【連載】鑑定漂流ーDNA型鑑定独占は冤罪の罠ー(梶山天)

第17回 DNA型鑑定の欠陥が明らかに

梶山天

母校の筑波大学法医学教室から長野県松本市にある信州大学の福島弘文教授のもとへ武者修行に出た本田克也助手は、足利事件の犯人として菅家利和さん逮捕に使われたDNA鑑定「MCT118法」の欠陥を発見した。

Scientists examines DNA models in modern Neurological Research Laboratory.

 

ただし、幾度となく福島教授のもとへ説明に行くが「そんなバカな事があるはずがない」と取り付くしまもなく、それどころか、福島教授は本田助手の鑑定能力や技術力にも疑問を持ち、他の助手に試させたのである。しかし、どれも本田助手と同じ結果になった。

それからしばらくしてからのことだ。突然、足早に顔色を変えた福島教授が実験室に飛び込んで来るやいなや、本田助手に向かって開口一番「今度の研究会で早急に発表しないと大変なことになる。この方法は既に実用化されているのだから」などと言い出したのだ。本田助手はこの時、自ら欠陥を見つけた「MCT118法」で菅家さんが逮捕されていることすら知らなかった。

ようやく福島教授が問題を確信したのだ。開口一番の言葉からすると、足利事件のDNA型鑑定でMCT118法が採用されていたことについて、福島教授はこの時すでに知っていたのかもしれない。しかも警察庁の科学警察研究所(科警研)の冤罪を暴くスクープなのだから当初の渋り気味の顔が笑顔まで見せるのだから一目瞭然だった。

それにしても、福島教授と本田助手の能力の差は歴然だった。そして、この後の本田助手らによる公の場での発表時に福島教授のとった行動を知ったら、一般の人たちがどう思うだろうか。想像を絶する。

少し脱線するが、この際、しっかりと押さえておかなければいけないことがある。全国の警察を指導監督する科警研が、当時、欧米の犯罪捜査で実績を上げていたDNA型鑑定の導入を目指していた。

1980年代後半に科警研の笠井賢太郎技官を、米国・ユタ大学のハワード・ヒューズ医学研究所に派遣した。そこで開発されたDNA型鑑定「MCT118法」の運用を89年から始めた。それは、第1染色体上にあるDNAの反復配列の1部位を鑑定する方法であった。

笠井技官がこの大学で「MCT118法」を持ち帰ってきたが、彼はいったいこの鑑定について何を習得してきたのであろうか。信州大に来たばかりの本田助手が指摘したように、正確に型判定などできない鑑定法だった。それを裏付けるかのように欧米では「MCT118法」は全くというほど使われなかったのである。

正確な型判定ができないのだから、この鑑定で有罪判決になった人々はたまったものではない。「MCT118法」の欠陥は、お粗末極まりない。現に何人もの人々が足利事件の後に有罪判決を受けているのだ。

そういえば、足利事件では、栃木県警の捜査本部が早い段階で科警研にDNA型鑑定を打診し、幾度か断られたいきさつがある。事件発生当時に遺体発見現場から南へ40㍍ほどの下流の浅瀬(水深約10cm)で見つかった松田真実ちゃんの半袖の肌着を栃木県警科学捜査研究所(科捜研)の福島康敏技官が科警研の向山明孝技官に電話して、DNA型鑑定を打診したのだ。

福島技官は、当初発見した濡れた肌着を乾かしてSM検査を行い、精子の付着を確認。顕微鏡で精子の頭を確認したために、これなら鑑定が可能だと思ったのだ。ところが、向山技官は何度も渋った。なぜなのか。

肝心の肌着は、真実ちゃんの死亡推定時刻が5月12日午後7時から8時前後と推定されることから、逆算すると、14時間以上は水深11cmの川に浸かった。この間の流水によっても、相当量の精子が流出する可能性は十分にあった。向山技官は当初、「検出が不可能」というようなことを語っていたという。

当時は、まだ菅家さんがゴミとして捨てた精液が付着したティッシュペーパーという対象試料を入手することができていなかったこともあったかもしれない。

しかし、鑑定試料の劣化を考えると、採取して間もない検査試料を鑑定するのが基本だということを考えれば納得いかない措置だと言えよう。というのも、鑑定さえしておけば、後は冷凍保存しておくだけで済む作業なのだ。あとは対照試料が見つかれば、合致するか識別すればいいだけの話である。

これはあくまでも推測なのだが、科警研の向山技官たちは、この鑑定法がまだ鑑定を実施する段階まで到達していない代物だったことを実は知っていたのではないかと思えてならない。

信州大学の福島教授が本田助手にこの鑑定を研究させたことを思い出してほしい。福島教授が本田助手に何度も鑑定写真を見てのやり直しをさせるのでもわかるように電気泳動の写真はバンドが歪んでいて識別ができないようなものだと素人の私でもわかる写真だった。プロの技官たちがその写真を見て見逃すだろうか。何とも不思議なことである。

当時は警察庁の国松孝次(たかじ)刑事局長肝いりの鑑定導入で、91年に警察庁は92年度から4カ年計画で全国の警察にDNA型鑑定を導入すると決め、92年度予算の概算要求に鑑定機器費用1億1600万円を盛り込んだ。しかし、大蔵省の反応は鈍かった。

なんとしても予算化したい警察庁は年末の復活折衝にかけるしかなかった。となると、その前に警察は事件をDNA鑑定で解決するアドバルーンを上げたい。警察庁内の焦りが鑑定に降りかかったのかもしれない。そうなると、科警研は焦りから見切り発車した可能性も考えられる。

現に菅家さん逮捕直後から新聞、テレビがDNA型鑑定を「否認を突き崩した科学の力」「スゴ腕DNA鑑定 園児殺害 捜査の決め手」などと報道し、絶大なる後押しを行ったのだ。この影響もあったのか、大蔵省は91年12月26日の警察庁との復活折衝で満額回答を行った。

 

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梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

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