【特集】終わらない占領との決別

占領管理法体系から安保法体系+密約体系へ(前)

吉田敏浩

いまなお続くアメリカの日本に対する実質的な「占領」を、いつか終わらせるために、本書ではさまざまな観点からの指摘がなされている。この章では、アメリカが第2次世界大戦後の日本占領時代に「占領管理法体系」によって手にしていた米軍特権を、占領終了後も「安保法体系」と「密約体系」を用いて保持し、さらに新たな特権も得ていること、そして米軍特権が日本の主権を侵害し、「憲法体系」を侵蝕していることを示し、その事実を直視する重要性を述べたい。

yokosuka, japan – july 19 2020: National flags of Japan and United States of America on the Azuma Island separating the Japan Self Defence Fleet from the american Fleet in the Yokosuka Naval Base.

 

1.日本はアメリカなど連合国の占領下に

1945年8月15日の敗戦後、日本はアメリカなど連合国の占領下に置かれた。占領軍の主体は米軍だった。52年4月28日の対日講和条約発効まで続く占領時代、「憲法体系」(憲法を頂点とする日本国内法の体系)に優越し、強大な法的効力を日本政府と国民に及ぼしていたのが「占領管理法体系」(「占領法体系」や「管理法体系」ともいう)である(『資料・戦後二十年史3』(末川博編、日本評論社、1966年など)。

それは占領時代、最高権力を持つ連合国最高司令官が日本政府に発した「指令」「覚書」「書簡」などの形式による命令と、その実施のための日本政府による勅令・政令などの連なりを指す。

「占領管理法体系」の頂点に位置したのは、「ポツダム宣言」である。第2次世界大戦末の1945年7月26日に、アメリカ・イギリス・中国(後にソ連も参加)が日本に対し無条件降伏を求め、日本占領の基本目的と戦後の対日処理の方針を定めたものだ。

①軍国主義勢力の除去②連合国軍による日本占領③日本領土の限定④日本軍の武装解除と復員⑤戦争犯罪人の処罰⑥日本の民主化⑦人権尊重の確立⑧再軍備につながるものを除く産業と貿易の容認⑨日本国民の自由意思による平和的かつ責任ある政府樹立後の占領軍撤退などが、主要な条項として掲げられた。

“Richmond, Virginia, USA – December 16th, 2012: Cancelled Stamp From The United States Featuring General Douglas MacArthur An American Hero And Recipient Of The Medal Of Honor.”

 

同年8月14日、日本政府は「ポツダム宣言」を受諾した。翌15日に天皇の「終戦の詔書」が発表された。8月28日から米軍が進駐を始め、日本軍の基地を接収していった。マッカーサー連合国最高司令官の日本到着は8月30日。そして9月2日、東京湾の米軍艦上で「降伏文書」が調印された。その要点は次のとおりである。

①日本軍の無条件降伏②敵対行為の停止③連合国最高司令官の命令などを日本政府官庁職員と陸海軍職員が遵守し、その内容を実施する義務④「ポツダム宣言」の条項の誠実な履行とそのための措置を日本政府がとる義務⑤連合国の捕虜と被抑留者の解放⑥天皇と日本政府の国家統治権の制限。

これにより、日本は「ポツダム宣言」の条項を「誠実に履行する」国際法上の義務を負った。「ポツダム宣言」と「降伏文書」は日本を拘束する法的効力を持った。連合国最高司令官の命令を日本政府官庁職員と陸海軍職員は遵守し、その内容を実施する義務を負った。

そこで、連合国最高司令官の命令に対応する、国内法上の措置が必要となった。連合国の日本占領管理は軍政(占領行政)方式ではなく、日本政府の機構を通じた間接統治方式だったからである。

「降伏文書」に、「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、本降伏条項を実施する為適当と認むる措置を執る連合国最高司令官の制限の下に置かるるものとす」とあるように、天皇と日本政府の国家統治権は、連合国最高司令官の下に置かれた。「制限の下に置かるる」は原文では「be subject to」で、「従属する」が正確な意味だ。しかし、日本政府は国内向けに降伏色を薄める意訳をしたのである。占領軍を「進駐軍」と呼んだのも同様である。

2.占領軍としての米軍の特権を保障

1945年9月2日の「降伏文書」調印と同じ日、連合国最高司令官は最初の命令を発した。「指令第1号」といい、日本の軍人・官吏・私人に対し、連合国最高司令官と連合国軍官憲の指示に服するよう命じ、日本軍に対して武装解除、軍事情報の提供、軍事施設と軍事物資の保全、捕虜と被抑留者の保護・輸送・解放などを命じたものだ。また日本政府に対し、連合国最高司令官の命令の規定を遵守しない行為や連合国に対する有害な行為には、厳重な制裁を加えるよう命じた。

連合国最高司令官総司令部(GHQ)は東京に置かれ、連合国最高司令官の命令が次々と出された。それらは軍事、政治、治安、経済、司法、社会、文化、報道、教育、宗教など多岐にわたり、日本の非軍事化と民主化、占領政策の実施に効果的に用いられた。

日本政府は連合国最高司令官の命令に応じる国内法上の措置として、1945年9月20日、緊急勅令「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件」を制定した。これにもとづき、日本政府は連合国最高司令官の命令に従い、その内容を実施するため、既存の法規の廃止、改正、新たな法規の制定など、国内法上の手続きをとらねばならなくなった。日本国憲法の施行前は、大日本帝国憲法による勅令などを、日本国憲法の施行(1947年5月3日)後は政令を、連合国最高司令官の命令に応じて制定していった。

「ポツダム宣言」──「降伏文書」──連合国最高司令官の「指令」や「覚書」などの命令──緊急勅令「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件」──同緊急勅令にもとづく勅令・政令など。この連なりを「占領管理法体系」という。

「占領管理法体系」には、日本の非軍事化・民主化・人権尊重の確立などの「戦後改革」につながったもの以外に、占領軍(実質的には米軍)の基地使用、物資や土地・建物や労務の調達、占領経費のための資金、出入国管理、税関、航空機の飛行などに関わるものもあった。それらは占領軍としての米軍の特権を保障する内容だった。

「指令第1号」では、その第10条に「一切の日本国の、及び日本国の支配下に在る軍及び行政当局は、連合国軍隊の日本国及び日本国の支配する地域の占領を援助すべし」とあるように、日本軍と日本政府に対し、連合国軍隊による占領を援助することが義務づけられた。

続いて9月3日には「指令第2号」が出され、日本政府に対し、連合国軍隊による占領を援助する具体的な措置として、占領軍が使用するための一切の「資源」(物的資源・人的資源)の提供を命じた。その「第4部 資源」の「総則」には、こう書かれていた。

「日本帝国政府は連合国最高司令官の委任を受けたる代表者又は各自の区域に於ける占領軍指揮官の指示する所に従い、連合国占領軍の使用の為必要なる一切の地方的資源を連合国占領軍の処分に委すべし」。

占領軍用の土地や物資や役務の調達などの業務を管轄していた政府機関、調達庁の『占領軍調達史』(1956年)は、この指令が根本的な法的根拠となり、「労務、住宅、建築物の要求、飛行場の整備方の要求等、占領軍の最初の『包括的調達要求』が行われ、占領軍の使用のため必要な一切の日本の資源は一応占領軍の自由な処分にまかせねばならないことになった」と説明している。

3.米軍に基地も資金も提供する日本政府

1945年9月25日には、「指令第2号」にもとづき連合国最高司令官の命令「日本に於ける物資調達に関する覚書」が発せられた。それによって、占領軍からの土地・建物・物資の調達要求は「調達要求書」を日本側当局に渡す方式に統一された。調達の手配は日本側がおこない、受領した占領軍の部隊は、その供給者に領収証を交付し、日本政府が供給者に支払いをする仕組みだった。

そして、占領軍の要求物資の調達に所有者や業者が応じない場合に備えて、日本政府からの強制的な収用命令を出せるための措置として、同年11月17日に勅令「要求物資使用収用令」が制定された。これによって、主務大臣または地方長官は連合国最高司令官の要求を充たすために、「特に必要ありと認むるときは要求物資を収用」できることになった。収用物資に対する補償金などは政府が支払った。

土地・建物に関しても、国有財産や地方公共団体の財産の提供だけでは不足なので、「調達要求書」により日本政府が民有の土地・建物などの所有者との間に賃貸借や売買の契約を結び、使用権を取得して提供する方式がとられた(『占領軍調達史』)。

賃貸借や売買の契約ができない場合に備え、日本政府は必要な土地・建物を強制的に使用し、所有者に保障金を支払う際の措置として、同年11月17日に勅令「土地工作物使用令」を制定した。

占領の経費も日本政府が負担して提供しなければならなかった。「指令第2号」にもとづき連合国最高司令官の命令「占領軍の資金に関する覚書」(1945年9月4日)が発せられ、日本政府に対し占領軍が必要とする資金を日本円で提供するよう命じた。

占領下、日本政府は外国人の出入国を管理できず、それはGHQの権限とされたが、1949年6月22日の連合国最高司令官の命令「入国者係官設置に関する覚書」により、徐々に出入国管理の業務が日本側に移管されることになった。

そのため日本政府は49年8月10日、「出入国の管理に関する政令」を定めた。だが、「公務のため出入国する占領軍の軍人および軍属ならびにこれらの家族を除く」という適用除外の規定が盛り込まれ、米軍人・軍属・これらの家族の出入国には、日本政府の管理は及ばないままだった。

1950年2月20日には、連合国最高司令官の命令「税関、入国及び検疫に関する覚書」により、出入国管理と税関と検疫を日本政府が担うことになった。しかし、占領軍の要員・貨物・船舶・航空機はやはり適用除外とされ、日本側の出入国管理、税関検査、検疫は及ばないことに変わりなかった。米軍は日本側の出入国管理や税関検査や検疫を受けることなく、自由に出入りできたのである。米軍にとって日本の国境は存在しないも同然だった。

米軍航空機の飛行に関しても、1952年3月10日の連合国最高司令官の命令「航空機の日本入国・退去・通過及び飛行の取締緩和に関する覚書」で、有利な扱いが保障された。それまでは外国航空機の日本への入国、日本からの退去、日本通過、日本国内飛行に関してすべてGHQの管轄だった。だが、一定の条件のもとに日本政府に取り締まりの権限を移管することになった。しかし、米軍機などはその適用除外とされ、日本への出入り、日本国内での飛行も従来どおり自由にできると規定された。

この覚書を受けて日本政府は、1952年3月31日、「航空機の出入国等に関する政令」を制定した。日本入国、日本退去、日本通過、日本国内飛行をする外国航空機は、「連合国占領軍の用に供する航空機」と「定期航空運送事業の用に供する航空機」を除いて、「航空庁長官の許可を受けなければならない」と定めた。つまり、占領軍としての米軍機は適用除外なのである。また、航空会社の運航する定期便もいちいち航空庁(後の運輸省航空局)長官の許可を受ける必要はないとされた。

 

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吉田敏浩 吉田敏浩

1957年生まれ。ジャーナリスト。著書に『「日米合同委員会」の研究』『追跡!謎の日米合同委員会』『横田空域』『密約・日米地位協定と米兵犯罪』『日米戦争同盟』『日米安保と砂川判決の黒い霧』など。

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