外国人が被爆したという事実、広島・長崎の被爆構造にはアジア太平洋戦争における「日本軍国主義」による加害・被害とともに米国の「原爆帝国主義」による加害・被害が二重に刻印されているという認識が見事に表現されていると思います。

被爆者が年々高齢化している今日、広島・長崎の被爆体験を思想化して後世・未来の世代に継承することは焦眉の課題となっている。また、本当の意味での、過去の戦争責任の清算を戦争被害者・被爆体験者がなお生存されている現在の時点で行うことが大きな意味をもっています。

しかし残念ながら、今日の日本の状況は、核武装論の高まりに見られるように、それとは真逆の方向に向かいつつあるといわねばなりません。

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木村朗ISF編集長 木村朗ISF編集長

独立言論フォーラム・代表理事、ISF編集長。1954年北九州市小倉生まれ。元鹿児島大学教員、東アジア共同体・沖縄(琉球)研究会共同代表。九州大学博士課程在学中に旧ユーゴスラヴィアのベオグラード大学に留学。主な著作は、共著『誰がこの国を動かしているのか』『核の戦後史』『もう一つの日米戦後史』、共編著『20人の識者がみた「小沢事件」の真実』『昭和・平成 戦後政治の謀略史」『沖縄自立と東アジア共同体』『終わらない占領』『終わらない占領との決別』他。

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