【連載】鑑定漂流ーDNA型鑑定独占は冤罪の罠ー(梶山天)

第43回 鑑定人尋問が始まる前から鑑定する肌着の分配で火花

梶山天

2008年も残すところわずか1週間。12月24日。世の中は、クリスマスイブでケーキを買う人々で商店街はあふれていた。東京高裁(田中康郎裁判長)は、再審請求即時抗告審でDNA型再鑑定を正式に決定した。菅家利和さんが足利事件の犯人として逮捕されてから17年になる。菅家さん本人も、弁護団も待ちに待った吉報だった。ところが、関係者が集まって一定のルールなどを決める鑑定尋問が開かれる前から早くも前途多難な様相を見せていたのである。

年が明けて水面下で鑑定手続きが進められたが、これは普通の鑑定では例のないことだった。09年1月7日ごろのことだ。筑波大学の本田克也教授の自宅に1通の封書が郵送された。送り主は東京高裁の岡田博子書記官だった。怪訝(けげん)に思いながら封を開けると、警察庁の科学警察研究所(科警研)が足利事件で行った1991年11月25日付の古い科警研鑑定書(以下、旧鑑定書)だ。

本田教授は、大阪大学助教授時代から幾度も裁判所嘱託のDNA鑑定を経験している。なぜ、鑑定人の承諾もなく突然に、その目的の説明もなく旧鑑定書を送ってきたのか、本田教授には理解できなかった。十数年を経てようやく、その内容の真偽を検証するようになったものだ。鑑定尋問の際に、関係者が集まる中で、再鑑定の目的を説明した後、初めて鑑定人に出すべきはずのものなのだ。

再鑑定の前に裁判所は何かに動かされているのではないか。そう感じながら旧鑑定書をめくった本田教授は添付された写真を見て驚いた。MCT118部位のバンドが大きく歪んでいるばかりか、肉眼では見えづらい上位バンドにわざわざ赤点が付けられている。こんなものが証拠として認定されたのか。思わず呆れてしまった。

3日後の10日、「科警研の鑑定書はご覧になりましたか」と、岡田書記官が本田教授の携帯に電話をかけてきた。科警研の結果に逆らわず先入観を持たずにやれということなのか感じていた本田教授はいささかムッとしつつ「(旧鑑定書を)まだ詳しくは見ていませんが」と応えた。岡田書記官はそれ以上言及せず、「試料の分け方について細かい取り決めをしたいのですが」と別の話題を振った。

本田教授は「どういうことですか」。岡田書記官「鈴木(廣一)先生にも電話しましたが、『試料の取り方は裁判所が決めればいいので、鑑定人に聞くのはおかしい』と反発されました。鑑定に使える箇所が非常に限定している事情を説明したところ、旧鑑定で使った穴の開いた部分の周囲をわずかに切り取り、シャツの下端部を対象として取ってはどうか、ということを提案されました。そういう方法でどうでしょうか。鈴木案をファックスで送ります」。

本田教授の記憶からだが、この日から13、14、16日ごろと計4回も鑑定人尋問前に岡田書記官から電話がかかってきて鑑定手続きを話し合うことになってしまったのだ。

鑑定人尋問の際に本田克也教授が選んだ半袖下着の半分

 

鈴木案のファックスを見て本田教授は岡田書記官に折り返した。「旧鑑定で使った部分の周囲が試料として適切であるか、どうか分からないし、なぜ、たったそれだけの小さな試料しか分けないのですか。試料をできるだけ残して、再々鑑定を行う予定でもあるのですか?」。岡田書記官「そういう予定はありません」。

本田教授「このような小部分では、正しく鑑定できるか、どうか分かりません。できる限り多くの部分から鑑定したい。実際に試料を見てから決めるのではだめですか?」。

岡田書記官「当日、現場であたふたもめては困るので、ある程度は決めておきたいのです。とりあえず、シャツを切るのは鈴木先生にお任せしてよいですか」。

なぜ鈴木教授を優先するのだろうという印象を本田教授は感じた。両鑑定人は本来、平等な立場であるはずだ。本田教授は苦肉の策として次のように提案した。

「鈴木先生のみに有利な配分では困りますし、鑑定を成功させたいなら、何にせよ物理的に半分にするのが一番公平だと思います。公平性が保たれるようにこうしましょう。鈴木先生にどちらを取っても公平と思われるようにシャツを等分してもらいます。どちらを取るかの選択権は私が最初です。鈴木先生が公平と思うところで切ったなら、この方法なら、鈴木先生も同意されると思いますが」。

岡田書記官は「分かりました。それでよいか、どうか鈴木先生に相談してみます」と言って電話を切ったが、本田教授は改めて奇妙な感覚にとらわれた。

旧鑑定が誤っていたか、どうかを鑑定するのになぜ、旧鑑定に依拠した試料の取り方をするのか。それも、ほんのわずかな部分しか取らないとはどういう了見だ。こういう提案は、古い試料を鑑定することの難しさを知らない者が考えることだ。試料をどう分ければ最適か、それは専門家しか分からない。今の電話内容は、裁判官の職権を超えている。鈴木教授も不満を持っているというのが本当だとすれば、旧鑑定に関わった「自称専門家」の誰かが後ろで助言しているのではないか……。それは果たして誰なのか。再鑑定の嘱託を受けたばかりにもかかわらずあまりにも細かい裁判所の介入に、再鑑定が自分が思うほど容易にはいかないことを予想させる鑑定への不安が本田教授の頭をもたげた。

最後の16日ごろには、岡田書記官が「鑑定までにどれくらい期間がかかる見通しですか」と聞いてきた。本田教授は「それはやってみなければ分からない」と答えると、岡田書記官は「鈴木先生は最低3ケ月は必要とおっしゃっていますが」という。そこで本田教授は「急ぐ必要があるのですか?それはうまく進んだ場合だけ。実際には、4ケ月から半年ほしいところですが。3ケ月でやれと言われればとりあえず目標にしたい」と答える。

さらに岡田書記官は「なお尋問当日、請求人から口腔粘膜を取るキットを用意してほしい。裁判所では分かりわかりませんので」と言われ、本田教授は「こちらにもないが、取り寄せてみる」と答えた。

1月23日金曜日の午後、鑑定人尋問に出頭するため、本田教授は栃木県下野市に向かった。自治医科大学では、法医学教室の岩本禎彦教授の立ち会いのもとに田中裁判長と岡田書記官、検察官と弁護人各2人、そして本田、鈴木鑑定人が顔を揃えた。本田教授が部屋に入ると、法廷のように、コの字型に机が配置され、鈴木教授が腰を下ろしていた隣の席に本田教授は座った。

「皆さんお揃いですか」と田中裁判長が声を掛けた直後に鑑定人2人に鑑定嘱託書が渡された。それから「何か質問はありませんか」と鑑定人は聞かれた。「鑑定事項に『遺留精液付着下着』とありますが、この肌着には精液が付着していることを前提にしていいのですか。それとも、それを確かめる必要がありますか」と鈴木教授が口火を切って尋ねると、「前提にして結構です」と田中裁判長は応じた。

肌着の配分になった。半紙くらいの大きさのビニール袋から、畳まれた肌着が取り出された。鈴木教授は滅菌ハサミを手にし、穴のところが半分になるように肌着を切った。切り分けた肌着は、それぞれ、トレーの上に広げて置かれた。

「それでは私から取ります」。まず、本田教授が左側を取った。一瞬だが、肌着を見た時に左側の方が小さい薄い緑色をしたコケのようなものが生えている量が多いことに気が付いたからだ。精液には、タンパク質、糖分、カルシウムやカリウム、マグネシウムなど多くの栄養素が含まれており、コケヤカビが生えやすい。残りの右側を鈴木教授が受け取った。

「鑑定までにどれくらい必要ですか。鈴木先生は、最低3ケ月は要るということですが」との田中裁判長の問いに、本田教授は「やってみなければ分かりません。もう少し余裕が欲しいところですが、できないというわけではありません」と答えた。「ではとりあえず、鑑定書提出は4月末を目途にということでお願いします」と裁判長は要望した。少し短すぎると思ったが、鈴木教授は了解している。本田教授は仕方なく「それを目標にやってみます」と応じた。

「それでは、お互いに連絡を取り合いながら鑑定をやってください」。思いもかけない田中裁判長の言葉に驚いた本田教授は返答できなかったが、それまで黙っていた鈴木教授が口を開いた。「分かりました。でも、使う機器も方法も同じはずなので、結果も同じですわ。それしかありませんからね」。

鈴木教授の発言は、検察の意見書にあった縛り(市販の試薬を用いたSTR鑑定のみ)とも受け取れた。そう告げた鈴木教授の意図を本田教授は測りかねた。鑑定方法は決まっていないのに「使う機器も方法も同じ」となぜ言えるのか。田中裁判長と鈴木教授のやり取りにも違和感を感じた。「連絡を取り合いながら」とは、どういうことか。相談しながらやることになると、鑑定の独立性と中立性がなくなるのではないか。

少なくともこちらから先に鈴木教授に連絡を取ることはやめよう、と本田教授は決意した。その時、佐藤博史弁護士が確認するように「MCT118法だけはぜひやってほしい。少なくとも菅家さんのだけでもいいですが。できても、できなくても」と2人の鑑定人に求めた。

「分かりました。できる限りのことはやってみます」。本田教授はそう答えたが、鈴木教授は黙って下を向いたままだった。田中裁判長と検察官らは反論が出なかった。その様子に、おそらく鈴木教授はMCT118法をするつもりはないだろう、と思った。セットアップなしにいきなり行うには難しい検査だし、今はもう検査価値もない。検察官も意見書では、反対していたが、この鑑定人尋問では、否定しなかった。MCT118法を行ってもよいということだろう。

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梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

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