2022年2~5月のウクライナ戦争を終わらせることができた会談:『フォーリン・アフェアーズ』が語る真実
国際写真:2022年3月、イスタンブールでのロシアとウクライナの交渉官会談
ウクライナ大統領報道部 / ロイター
(出所)https://www.foreignaffairs.com/ukraine/talks-could-have-ended-war-ukraine
『フォーリン・アフェアーズ』のサイトにおいて、2024年4月16日、2022年2月24日にはじまったウクライナへのロシアによる全面侵攻開始から4日後にスタートしたウクライナとロシアとの複数回にわたる和平会談の内容が明らかにされた。ウラジーミル・プーチン大統領は戦争を終結させる協定がテーブルの上にあったにもかかわらず、ウクライナ側は西側の後援者からの圧力と、ロシアの軍事的弱点に対するウクライナ自身の思い上がった思い込みが重なって、協定から手を引いてしまったと主張している会談の詳しい内容がアメリカ側の情報としてはじめて報じられたことになる。
双方は2022年3月末までに、ベラルーシとトルコで行われた一連の直接会談とテレビ会議によって、いわゆる「イスタンブール・コミュニケ」が作成された後、両国の交渉担当者は条約文の作成に取りかかり、合意に向けて大きく前進していたことが確認された。しかし、同年5月、交渉は決裂した。「ウクライナ戦争を終わらせることができた会談」というタイトルが物語っているように、本当はウクライナ戦争を早期に終結させることが可能だったのだ。それでは、なぜこの和平交渉はまとまらなかったのか。そこには、戦争終結よりも安全保障秩序を優先させた米英政府の大きな過ちがあった。米政府に配慮しながら書かれた報道だから、必ずしも中立的に書かれた記事ではないが、その内容を詳しく紹介するだけの価値はあると判断し、ここに紹介することにしたい。
なお、この和平会談についての詳細は欧米や日本のマスメディアではほとんど語られていない。本当の内容を報じれば、和平を実現させなかったウクライナやロシアだけでなく、軍事支援に傾いたジョー・バイデン大統領やボリス・ジョンソン首相(当時)への厳しい批判が巻き起こりかねないからである。
私は2023年12月2日に実施した「平和のための学習会 塩原俊彦さんが語る「ウクライナ戦争をどうみるか」向けに用意したスライド(下を参照)を使って、とくにバイデン大統領を批判した。2024年1月に行った岩上安身とのインタビューでも、このスライドを使って、説明したことがある。
和平会談の推移
最初の和平会談は2022年2月28日、ベラルーシとウクライナの国境から50キロほど離れたリアスカビチ村の近くにあるルカシェンコの広々とした別荘ではじまった。ウクライナの代表団は、ゼレンスキーの政党の議会指導者であるダヴィド・アラハミヤを団長とし、オレクシイ・レズニコフ国防相、マイハイロ・ポドリャク大統領顧問、その他の高官らが参加した(肩書は当時)。ロシアの代表団は、ウラジーミル・メディンスキー大統領上級顧問が率いた。また、国防副大臣や外務副大臣なども含まれていた。
最初の会談でロシア側は厳しい条件を提示し、事実上ウクライナの降伏を要求した。これは不発に終わった。しかし、戦場でのモスクワの立場が悪化し続けるにつれ、交渉のテーブルでのモスクワの立場も厳しくなくなった。そこで3月3日と3月7日、ポーランドと国境を接するベラルーシのカミヤヌキで第2回と第3回の協議が行われた。ウクライナの代表団は、即時停戦と、民間人が安全に紛争地域から撤退できる人道的回廊の設置という独自の要求を提示した。「ロシア側とウクライナ側が初めて草案を検討したのは、第3回協議のときだったようだ」と、記事は書いている。メディンスキーによれば、これはロシアの草案であり、メディンスキーの代表団がモスクワから持ち込んだもので、おそらくウクライナの中立的地位に対するモスクワの主張が反映されたものだった。
その後、直接の会談は3週間近く途絶えることになる。ただ、代表団はZoomを介して会談をつづけたという。
合意された共同コミュニケ
3月中、すべての戦線で激しい戦闘がつづいた。同月中旬、ロシア軍のキーウ方面への攻撃は行き詰まり、多くの死傷者を出す。両代表団はビデオ会議で協議をつづけたが、3月29日になって、トルコのイスタンブールで直接会談する。会談後、双方は共同コミュニケに合意したと発表した。
その内容は、イスタンブールでの両者の記者会見で大まかに説明されただけで、全文は公表されなかった。「ウクライナの安全保障に関する条約の主要条項」と題されたコミュニケ草案の全文を入手した『フォーリン・アフェアーズ』には、「ウクライナ側がこのコミュニケを大筋で起草し、ロシア側はこれを条約の骨子とすることを暫定的に受け入れたという」と書かれている。
コミュニケで想定されている条約は、ウクライナが永世中立、非核国家であることを宣言するものであった。「ウクライナは、軍事同盟に参加したり、外国の軍事基地や軍隊の駐留を認めたりする意図を放棄する」として、コミュニケには、条約を保証する国の候補として、国連安全保障理事会の常任理事国(ロシアを含む)、カナダ、ドイツ、イスラエル、イタリア、ポーランド、トルコが挙げられていた。
ウクライナが攻撃を受け、支援を要請した場合、すべての保証国は、ウクライナとの協議や保証国同士の協議の後、ウクライナの安全回復のために支援を提供する義務を負うとのべているという。「驚くべきことに、これらの義務は、NATOの第5条(飛行禁止区域の設定、武器の提供、保証国の軍事力による直接介入)よりもはるかに正確に明記されていた」と『フォーリン・アフェアーズ』は指摘している。
さらに、提案された枠組みではウクライナは永世中立国となるが、ウクライナのEU加盟への道は開かれており、保証国(ロシアを含む)は明確に「ウクライナのEU加盟を促進する意思を確認する」と記されていたという。
この内容には、『フォーリン・アフェアーズ』の記事が指摘するように、プーチンの譲歩があったと思われる。3月初旬には、プーチンの電撃作戦が失敗したことは、明らかだったから、「おそらくプーチンは、長年の懸案であった「ウクライナがNATOへの加盟を断念し、自国領土にNATO軍を決して駐留させない」という要求をのむことができれば、損切りするつもりだったのだろう」、と記事はのべている。
「コミュニケにはもうひとつ、振り返ってみれば驚くべき条項が含まれている」ともかかれている。それは、今後10年から15年の間に、クリミアをめぐる紛争を平和的に解決することを求めるというものだ。2014年にロシアがクリミアを併合して以来、ロシアはクリミアの地位について議論することに同意してこなかったことを考えると、ここでもロシア側の譲歩が現れている。
虐殺発覚後も交渉を継続
会談終了直後の3月29日、ロシア代表団のメディンスキー代表は、ウクライナの中立条約に関する話し合いが現実的な段階に入りつつあること、また、この条約には多くの保証人が存在する可能性があり、その複雑さを考慮すれば、プーチンとゼレンスキーが当面のうちに首脳会談で調印する可能性があることを説明した。
一方、ロシアはウクライナを占領する努力を放棄し、北方戦線全体から軍を撤退させることになった。ロシアのアレクサンダー・フォミン国防副大臣は3月29日、イスタンブールでこの決定を発表し、「相互信頼を築くため」と称した。ただし、この撤退はロシアの失敗を糊塗するものであり、「その失敗を、和平交渉を円滑に進めるための潔い外交的措置であるかのように装った」ものにすぎない。
ただ、「この撤退は、ロシア軍がキエフ郊外のブチャとイルピンで行った残虐行為の陰惨な発見の舞台となった」と、記事は伝えている。4月4日、ゼレンスキー大統領はブチャを訪れた。翌日、彼はビデオを通じて国連安全保障理事会で演説し、ロシア軍がブチャで戦争犯罪をしたと非難した。ゼレンスキーは国連安保理に対し、常任理事国であるロシアを除名するよう求めた。
『フォーリン・アフェアーズ』の記事も「驚くべきこと」と指摘するように、ロシア軍によるブチャでの犯罪が明るみに出た後も、交渉は4月に続けられた。記事は、4月12日と15日の協定(交渉官間で交わされた最後の草案)のバージョンを比較し、その時点では重要な安全保障問題についての合意が得られていなかったことを明らかにしている。原案では、ウクライナが攻撃された場合、保証国(ロシアを含む)はウクライナに軍事支援を行うかどうかを独自に決定するとされていたが、4月15日の原案では、「合意された決定に基づいて」行われるという要件が追加された。
戦争の終結と平和条約の調印後にウクライナが保有できる軍隊の規模や軍備の数についても意見が対立した。4月15日の時点で、ウクライナ側は25万人の平時の軍隊を望んでいたが、ロシア側は最大でも8万5000人で、2022年の侵攻前のウクライナの常備軍よりかなり少ないと主張した。ウクライナ側は800台の戦車を望んでいたが、ロシア側は342台しか認めなかった。ミサイルの射程距離の差はさらに顕著で、ウクライナ側は280キロ、ロシア側はわずか40キロだった。
こうした実質的な意見の相違にもかかわらず、4月15日の草案では、条約は2週間以内に調印されることになっていた。「確かに、その日付はずれたかもしれないが、両チームが迅速に動くことを計画していたことを示している」というのが『フォーリン・アフェアーズ』の見立てだ。
交渉決裂の理由
しかし、交渉は2022年5月中旬に中断した。プーチンは、西側諸国が戦争を終わらせることよりもロシアを弱体化させることに関心があったため、介入し、交渉を中断させたと主張している。プーチンは、当時イギリス首相だったボリス・ジョンソンが、「アングロサクソン世界」を代表して、ウクライナ人に「勝利が達成され、ロシアが戦略的敗北を喫するまでロシアと戦わなければならない」というメッセージを伝えたと主張した。
この主張は、3月30日、ジョンソンが「(プーチンの)軍隊が一人残らずウクライナから撤退するまで、制裁を強化し続けるべきだ」とのべ、4月9日、キーウを訪問したことに対応している。そこで、ジョンソンは戦争継続を求めたのである。この事実は、和平会談でウクライナ側の代表を務めたアラハミヤが「私たちがイスタンブールから戻ったとき、ボリス・ジョンソンがキエフにやってきて、「我々は(ロシア側とは)何もサインしない。戦い続けよう」とのべた」という発言によって裏づけられている。
アメリカの外交を論じる有力誌である『フォーリン・アフェアーズ』は、この見方に歯切れが悪い。「それでも、西側諸国がウクライナにロシアとの交渉から手を引かせたという主張には根拠がない」と書いているのだが、その理由が判然としないのだ。
ただ、①ブチャとイルピンでのロシアの残虐行為に憤慨していた、②自分たちは戦争に勝てるというウクライナ人の新たな自信――といったものがゼレンスキーの和平拒否へと傾かせたと主張している。どうやら、「悪いのはゼレンスキー自身だ」という書きぶりである。
それでも、「協議が失敗した最後の理由」として、「交渉担当者が戦争終結という馬よりも、戦後の安全保障秩序という馬車を優先させたことだ」と指摘している。双方は、紛争管理と紛争緩和(人道的回廊の設置、停戦、軍隊の撤退)という本質的な問題をスキップし、その代わりに、何十年にもわたって地政学的緊張の源となってきた安全保障上の紛争を解決する長期的な平和条約のようなものをつくろうとしたことが、「野心的すぎた」というのだ。
「交渉担当者」には、ロシアとウクライナしか含まれていないのかもしれないが、交渉の裏で蠢いていた米英幹部を含めて、戦争終結を軽視していたといいたいのだろう。これを率直に換言すると、バイデン大統領は強硬派のヴィクトリア・ヌーランド国務省次官(当時)などの主張に促されて、ロシアの長期的弱体化のためにウクライナ戦争を継続するようにゼレンスキーに働きかけ、戦争終結という馬を無視するようにさせたということになる。
いずれにしても、『フォーリン・アフェアーズ』は、2022年5月までにウクライナ戦争を停止するチャンスがあったことを明確に示している。それは、その停戦を促さなかった、あるいは、停戦するなとそそのかした、バイデンやジョンソンの責任の大きさを物語っている。戦争が2年以上もつづくことで、数十万人もの死傷者が増えたことは確実だ。その責任の一端をバイデンやジョンソンが負っている。
塩原俊彦の連載↓
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1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。