【連載】福島第一原発事故とは何であったのか(小出裕章)

第2回 福島原発事故の経緯

小出裕章

・福島第一原子力発電所

東京電力福島第一原子力発電所は福島県の南北のほぼ中央、太平洋岸に立地していた。その場所は、太平洋から切り立った海抜35mほどの平坦な大地で、戦争中は少年兵の訓練用の飛行場となっていた。1号機から6号機まで合計6基の原子炉があった。このうち1号機から4号機は、福島県双葉郡大熊町に立地していた。5号機、6号機は、町の境界を越えた北側の双葉町に建てられていた。さらにその北側には7、8号機の用地として広大な敷地があった(図3参照)。

福島第一原発1号機は日本で4番目に古い原発で、1971年3月26日に運転開始した。当時日本は原子力についてはほとんど知識を持たず、1号機は沸騰水型原子炉(BWR)を用いた原発で、米国ジェネラルエレクトリック社(GE社)に作ってもらった。

米国の原発の多くは河川に面して立地しており、津波に対する考慮は不要であった。そのため、もともとは海抜35mの高台だった場所を削り、海抜10mにした場所に原子炉建屋を立てた。さらに原子炉を冷やすために海水をくみ上げる必要があり、そのポンプは海抜4mまで削った場所に設置された。

福島第一原発も含め、東北地方の太平洋岸は昔からたびたび津波に襲われてきた。もし福島第一原発が津波に襲われれば、原子炉建屋のある10m盤にも津波が到達する恐れがあったし、冷却用の海水をくみ上げるポンプがある4m盤は簡単に水没してしまう。その危険を東京電力はもちろん知っていた。

その上、政府の地震予知研究推進本部は、福島第一原発の敷地には15.7mの津波が来る可能性があると警告していた。そのことは、東京電力社内でも認識されていたし、会長、社長、原子力本部長など幹部たちも知っていた。しかし、そのための対策を立てようとすると巨額の費用が掛かるとして、対策を先延ばしした。

・運命の日

2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生した。その地震の規模はマグニチュード9であった。マグニチュードとは地震が起きた時に放出されたエネルギーを尺度にして測られる。マグニチュード9の地震が発生したエネルギーは広島原爆が放出したエネルギーの3万発分に相当する。

人間の力ではとても生み出すことのできない巨大地震であり、それによって東北地方から関東地方の広大な地域が、多様な被害を受けた。多数の建物が倒壊し、送電線の鉄塔も倒壊した。本論から少し脱線するが、その鉄塔(夜ノ森27号鉄塔)は敷地を造成するために削られた土で盛り土した場所に建てられていた。余りに杜撰で配慮のない工事にびっくりする。

その上、その地震は巨大な津波も引き起こした。その地震と津波によって東北地方、関東地方の太平洋沿岸の市町村が壊滅的な打撃を受け、2万人を超える人々が命を奪われた。「東日本大震災」と呼ぶにふさわしい巨大な災害であった。しかし、その震災はそれだけでは済まなかった。福島第一原子力発電所もまた地震と津波に襲われた。

福島第一原発事故(以降「フクシマ事故」と表記する)では、まず原子力推進派の予想を超える巨大地震に襲われた。それでも、原子炉は彼らの期待通り核分裂反応を停止することに成功した。しかし、崩壊熱を冷やし続けなければ、原子炉は熔けてしまう。崩壊熱を冷やすためには冷却水を送る必要がある。冷却水を送るためにはポンプが動かなければならない。ポンプを動かすためには電気が必要である。

しかし、原子炉自体はすでに運転を停止しており、自分で電気を起こすことはすでにできなくなっている。また、敷地の外では送電線の鉄塔が倒壊してしまい、外部から電気を得ることができなくなった。そして彼らの期待通り非常用発電機が動き出して、所内の機器に電気を供給した。ポンプも稼働し、崩壊熱を冷やすための冷却水も送られた。

ところが、地震は津波も引き起こし、約1時間後に襲ってきたその津波によって非常用発電機が海水に飲まれ、動けなくなってしまった。

自分自身は発電できない、外部からの電気も得られない、非常用発電機も動かないという状況に陥った。それを全所停電、ブラックアウトと呼ぶ。ブラックアウトは原発が大事故を起こす最大の要因であることは多くの事故専門家が認識していた。

しかし、原子力推進派は、ブラックアウトが30分以上続くような事態は想定しなくてよいとしていた。しかし、彼らの願いはかなえられず、ブラックアウトは長時間にわたって続き、原子炉は為す術なく熔け落ちていった。

・格納容器の損傷と水素爆発

原子炉の中心は炉心と呼ばれる。そこには燃料であるウランが詰められているが、それはペレットと呼ばれる直径約1㎝、高さ約1㎝の瀬戸物に焼き固められ、燃料棒被覆管と呼ばれるジルコニウム合金製パイプの中に詰め込まれている。瀬戸物は耐熱性に優れ、熱をかけても普通は熔けない。ウランのペレットの場合2800℃を超えなければ熔けない。

しかし、ジルコニウムは900℃を超える温度で、周囲に水があると、ジルコニウム―水反応と呼ばれる化学反応を起こし、水素を発生する。そしてこの反応は発熱反応であるため、一度この反応が始まると、反応が加速度的に進展し大量の水素が発生する。

フクシマ事故の場合、緊急炉心冷却装置が動かなくなったため、炉心の温度が上がり、ジルコニウム-水反応が起こり、それによってさらに炉心が高温になり、ウランペレットが熔けてしまった。炉心は鋼鉄製の原子炉圧力容器中にあるが、炉心が熔けてしまえば、圧力容器の底に流れ落ちる。鋼鉄は1400℃から1500℃で熔ける。当然、原子炉圧力容器の底が抜け、熔けた炉心は原子炉格納容器の床に落ちた。

床はコンクリートでできており、熔け落ちて来た炉心と激しく反応し、一酸化炭素など可燃性のガスを大量に生成した。

 

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小出裕章 小出裕章

1949年生まれで、京都大学原子炉実験所助教を2015年に定年退職。その後、信州松本市に移住。主著書は、『原発のウソ』(扶桑社新書)、『原発はいらない』『この国は原発事故から何を学んだのか』『原発ゼロ』(いずれも幻冬舎ルネッサンス新書)、『騙されたあなたにも責任がある』『脱原発の真実』(幻冬舎)、『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』(毎日新聞出版)、『原発事故は終わっていない』(毎日新聞出版)など多数。

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