【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)

「知られざる地政学」連載(36)石油をめぐる地政学(下)

塩原俊彦

 

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バイデン政権の石油戦略

サウジアラビアへの「恩義」を感じていたトランプが大統領選で敗北し、バイデン政権が誕生したことで、アメリカとサウジアラビア、さらにロシアとの石油をめぐる関係が複雑化する。トランプは2020年9月15日、イスラエルとアラブ首長国連邦(UAE)とバーレーンの二つのアラブ諸国との正式な関係を樹立する協定の調印式をホワイトハウスで主宰した

サウジアラビアは間に合わなかったが、1979年のエジプトに続き、1994年にヨルダンがイスラエルとの関係を正常化させて以来、この合意は三番目と四番目のアラブ諸国を実現させた。具体的には、アメリカ、イスラエル、UAE、バーレーンの4カ国は、イスラエルとその周辺の土地に根づいている三つのアブラハム宗教にちなんで名づけられた「アブラハム協定」に署名し、その後、二つのアラブ諸国はイスラエルと二国間協定を結んだ。同年10月にスーダン、同年12月にモロッコもイスラエルとの国交を正常化した。

だが、こうした歴史的変化にもかかわらず、2021年1月に大統領に就任したバイデン大統領の対サウジアラビア政策は冷たいものだった。バイデン政権は、2018年10月のサウジアラビアの反体制派、ジャマル・カショギがイスタンブールのサウジアラビア領事館内で殺害され、それを承認したのがムハンマド・ビン・サルマン皇太子であるとするCIA報告書を公開し、サウジアラビアへの武器供与などを見直す動きをみせる。

サウジとの関係が悪化するなかで、バイデン政権の目立った石油政策といえば、露骨な市場介入主義である。不思議なことに、この「反市場主義」を批判するマスメディアは日欧米にきわめて少ない。まず、バイデン政権は戦略石油備蓄(Strategic Petroleum Reserve, SPR)の放出によって市場価格への介入を実施している。米政府は2021年11月、戦略石油備蓄から5000万バレルを二つの方法(①3200万バレルは今後数カ月間の交換で、いずれ戦略石油備蓄に戻る石油を放出する、②1800万バレルは、議会が以前に許可した石油の売却を今後数カ月に前倒しする)で放出すると発表した。結局、バイデン政権は2022年に過去最高の2億2100万バレルを売却した。

もう一つのバイデン政権の政策は、米政権がSPRに補充する原油を購入し、「安定した増産需要があることを産業界に確信させる」ために、1バレルあたり約67~72ドルの価格帯を指定し、事実上原油価格に下限を設けようとしていることがあげられる。こちらは、シェールオイルへの投資を下支えするための政策だ。

バイデンにとって深刻なのは「シェール革命の終焉」だろう。2023年1月16日付のFTは「アメリカのシェール革命の終焉が世界にもたらすもの」という記事を公表した。高コストと労働力不足で、国内の投資家はシェールオイル開発のための油田への再投資ではなく、投資家への利益還元を求めており、「原油価格が長期平均をはるかに上回る1バレル80ドル台になっても、シェール生産者たちは資本投下を恐れている」というのだ。そのうえ、「新しい油井から採掘される原油の量は減っている」から、投資に慎重になる。

こうした国内のシェールオイル事業者の厳しい状況から、「シェール革命の終焉」が指摘されるまでになっているのだ。記事では、「シェールオイル事業者たちは、ホワイトハウスからの再三の石油供給の要請にもかかわらず、資本抑制を堅持した」と指摘されている。今後、アメリカのシェールオイルの生産量は頭打ちとなる可能性が高い。そうであるならば、いまのうちから中長期的な石油確保戦略が必要となる。だが、バイデン政権の対応は場当たり的で先行きが不透明だ。

バイデン政権は2023年3月13日、環境と気候に影響をおよぼす可能性が高いという理由で広く反対されているにもかかわらず、アラスカの巨大石油掘削プロジェクト「ウィロー」を正式に承認した。掘削プロジェクトは、北極圏の北約200マイルに位置する石油保護区の内部で行なわれる。80億~100億ドル規模のウィロー・プロジェクトは石油大手コノコフィリップスが主導しており、30年間で6億バレル以上の原油を生産する可能性がある。NYTには、この原油をすべて燃やすと、約2億8000万トン近い二酸化炭素が大気中に放出されることになると書かれている。これは、「年200万台近くの自動車を道路に追加するのと同じことである」としている。バイデンは環境保護よりも、シェールオイルの逓減に備えようとしていることになる。「言っていること」と「やっていること」が違うのだ。

対ロ制裁の「嘘」

その「嘘」は対ロ制裁にも明確に現れている。バイデン政権は2022年2月のロシアによるウクライナへの全面侵攻に対する対ロ制裁として、2022年3月8日以降、バイデン大統領の宣言により、米国はロシアの石油・ガスなどのエネルギー資源の輸入を停止した。同年5月30日、欧州委員会は第六次制裁措置の対象にロシアから加盟国に搬入される原油および石油製品を加えることで合意する。ただし、パイプライン(PL)搬入原油については一時的に例外とする。その後、ロシア原産の原油および石油製品の海上輸送を支援するサービスの世界的禁止が決まり、原油および石油製品がG7メンバーおよびその他の参加国からなる実施連合によって設定される価格上限以下で購入する場合にのみ当該サービスの提供を許容することになる。その結果、12月2日、G7、EU、オーストラリアはロシアの石油価格の上限を1バレルあたり60ドルとし、12月5日から導入した。2023年2月5日から石油製品への上限価格が導入された。

この経過をみると、アメリカはロシアの外貨収入源である石油輸出に打撃を与えることで、ロシア経済に損失を与えようとしているようにみえる。だが、この制裁はロシアがインドや中国などに輸出できなくなった石油を輸出することで事実上、大きな打撃をおよぼしてはいない。政治的には、ロシアに厳しい姿勢をとっているようにみえても、実際には、「生ぬるい」対応しかしていないのだ。

たとえば、図4に示したように、インドは2022~23年に大量の原油をロシアから輸入するようになる。2023年にインドの石油消費量の90%近くは海外から調達された。うち約34%はロシアからの輸入だ。ロシア産原油の割引率は、2023年初めの20%から12月には5%程度へと、時間の経過とともに縮小しているが、それでもインドの石油輸入に大きな節約をもたらしている。「インドの石油省は、インドとロシアの貿易がなければ、世界の原油価格は1バレルあたり30~40ドルも高騰していただろうと主張している」とThe Economistは書いている。アメリカはインドにロシア産原油を購入するなと脅すことができたのにそうしていない。それだけアメリカの影響力が弱まっているとも考えられるし、そもそもこの制度が政治的なアピールにすぎなかったのではないかとさえ思えてくる。

図4 インドの石油輸入の構成国別推移(単位:10億ドル)
(出所)https://www.economist.com/asia/2024/04/11/how-indias-imports-of-russian-oil-have-lubricated-global-markets

他方で、中国も2023年に1億トン以上のロシア産原油を輸入した。ただし、これは戦前の年間購入量を大きく上回るものではない。重要なことは、「もし中国がロシア産原油の輸入を止め、代わりに他国から購入すれば、間違いなく国際原油価格を押し上げ、世界経済に大きな圧力をかけることになる」と想像することである。つまり、アメリカは対ロ制裁を厳しく行っているそぶりはみせたいが、本当は原油価格の高騰で世界経済、とくに米国内の経済が打撃を受けることを恐れているのだ。

とくに、2024年11月の大統領選を控えているため、バイデン政権は国内のガソリン価格上昇を恐れている。このため、不可解な事態が起きている。それは、ウクライナ軍が無人機によってロシア国内の製油所などを攻撃していることに対して、米政府が停止するよう求めていることだ。

2024年4月15日付のWPによれば、ウクライナの長距離攻撃は、2024年1月以来12以上の製油所を襲い、ロシアの石油精製能力の少なくとも10%を停止させた。実は、カマラ・ハリス副大統領は2月のミュンヘン安全保障会議でゼレンスキーと個人的に会談した際、ロシアの石油精製所を攻撃することは、世界のエネルギー価格を上昇させ、ウクライナ国内でのより攻撃的なロシアの報復を招くと伝えた。その数週間後、3月にキーウを訪問したジェイク・サリバン国家安全保障顧問をはじめ、米国防省や情報機関の高官はこの警告を強化した。

製油所攻撃への米国のこうした反対は、ウクライナの政府高官を怒らせた。彼らは、攻撃がロシアの侵略の代償を高め、戦争が終わるまでロシア社会は安全ではないということを強化するために必要だと考えきたし、その姿勢は変わっていない。NYTによれば、2024年3月12日と13日、ウクライナの無人偵察機はロシアの製油所4カ所を攻撃した。さらに、4月2日にはウクライナから約1300キロ離れたロシア第三の製油所を攻撃するなど、ロシアのさまざまな施設を攻撃し、戦略を倍加させた。ウクライナはアメリカ側の警告を公然と無視したのだ。この結果、ロシアのディーゼルやガソリンなどの精製燃料の生産能力は低下、「世界第3位の産油国をガソリンの輸入国に変えた」とThe Economistは書いている。

その後、米国の脅しが効果をみせたのか、4月27日までの時点では、ウクライナはロシアの製油所への攻撃を自制している。米政府はロシアの製油所が打撃を受けてディーゼルなどの石油製品輸出が滞ると、国際市況において石油製品価格が上昇し、それが米国内のガソリンなどの石油製品価格の押し上げにつながることを極端に恐れている。これが選挙を控えたバイデン政権の実態であることを知ってほしい。

中東情勢の裏側

中東情勢の緊迫化も、このバイデン政権の大統領選シフトにともなう、国内ガソリン価格優先政策によって説明することができる。

2024年4月13日夜、イランから建国以来初の大規模な攻撃を受けた。砲撃はイラン、イラク、シリア、イエメンを含む複数の国から行われた。イランはこの空爆で170機の無人機、30発以上の巡航ミサイル、120発以上の弾道ミサイルを発射した。ただし、イランによる攻撃はイスラエルへの報復(4月1日にシリアのダマスカスでイラン大使館領事部がイスラエルによって空爆され、イスラム革命防衛隊の司令官グループが殺害された)として加えられたものだが、5時間にわたる入念に仕組まれたこの猛攻撃は、米、仏、英国を含む国際連合と中東諸国の支援によって撃退され、被害は限定的だった。このため、イスラエルの被害は最小限にとどまった。その後の報道では、ネタニヤフ戦時内閣は報復を決めたものの、米国、主要7カ国(G7)、欧州連合(EU)、国連事務総長から自制を求められ、限定的な報復にとどめた。

ここまでの文脈から推定できるのは、中東情勢がこれ以上混迷すれば、原油価格が上昇し、それが米国内のガソリン価格の引き上げを誘発しかねないという事態である。ゆえに、バイデンはベンヤミン・ネタニヤフ首相を恫喝したはずだ。大統領選に不利になるような事態は何が何でも避けなければならないからだ。4月中旬時点で、米国内のガソリン価格は1ガロン3.60ドルとなっている。ガソリン価格が4ドルに近づくほど、バイデン再選は厳しくなる。わかりやすいといえば、それまでだが、バイデン再選のための利益誘導政治が世界の帰趨を決めている現実に大きな違和感をもつ。

石油の長期戦略

2023年10月、国際エネルギー機関(IEA)は、世界のエネルギー動向に関する354ページの報告書『世界エネルギー見通し』(World Energy Outlook)を発表した。そのなかで、石油、天然ガス、石炭という三つの化石燃料カテゴリーがそれぞれ2030年までにピークに達すると予測されるとはじめて明らかにした(図5を参照)。同報告書によれば、過去20年間で、石油需要は日量1,800万バレル(mb/d)急増した。この増加の大部分は、道路輸送需要の増加によるもので、世界の自動車保有台数は過去20年間で6億台以上増加し、道路貨物輸送量は約65%増加した。現在、世界の石油需要の約45%を道路輸送が占めており、これは他のどの部門よりもはるかに多い。ゆえに、道路輸送需要の増加が抑え込めれば、石油需要はピークを打つ。報告書は、「STEPS(図5備考を参照)では、内燃エンジン(ICE)バスの販売も2020年代半ばまでにピークを迎え、新興市場や発展途上国では電気バスの普及がとくに急速に進む。この10年の終わりには、道路輸送はもはや石油需要増加の要因ではなくなっている」と書いている。

もちろん、IEAの予測は過去に何度も間違えたことがある。このため、この予測の信憑性には疑問が残る。それでも、「世界の石油・ガス需要が頭打ちになれば、短期的にはエネルギー価格の変動が激しくなる可能性がある」との見方もある(NYTを参照)。こうした変動が地政学上の対立や亀裂を必要以上に深めるかもしれない。とくに、エネルギー消費で大きな割合を占める中国の帰趨が重要になる。

こうした長期的視点をもちながら、石油をめぐる地政学を考察することは重要な視角をもたらしてくれるのである。

図5 2000~2050年の化石燃料消費の推移
(出所)World Energy Outlook 2023, IEA, 2023, p. 26.
(備考)表明政策シナリオ(STEPS)は、エネルギー、気候、関連産業政策を含む最新の政策設定に基づく見通しを提供したもので、各国政府によるエネルギーおよび気候に関する目標がすべて予定通り達成されることを前提とした公約シナリオ(APS)とは異なっている。

 

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。

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