【連載】データの隠ぺい、映像に魂を奪われた法廷の人々(梶山天)

第9回 映像に頼るしかなかった裁判員

梶山天

今市事件の被害者である吉田有希ちゃん(当時7歳)の地元である栃木県日光(旧今市)市内の大沢小学校の集団登校は、16余年たった今でもその光景は変わらない。通学路のあちこちに子供たちの見守りを行うボランティア団体「大沢ひまわり隊」のお年寄りたちが早朝から立つ。事件当時とは生活スタイルが年々変化し、多くの世帯が共働きに移行したために朝の見回り活動は、お年寄りたちが中心だ。そのため両親は下校時に車で子どもたちを迎えに行っている。

事件発生直後から地元では、報道陣による取材が多くの市民にまで拡大され、地域は報道不審に陥ったまま、それを引きずっていた。2016年5月から朝日新聞日光支局長として赴任した私は、翌年冬から大沢ひまわり隊のお年寄りたちと交流を持った。今市事件取材には、このひまわり隊は避けては通れない団体だ。

まずはお年寄りたちの寄り添うことが肝心だ。一緒に笑い、泣くことが私の取材のモットーだ。「子供を絶対一人にしない。地域で守る」というスローガンのもと通学路を監視するひまわり隊の活動を体験しようと朝5時半に起床して凍てつく寒さの中、通学路に立って子供たちを1週間見守った。不審者から声をかけられないように学校側は学校以外は児童の胸から名札を外すことにした。

当初お年寄りたちは子供たちが名前がわからずコミュニケーションをとるのにも手と手で触れあうハイタッチだ。徐々に声を掛け合い、今では顔を見れば子供たちの体調までわかるほど距離が縮まった。

通学路に立ち、登校する子どもたちとハイタッチをする大沢ひまわり隊のお年寄りたち。

 

ところが、20年から新型コロナウイルス感染、拡大もあってマスクの着用が義務付けられて、ハイタッチはできなくなってしまって、寂しがるお年寄りたちも多い。悩みも尽きない。

通学路に立ち、登校する子どもたちを見守る大沢ひまわり隊のお年寄りたち。新型コロナウイルス感染・拡大のため、ハイタッチができず、手を振ってコミュニケーションをとっている。

 

地域のこうした変遷をよそに宇都宮地裁の一審法廷では、専門的な知識がない裁判員たちが有罪、無罪の極めて難しい判断を迫られていた。調書があるのに殺害を裏付ける凶器や被害女児の遺留品などが何一つ見つからない。犯人割り出しが期待された有希ちゃんの頭部に付着していた布製の粘着テープもDNA型鑑定を行った栃木県警科捜研の技官2人が自分たちの細胞を汚染させたとしてこれも証拠から外された。

あれあれ、どうしてこんなことになっちゃうの?法廷に霧が立ち込め、とても不思議な状況になったのがこれまでのストーリーだ。結局、裁判員たちは影像にすがるしか手立てが見つからなかった。

判決後に行われた裁判員の会見では、一様にみんな疲れているように見えた。法廷に出された証拠だけでは判断がつかず、影像があったので答えを出せたという印象を受けた。

小山市の看護師女性は「(文面での)言葉尻と録音・録画だと全く印象が変わるところもあり、視聴してよかった」。那須塩原市の会社員男性は「録音・録画がなかった場合はよくわからない。証拠を見ていても決定的というのはなかった」と振り返った。補充裁判員の会社員男性は「状況証拠のみだったら判断できなかった」。検察側かが最初の自白だとする商法違反容疑での起訴日だった2014年2月18日の検事調べが映像化されていないことを指摘し、「やるならやるで録音・録画は全部徹底してやるべきだ」と注文を付けた。これだけで、この日夕のテレビニュースと明日朝の新聞の見出しが目に見えるようだった。

裁判員たちが要望するように、一審の法廷でみんなが目の当たりしたのが勝又拓哉受刑者の取り調べの様子を撮影した録音・録画の映像は、取り調べの全てを撮っていたわけではない。一部だけだった。警察、検察であわせて80時間以上撮っていて、公開されたのはわずか7時間13分。取り調べを行う刑事や検事にとって、表に出たら都合が悪い「違法捜査」を裏付ける場面は公開されていなかったのだ。

そしてその映像は一部だけでも想像以上にインパクトが強いので、見るのと、見ないのでは判断が変わるという危険性がはらんでいた。補充裁判員3人を含めた9人の裁判員たちは、選任されてからの2カ月間、深く悩み続けたに違いない。もし勝又拓哉受刑者が警察官の取り調べの際に「殺してごめんなさい」と50回言わされている映像や容疑を否認すると顔を殴られる様子を裁判員たちが目の当りにしていたらどうだっただろうか。おそらく判断は変わったに違いない。

 

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梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

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