【特集】終わらない占領との決別

見果てぬ夢を次代につなぐ(後)

岡田元治

4.沖縄を売り渡した「天皇メッセージ」

それにしても、である。この屈辱の国に生きる人間として言わずにいられないのは、目的や経緯がどうであったにせよ、結果的に、沖縄を、ひいては日本全体を米軍に(米国に、ではない)売り渡した昭和天皇は、恨んでも恨みきれないということだ。これは戦後を生きてきたわれわれだけの問題では当然ない。沖縄の哀しみ悔しさは言うに及ばず、日本中がこの屈辱の下(もと)を生きていかなければならないのである。本当に悔しくて言葉を失う。

Hachioji, Japan – July 24, 2016: Emperor Showa’s tomb in Hachioji, Japan. Emperor Showa also called Hirohito was the father of the present Japanese emperor, Akihito.

 

この本を手にとる読者はおそらく「天皇メッセージ」をご存知のことと思うが、確認のためにあげておく。以下は沖縄県公文書館(https://www.archives.pref.okinawa.jp/)の掲載内容である(資料ページはhttps://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/4730)。

沖縄県公文書館

 

1947年(昭和22)9月19日、宮内府御用掛寺崎秀成は対日理事会議長兼連合国最高司令部外交局長ウィリアム・ジョセフ・シーボルト(正しくはシーボルド──引用者、以下同じ)を訪問し、米国による沖縄の軍事占領に関する天皇の見解を伝えました。

シーボルトはその内容をまとめ、同月20日付で連合国最高司令官に、同月22日付で米国国務長官に報告しました(General Records of the Department of State, Central File, 1945-49,Box No.7180 Folder No.1(シーボルトから米国国務長官に宛てた文書 0000017550)。

内容は概ね以下の通りです。
(1)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。
(2)上記(1)の占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき。
(3)上記(1)の手続は、米国と日本の二国間条約によるべき。

メモによると、天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしています。

1979年(昭和54)にこの文書が発見され、象徴天皇制の下での昭和天皇と政治の関わりを示す文書として注目を集めました。天皇メッセージをめぐっては、日本本土の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする議論や、長期租借の形式をとることで潜在的主権を確保する意図だったという議論などがあり、その意図や政治的・外交的影響についてはなお論争があります。
(参考文献:宮内庁『昭和天皇実録第十』、2017年)。

沖縄県公文書館の資料にある「その意図や政治的・外交的影響についてはなお論争があります」というのは右の(2)にある「占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき」という表現の解釈に関する議論で、たしかに「長期租借の形式をとることで潜在的な日本の主権を確保する意図であった」とする見方はある。

また実際にサンフランシスコ講和条約(1951年9月:連合国48か国との間に結ばれた対日平和条約)において日米間の租借案は拒否されたらしいが、連合国の代表は米国にほかならず、結果的には、メッセージに書かれているとおり25年50年をすぎて、75年後のいまもつづく永続的な基地になってしまっている。現代の屈辱に生きるわれわれにしてみれば「このメッセージがきっかけでしょ!」と思わざるを得ない。

ちなみに、https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/4730 の画像をクリックすると、シーボルド外交局長がマッカーサー司令官と国務長官に宛てた書簡がそれぞれ出てくるのだが、9月20日付のマッカーサー宛て連絡文(memorandum)の原文(といっても、宮内府御用掛寺崎氏が伝えたメッセージの英訳だが)は“The Emperor further feels that United States military occupation of Okinawa (and such other islands as may be required) should be based upon the fiction of a long-term lease—25 to 50 years or more—with sovereignty retained in Japan”である。

“based upon the fiction of a long-term lease”の fiction は法律用語で「擬制(ある事実を実際はそうでなくても法律上そうであると仮定すること)、見做(な)すこと』とあり、ニュアンスとしては「長期租借を装った」または「見做しの長期租借による」である。

つづく“with sovereignty retained in Japan”だが、これはretain(保持する・維持する)の主体が曖昧なため解釈が厄介である。retainの主体をJapanとし、かつsovereignty(主権または統治権)を「主権」ととれば、「日本の主権を残したまま」ということになるが、retainの主体を「米軍」、sovereigntyを「統治権」ととれば「日本における米軍の統治権を維持したままで」となる。

つまり、繰返しになるが【retain の主体が日本、sovereigntyが主権】であれば、沖縄公文書館に載っている訳文のとおり「天皇は、沖縄(および必要なその他の島)の軍事占領が、日本の主権を残したまま(25年ないし50年あるいはそれ以上の)長期租借を装ったものになることを希望している」と解釈できるが、【retain の主体を米国、sovereignty を統治権】ととれば「天皇は、米国による沖縄(および必要なその他の島)の軍事占領が(占領軍の継続的)統治権を伴う、(25年ないし50年あるいはそれ以上の)長期租借を装ったものになることを希望している」となり、この重大な一文の解釈はかなり違ってくる(日本の現状は後者そのもの)。

明確に「日本の主権」をいうのであれば、その英語表現は“with sovereignty retained by Japan”または“with sovereignty of Japan”にするのではないだろうか。“with sovereignty in Japan”という英語表現と『日本の主権を残したままの』という邦訳には、意図的な曖昧さを感じる。

私は、若い頃に3年ほど協定・憲法等の翻訳経験を積んだが、いわゆる外交文書や政治文書に通じていないため〝故意に曖昧さを残す〟テクニックには詳しくないが、対日理事会議長・連合国軍総司令部における国務省代表という1947年当時のシーボルドの肩書を勘案すると、天皇メッセージの伝達表現はとても重い。

ウィキペディアの『ウィリアム・ジョセフ・シーボルド』の項はかなり興味深かった。氏の著書“With MacArthur in Japan: A Personal History of the Occupation”(邦訳版『日本占領外交の回想』)はいつか読んでみたい。

また、9月22日付の国務長官宛て書簡には「the Emperor of Japan hopes that the United States will continue the military occupation of Okinawa and other islands of the Ryukyus, a hope which undoubtedly is based upon self-interest.」とあり、シーボルト局長は、寺崎を通じた天皇の希望を「疑いなく自らすなわち天皇の利益を期すためのもの」と伝えている。

self-interest とは、やはり言われているように「米軍の占領継続によって共産化の盾にすること」だったのだろうか(象徴天皇の地位を定めた新憲法の公布は、このメッセージの前年1946年11月3日であるから、たまにいわれるように翌1948年の11月に結審した極東軍事裁判における自らの訴追を回避するためのものではなかったかもしれない)。

「天皇メッセージ」の発見者である進藤榮一氏も「占領軍内部も軍事化と民主化に意見が分かれていた。そこに天皇メッセージが出て、米軍における沖縄の位置づけが、反共拠点としての要塞化へと明確化していった。それがこのメッセージの歴史的意義だ」と分析している。翌48年2月に「南朝鮮、日本、琉球、フィリピン、それに可能なら台湾を含めて反共防衛線をつくるべき」という2度目の天皇メッセージが届けられたことからも、これはそういうことなのであろう。

まったく〝やれやれ〟というしかない。連合国軍の最高司令官に向かって「自分の身はどうなってもいい。戦争の責任はすべて自分にある」と潔く述べたと教えられてきた状況の内実はこれだったのだ。これを知って、それまで〝右寄り〟であった私は、昭和天皇に対する尊敬と誇りを、残念ながら失ってしまった。

こんなことを書くと、天皇という文字に弱いこの国の人びと、とくに右方面からは袋叩きにあうだろうが、同時代の人間のご多分に漏れず司馬遼太郎(今にして思えば歴史家などではなく小説家)を読んで大人になり、明治維新大好き、明治大好きで生きてきて、30代半ばに〝右側の扉〟から歴史の旅に出た〝元右寄り人間〟の、情けない怨み節と思って聞き流してもらいたい。

 

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岡田元治 岡田元治

独立言論フォーラム・代表理事。1955年京都市生まれ。横浜の全寮制(当時)、山手学院中・高等学校を経て、早稲田大学商学部卒。翻訳・編集・広告制作で修行ののち、1987年、32歳のときに独立創業し、現在はIT関連事業(東京)および自然放牧場(岩手)を運営。嘘にまみれたマスコミ情報空間、歪んだ対米関係・国際関係、壊れゆく組織、当たり前の理屈が通らない世の中等々に憤りつつ、負けっぱなしの日々を送る。事実好きの酒好き。 

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