【連載】ウクライナ問題の正体(寺島隆吉)

第24回 流れは変わった! 元国務長官キッシンジャーの重大な警告

寺島隆吉

これまで「ウクライナ問題の正体」と題して、ずっと連載を書いてきました。

が、ロシア軍が、ウクライナ南部の要衝マリウポリ市、とりわけアゾフ大隊が死守しようとしてきた拠点 「アゾフ ス タル製鉄所」を完全解放したので、戦闘の行方はほぼ決まったと考え、この連載を一旦お休みしたいと考えました。

というのは、77歳の老体に鞭打って書いてきたので少し体に疲れが溜たまってきたからです。 しばらく心と体に休息と栄養を与えたいと思いました。 それにずっと書きたいと思っていた「研究所—野草・野菜・花だより」にも時間をとりたかったのです。

ところが突然、WEF(世界経済フォーラム)でキッシンジャー元国務長官が衝撃的発言をしたというニ ュースが飛び込んで来たので、またまた迷いが生じてきました。 この発言はウクライナ情勢を根本的に変えるものになるかも知れないという思いが頭をよぎったからです。

というわけで、 「休息して『野草 ・ 野菜 ・花だより』を書きたい」という思いと「今これを
書いておかないとキッシンジャー発言の意味を解説する機会を失うかも知れない」という思いとの葛藤が始まりました。 が結局、 後者の方が勝ちを占めたので、今これを書き始めています。

既に大手メデ ィアも報じているように、キッシンジャー元国務長官は、 2022年5月23日、スイスで開催中の「ダボス会議」(世界経済フォーラムWEF年次総会)にオンライン出席して、 衝撃的発言をしました。

「キエフ政権はロシアの要求を認めて停戦しろ」。WEF(世界経済フォーラム)で衝撃的発言をしたヘンリー・キッシンジャー

 

その内容は概略、 次のようなものでした。

 

今後、数カ月のうちに、 ウクライナはロシアと和平協定を結び、 ウクライナでの紛争がNATOとロシア間の世界規模の戦闘に拡大しないようにしなければならない。

そのためにはウクライナは少なくとも 「紛争前の状態」 に戻すことを受け入れねばならない。

すなわち、 クリミアは自国領であるという主張を取り下げ、 ドネツクとルガンスク両人民共和国の自治を承認しなければならない。

 

この発言は、ウクライナのゼレンスキー政権だけなく、アメリカのバイデン政権にとっても、大きな打撃になったであろうことは疑いありません。

というのは、ゼレンスキーを裏で戦術指導し、「ロシアを戦争に引きずり込んで疲弊させ、あわよくば政権転覆にまで持ち込もう」というのがバイデン大統領の戦略だったのに、それに頭から冷や水を浴びせたのがキッシンジャー発言だったからです。

ゼレンスキー大統領にとっても、 欧米や日本のメデ ィアから「民主主義の旗手」としてもてはやされ、「ドンバ ス2カ国どころかクリミアも取り戻す」と豪語していただけに、このキッシンジャー発言は許しがたいものだったでしょう。

しかしキッシンジャー元国務長官がこのように発言した意図や理由はどこにあったのでしょうか。 それを元国務長官は次のように述べています。

そもそもウクライナ危機の端緒は、 8年前の2014年に起きたキエフでの軍事クーデターにあった。

したがってウクライナは、NATOに加盟するのではなく中立国になり、ロシアと欧州の架け橋になるべきだ。

なぜなら、ロシアは建国400年の歴史の中で、常に欧州において重要な役割を果たしてきた国だ。 そのロシアを、 中国と恒久的な同盟関係を結ばざるを得ない状況に追い込むことは避けるべきだ。

ここで注目すべきことは、キッシンジャーが「そもそもウクライナ危機の端緒は、8年前の2014年に起きたキエフでの軍事クーデターにあった」と述べていることです。

大手メディアは、 「今回のウクライナ紛争は、ロシア軍が一方的にウクライナ侵略に乗り出し、あちこちを破壊して死傷者を増やしていることに、 最大の原因がある」とする論調一色で、その論調に左翼・リベ ラルの人たちも巻き込まれているという現状です。

ところが上記のとおり、キッシンジャー元国務長官は、このような認識を初めから否定して、 「ウクライナ危機の端緒は、 8年前の2014年に起きたキエフでの軍事クーデターだった」と断言しているのです。

さらによく調べてみると、 元国務長官は2014年のクーデター時から、このようなクーデターは将来に禍根を残すと言っていることが分かりました。 なぜキッシンジャーは、このような発言をしていたのでしょうか。

キッシンジャーと言えば、ベトナム戦争時のカンボジア侵攻、チリ・クーデターの画策、インドネシアによる東テ ィモール占領への協力など、軍事介入や秘密工作も辞さなかった人物だっただけに、私にとってダボス会議での発言は驚きでした。

しかし考えてみれば、キッシンジャーは、ニクソン政権「国家安全保障問題担当大統領補佐官」として、 1971年に、中ソ対立でソ連と緊張状態にあった中華人民共和国を極秘に二度も訪問しました。周恩来首相と直接の会談を行い、米中和解への道筋をつけているのです。

日本が台湾ではなく中国を訪問することはア メリカから強い牽制を受けていただけに、このキッシンジャーによる中国への「秘密訪問、中国の国連加盟(したがって台湾排除)を認める」という動きは「ニクソンショック」として世界を揺るがしました。これは日本に対する一種の「裏切り」でしょう。

しかしキッシンジャーによるこの戦略は、「中国とソ連の分断を図り、社会主義国を団結させない」という、権力者の常道「分断して支配する(Divide and Rule)」に従っていたわけですから、本当は驚くべきでも何でもなかったのです。

が、 今まで台湾(中華民国)を国連加盟国として扱っていたのに、それをあっという間に本土の中国へと乗り換えたのですから、 「ニクソンショック」という世界への衝撃波となったわけです。

そして、このキッシンジャーの戦略は功を奏し、その後の中国は、 表向きは「社会主義国」ですが、実体は新自由主義の経済政策を導入し、アメリカ企業が多く進出する「資本主義国」になってしまいました。貧富の格差も激しくなりました。

現在の中国は、このような状態を改善するために必死の努力をしているように見えます。
いわゆる「新しいシルクロード」 、BRI 「一帯一路」という構想も、その一環だとも考えら
れるのです。

この構想をマシュー・エレ ット(Matthew Ehret)は「中国の天命」と名付け、それをロシアの東部開発と結びつけて次のように説明しています。

 

欧亜大陸の新たな 「天命」の誕生

ロシアでは、 このような未来志向が、21世紀の 「ロシアの天命」 のような形をとっていて、シベリアの極東や北極圏、 さらには中央アジア、モンゴル、日本、 中国などへ文明を拡大しようとしている。

多くの人はしばしば、 世界の出来事を 「下から上へ」 と近視眼的に分析しようとするが、 次のことは明らかである。

2018年以降、 ロシアの東部開発という大志は、 中国のBRI「 一帯一路」構想の北部拡張とますます合体している。それは 「極地シルクロード」と名付けられ、鉄道、道路、 通信基地、港湾、エネルギー計画、 海の回廊の成長を拡大した。 海の回廊は、 人類の文明を寄せ付けないと長く考えられていた氷の地域を通るのである。

中国は「一帯一路」構想のかたちをとった中国版「天命」の誕生を見たのである。これはそれの熱狂的支持者が想像したものさえ超えてしまった。

2013年に発表され、変革、相互接続、相互勝利 (ウィンウィン) の力を発揮し、8年前に短期間のうちに、 3兆ドル以上が140カ国が参加する大中小の社会基盤整備に費やされた(参加の度合いはさまざまである) 。

Manifest Destiny Done Right. China and Russia Succeed Where the U.S. Failed「マニフェスト・デスティニー(天命)の成就―中国とロシアは成功する、 米国が失敗したところで」
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-924.html( 『翻訳NEWS』2022/05/23)

新しいシルクロード

 

エレットの論考には他にも非常に興味深い地図や統計が多く載せられているのですが、この小節「欧亜大陸の新たな『天命』の誕生」では、上のような地図が載せられていて、その構想の
壮大さに思わず息を呑んでしまいました。

この地図では、実線が「北のシルクロード(Northern silk road)」 、 破線 が「南のシルクロード(Southern silk road)」、一点鎖線が「連結路(Connections/shortcuts) 」となっています。

このような構想はアメリカを唯一の覇権国家として維持しようとする勢力にとっては、脅威以外
の何ものでもないでしょう。

このような文脈で考えてみて初めて、私は、キッシンジャーがなぜダボス会議であのような新しいシルクロード発言をしたのか、やっと分かったような気がしました。つまり元国務長官キッシンジャーは、バイデン大統領と違って、もっと遠くを見ていたのです。

 

バイデン大統領はウクライナを「大砲の餌食(cannon fodder )として使い、ロシアを弱体化させ、あわよくば政権転覆をねらっているだけなのですが、 元国務長官は「そのような政策はロシアをますます中国に接近させ、アメリカの覇権を脅かすことになる」と考えているのです。

バイデン大統領が今のような戦略を続けていると後戻りができなくなり、ますます中露を団結させ、アメリカの覇権を維持できなくなるからです。それどころかアメリカが勝つためには核兵器を使う以外になくなる可能性もあります。

バイデン政権は先述のように、ウクライナを「大砲の餌食(cannon fodder)」として使ってロシアを疲弊させる戦略でしょうが、通常兵器を使っているかぎりウクライナ軍はロシア軍と戦って勝てるはずがないからです。

なにしろロシア軍はアサド政権の要請に従ってシリアに乗り出し、裏でアメリカが支援してきた「勇猛かつ残虐で知られるイスラム原理主義勢力」を短時間で駆逐してしまったのですから。

今のところロシア軍は民間人の犠牲をできるだけ少なくするため、地上戦の戦いに限定した戦略で戦っています。 「強力な武器を使えば3日で終わる戦争に40日もかけている」と元財務次官ポール・クレイグ・ロバーツを嘆かせたほどです。

Russia Has a First Rate Military But Is Incompetent On Every Other Front「ロシアは一流の軍隊を持つが、他のあらゆる面で無能である」( 『翻訳NEWS』2022/04/01)
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-862.html

このことは既に何度も述べたように、 逆にロシア軍に多大な犠牲を強いています。アメリカ流に民間人の犠牲を厭わずミサイルや無人爆撃機(ドローン)で攻撃すれば自国の兵士の犠牲を減らすことができますが、ロシアのように地上戦を主とした戦いでは自国軍から多くの死者や捕虜が出るからです。

その証拠に、ニューズウィーク誌(Newsweek)でさえ「プーチンの爆撃機はウクライナを壊滅させることもできたのに彼はそれを控えている。その理由はここにある」と題する次のような記事を載せて、私を驚かせました。というのは、 欧米や日本のメディアは、ロシアやプーチン大統領を悪魔化する報道を繰り返し、このような記事を載せてこなかったからです。

Putin’s Bombers Could Devastate Ukraine But He’s Holding Back. Here’s Why「和平の可能性を残すプーチンの戦略—攻撃標的は民間人ではなく軍事施設、キエフはほとんど無傷」(『翻訳NEWS』2022/06/05)
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-933.html

これは、キッシンジャー元国務長官の発言を受けて、明らかに大手メデ ィアの論調が変わり始めた証拠ではないでしょうか。最近、ニューヨークタイムズ紙すら、ウクライナにおける「決定的な軍事的勝利」はないとし、和平交渉を呼びかける記事を載せました。

*New York Times Repudiates Drive for“Decisive Military Victory” in Ukraine, Calls for Peace Negotiations.「ニューヨークタイムズも、 ネオコン主導の 「ウクライナ発、 核戦争」 を危惧し始めている」( 『翻訳NEWS』2022/06/05)
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-935.html

ジョン・V・ウォルシュ(John V. Walsh)による右記の記事によると、 NYタイムズの社説(5月19日)は次のように述べています。

ウクライナがロシアに対して決定的な軍事的勝利(ロシアが2014年以来掌握した領土をウクライナがすべて取り戻すことを含む)を収めるというのは現実的な目標ではない。…ロシアの力は依然として強大だ…

…バイデン氏はまた、ヴォロディミル・ゼレンスキー大統領とウクライナ国民に対して、米国とNATOがロシアに立ち向かうには限界があり、武器、資金、政治的支援にも限度があることを明確に伝える必要がある。

ウクライナ政府の決断が避けて通れないのは、その手段が現実を見据えたものであること、ウクライナが後どれだけの破壊があっても大丈夫なのか、 の2点をきちんと踏まえること、 だ。

結局のところ、ロシアとの全面戦争に突入することは、アメリカにとって最善の利益にはならない。たとえ交渉による和平がウクライナにいくつかの難しい決断を要求することになるとしても。

ところが相変わらず日本の大手メディアは今のところ(6月11日現在)論調を変える気配がなさそうです。

それはともかく、キッシンジャー元国務長官の発言は、ウクライナのゼレンスキー大統領を激怒させました。「もう時効になった年寄りは政治の舞台から去れ」といった調子でキッシンジャーにかみつきました。

それどころかキエフ政権は99歳になったキッシンジャーを「ロシアの共犯者だ」 「ウクライナの敵だ」と宣告し、彼を「ブラックリスト」に載せることさえしたのです。次の記事は、そのことを報じたものです。

Kissinger turns 99, declared ‘enemy’ by Ukraine「和平協定締結を提言したキッシンジャー (
99歳) をウクライナは罪人扱い」( 『翻訳NEWS』2022/06/06)
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-931.html

この「ブラックリスト」について右記の記事は次のように説明しています(和訳は寺島による若干の修正)。

ウクライナ政府が支援する活動家集団は、5月27日に99歳になったヘンリー・キッシンジャー元米国務長官を、 その誕生日を機に「ミーロトヴォレット (Peacemaker) 」 というウェブサイトに名を載せた。

「ロシア当局の共犯者」 という汚名を着せられたキッシンジャーがブラックリスト入りになっ
たのは、キッシンジャーがウクライナ政府に、ロシア政府と和平交渉を行うこと、ロシア軍が進攻を開始した2月以前の体制に戻ることを、要求したからだった。

いわゆる2014年の「欧州広場」 でのクーデター後に創設されたウェブサイト「ミーロトヴォレット」 は、 公的に以下のような人々の情報が調べられるサイトだ。

すなわち、このサイトが指定した 「親ロシア派テロリスト、 分離主義者、 金銭目当ての傭兵、
戦争犯罪者、 殺人者」たちの情報だ。

このサイトには、 ウクライナ国内の人物だけでなく、 ロシア軍人からハ ンガリー首相のオル バーン・ヴィクトルまで幅広い層の人々が掲載されている。 オルバーンは、 ロシアの石油や天然ガスに対する制裁に反対している人物だ。

このホームページ 「ミーロトヴォレット」 は、 SBU(ウクライナ保安庁) の管理下にあると考えられている (なお、 サイトのトップ頁には死んだロシア兵たちの悲惨な姿がモザイクを付けられて載せられている)。

ここで第一に問題になるのは、 「ミーロトヴォ レ ット」という、ふざけた名のウェブサイトです。 「ミーロトヴォレット」というのは「Peacemaker」という意味だそうですが、これは実はキエフの政敵を抹殺する「暗殺リスト」でした。

自分たちの政敵を暗殺して「キエフ政権の平和と安定を保つ」という意味では、 確かに彼らにとっては「平和をつくる」ためのウェブサイトでしょう。が、これを管理しているのはSBU(ウクライナ保安庁)なのですから、キエフ政権は自分たちが「テロリスト集団」であることを公言しているようなものです。

というのは、このサイトには単に政敵とされる人物名や政治的経歴が載せられているだけでなく住所まで載せられていて、アゾフ大隊などのネオナチ武装集団が、自宅を襲ったり、帰宅途上の人物を路上で暗殺できるようになっているからです。

たとえば、次の記事よれば、 「ロシアがウクライナ国内で軍事作戦を開始して以来、ロシアからの人道的物資を受け入れることを決めたり、ロシア軍と交渉して民間人避難のための通路を手配したりした市長が次々と暗殺されたり(4人)、行方不明になったりしています(11人)。

“One Less Traitor”: Zelensky Oversees Campaign of Assassination, Kidnapping and Torture「裏切り者を一人でも減らせ:ゼレンスキーは、 政敵の暗殺・誘拐・拷問といった作戦を監督」( 『翻訳NEWS』2022/04/28 )
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-893.html

この人数は、この記事によると4月18日現在の数字ですから、 現在(6月11日)では、どれほどの人数になっているかは、 想像もつきません。しかも市長や知事といった行政の長だけでなく、 一般市民も次々と暗殺 ・誘拐 ・ 拷問の標的になっています。その凄惨な様子は、このサイトに映像付きで載っていますから、ぜひ自分の眼で確認していただきたいと思います。

ここで、もうひとつの大きな問題は、この「ウクライナの敵」とされる「暗殺リスト」には、ドンバス2カ国を含むウクライナ人だけでなく外国の要人やジャーナリストも含まれているということです。

元国務長官キッシンジャーが、このリストに加えられたことは既に述べた通りですが、それ以前に、ドイツ大統領フランク・ヴァルター・シュタインマイヤーまでも、この一員に加えられていたようです。次の記事は、そのことをよく示しています。

Team Zelensky Overplays Hand By Humiliating Germany – Islam Times
https://thegrayzone.com/2022/04/17/traitor-zelensky-assassination-kidnapping-arrest-political-opposition/

 

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寺島隆吉 寺島隆吉

国際教育総合文化研究所所長、元岐阜大学教授

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