【連載】ヒューマン・ライツ紀行(前田朗)

第2回 熊本地震とネット上の朝鮮人差別書き込み ―行橋市議ヘイト・スピーチ事件裁判一審判決―

前田朗

・市議によるヘイト・スピーチ

2022年3月17日、福岡地裁小倉支部は行橋市議ヘイト・スピーチ事件裁判について原告の請求を棄却する判決を言い渡した。

福岡地裁小倉支部

 

ヘイト・スピーチ裁判と言えば、京都朝鮮学校襲撃事件や李信恵・反ヘイト裁判が有名である。被害者が勇気を振り絞って、加害者を相手に裁判を起こし、苦労の末に漸く判決に漕ぎつけるのが普通だ。

ところが、本件では構図が逆転している。

原告の小坪慎也・行橋市議は「ヘイト・スピーカー」として知られる。

被告は行橋市と徳永克子・行橋市議である。徳永市議らが小坪市議非難決議を準備し、市議会で全会一致の決議採択に至った。それが名誉毀損として訴えられたのだ。

行橋市役所

 

16年の熊本地震のさなかインターネット上に「朝鮮人が井戸に毒を投げた」といった無責任な書き込みがなされた。朝鮮人に対する悪質なヘイト・スピーチである。ところが、小坪市議のコラム「『朝鮮人が井戸に毒』に大騒ぎするネトウヨとブサヨどもに言いたい!」(以下「小坪コラム」)は、ヘイト・スピーチを擁護し、さらに拡散させるものだった。

小坪コラムは「まず結論から述べるが、『朝鮮人が井戸に毒を入れた』というデマが飛び交うことに対しては仕方がないという立場である」と始まる。

「私は、災害時において外の人を恐れるのは仕方ないし、当然のことだと受け入れている。極限状況になればそうなることが自然だと考えるためだ。疑われるのは『外の人』である。もっとも身近な外の人が朝鮮人というだけだろう」。

「極限状況下においては暴発リスクが高いと推定されるからだろう。やぶれかぶれになって何をするかわからない」。

小坪コラムの結論は「自警団も組むべきだろう。やるべきだと考える。……しかし、疑心暗鬼から罪なき者を処断する・リンチしてしまうリスクも存在する。そうなって欲しくないが、災害発生時の極限状況ゆえ、どう転ぶかはわからない」という。

熊本地震のさなかに「地震、災害時、緊急時、朝鮮人、井戸、毒、自警団、リンチ」という言葉が躍った。誰もが1923年9月の関東大震災朝鮮人虐殺(関東大震災ジェノサイド)を想い起した。同様のことは阪神淡路大震災や東日本大震災の際にも見られた。

心ない人物が地震のどさくさに乗じてオンラインで朝鮮人差別と排外主義の書き込みをする。差別落書きに対して、差別を止めるように制止し、読者に注意を喚起しなくてはならない。

・驚きの逆切れ訴訟

この非常識な差別煽動に福岡県の市民たちが抗議の声を上げ、福岡県弁護士会に人権侵害事件として申立てた。小坪市議はヘイト・スピーカーとして有名になった。

小坪市議はインターネット上で自身の政策やアイデアを発表してきたが、他の件でも物議をかもす発言を続けたため、行橋市議会は「議員としての自覚や品格を持つ」ように求める非難決議を全会一致で採択した。

19年12月、小坪市議が名誉毀損・謝罪要求の裁判を起こした。被告は行橋市と徳永克子市議である。行橋市議会が小坪市議非難決議をしたので名誉毀損だという。決議案を準備した一人である徳永市議も被告にされた。全会一致の決議にもかかわらず、なぜか徳永市議だけが訴えられた。

足掛け4年に及ぶ裁判では事実関係と法律論をめぐって多様な論点が争われたが、小坪コラムがヘイト・スピーチに当たるか否かが重要争点の一つであった。

勝利判決報告集会①

 

筆者は、裁判の最終段階で徳永市議の代理人(弁護士)から依頼を受けてヘイト・スピーチに関する「意見書」を裁判所に提出した。筆者がヘイト・スピーチ訴訟で意見書を裁判所に提出したのは、上記の京都朝鮮学校襲撃事件と李信恵・反ヘイト裁判に続いて3度目である。
4万字を超える意見書の詳細を紹介することはできないが、報告書の要点は次の4つである。

第1に、16年のヘイト・スピーチ解消法など、日本におけるヘイト・スピーチの定義に照らして、小坪コラムはヘイト・スピーチに該当する。法制定直後に法務省人権擁護局内「ヘイト・スピーチ対策プロジェクトチーム」が公表した「『本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律』に係る参考情報(その2)」における3類型を参考に検討し、小坪コラムのヘイト性を確認した。

第2に、国際人権法におけるヘイト・スピーチの定義に照らして、小坪コラムはヘイト・スピーチに該当する。①西欧諸国の立法例、②1966年の国際自由権規約第20条2項、③その解釈基準である2013年の国連人権高等弁務官事務所の「ラバト行動計画」、④1965年の人種差別撤廃条約第4条、⑤2013年の人種差別撤廃委員会の「一般的勧告35号」、⑥20年の国連事務総局作成の「国連ヘイト・スピーチ戦略・行動計画」に照らして検討した。

第3に、歴史的な重大人権侵害の事実を否定し、正当化する「ホロコースト否定犯罪」の視点に照らして、小坪コラムは悪質な歴史修正主義である。

第4に、公人の責任の考え方を紹介した。影響力の大きい公人はヘイト・スピーチを行ってはならず、逆にヘイト・スピーチを非難するべきである。

小坪コラムはヘイト・スピーチである。マイノリティを差別し、排除する。関東大震災の記憶を継承する在日朝鮮人にとっての苦痛は計り知れない。ヘイト・スピーチは社会を分断し、安全と安心も損なう。それゆえ、行橋市議会決議は正当であり、徳永市議は市議としての責任を果たしたと言える。

・公人はヘイト・スピーチを非難すべきである

小坪市議は公人である。公人によるヘイト・スピーチは特に悪質である。一般市民よりも影響力が大きいからである。公人に求められるのはヘイト・スピーチを非難することである。

アメリカでアジア系住民に対するヘイト事件が起きるや、バイデン大統領が現地に飛んで、ヘイト非難の演説をしたことは日本でも繰り返し報道された。その結果、アメリカではCOVIDヘイト・クライム法が制定された。

西欧諸国でもメルケル元独首相、マクロン仏大統領、ジョンソン英首相らによるヘイト非難発言を見ることができる。

18年8月、人種差別撤廃委員会は日本政府に「公人がヘイト・スピーチを非難しているか」と質問した。日本政府は本件事実を把握していなかったようで、質問に答えることができなかった。

行橋市議会は適切にも小坪市議に議員としての自覚と品格を求めた。徳永市議は小坪市議による訴訟提起に毅然と応訴して、「ヘイト・スピーチは公人として許せない」とヘイト・スピーチの不当性を訴えた。その結果、福岡地裁小倉支部判決で全面勝訴を勝ち取った。人種差別撤廃条約の趣旨に合致した実践と言える。

勝利判決報告集会②

 

判決は、徳永市議が「本件決議案の内容が真実であると信じるにつき相当な理由があったと言えるか」につき検討し、相当な理由があったと認定した。それゆえ過失がなく、不法行為は成立しないと判断し、原告・小坪市議の損害賠償請求は理由がないとした(前田朗「『公人の自覚』促した被告が勝訴」『週刊金曜日』、2022年4月1日号)。

一審判決に対して小坪市議が控訴したため、本件は福岡高裁に係属することになった。徳永市議と弁護団の闘いが続く。

前田朗 前田朗

(一社)独立言論フォーラム・理事。東京造形大学名誉教授、日本民主法律家協会理事、救援連絡センター運営委員。著書『メディアと市民』『旅する平和学』(以上彩流社)『軍隊のない国家』(日本評論社)非国民シリーズ『非国民がやってきた!』『国民を殺す国家』『パロディのパロディ――井上ひさし再入門』(以上耕文社)『ヘイト・スピーチ法研究要綱』『憲法9条再入門』(以上三一書房)『500冊の死刑』(インパクト出版会)等。

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