【連載】ヒューマン・ライツ紀行(前田朗)

第3回 再び忘れられたアフガニスタン―押し付けられた戦争の半世紀―

前田朗

・叩き出されたアメリカ

ウクライナ戦争に世界の注目が集まる中、アフガニスタンが再び忘れられようとしている。

昨年(2021年)8月15日、世界は米軍がアフガニスタンから撤退し、ターリバーンがカーブル(日本ではカブールと呼ぶが、現地の発音はカーブルである)に舞い戻る悲劇を目の当たりにした。

カーブル市遠景

 

米軍は20年にわたってターリバーン殲滅作戦を展開し、付随的損害と称して民間人を殺戮してきた。我が物顔に振舞って、アフガニスタンを破壊し尽くした。平和も安全もつくることができず、自ら設定した9月11日の撤退予告まで持ちこたえることもできず、8月15日にアフガニスタンから叩き出された。荒廃した国土と傷ついた人々を残して、無責任な遁走劇であった。

国連人権高等弁務官(UNHCHR)の報告書『アフガニスタンにおける人権状況』(A/HRC/49/24. 4 March 2022)によると、21年7月1日から8月15日、423人の民間人死亡、1,769人の負傷が記録された。そのうち子どもは77人死亡、女性は27人死亡。3分の2は地上戦のためである。

アフガンの子ども

 

カーブル市街

 

各国外交官たちはつむじ風のごとくカーブルから逃げ去った。対米協力したアフガン人はターリバーンによる報復の恐怖から国外逃亡を図った。乗ろうとする人々が機体にしがみついているのに、米軍機は避難民を地上に蹴落として、無情に飛び去った。空港に残された人々は無残にも自殺爆弾の餌食になった。

西欧各国は外交官を一人残してビザ発給業務を続けたが、日本政府はアフガン人スタッフを見捨てて全員退去した。脱兎のごときスピードである。国際非難を受けて、数週間後にごく僅かの避難民を救助するアリバイ工作に励んで、失笑を買った。

・帰ってきたターリバーン

8月15日にカーブルを掌握したターリバーンは政権を発足させるや、市民生活を厳しく統制し、女性の人権を抑圧し始めた。国連や各国からの支援物資が滞ったため、市民は食糧難に喘いだ。

上記報告書によると、21年8月15日にターリバーンが政権を掌握して以後、死傷は減ったが、文民保護は重要関心事項である。21年8月15日から22年2月15日に、少なくとも397人の死亡、756人の負傷を記録した。そのうち子どもは55人死亡、女性は11人死亡である。

アフガンの子ども

 

ターリバーン兵士がカーブルをはじめとする要所を「剥き出しの実力」で支配しているため、秩序が不安定なままだ。ターリバーン兵士は警備の訓練を受けていないから、公然と武器を掲げて民衆を脅し、思うようにならないと発砲する。突然の銃乱射のため市民に被害が出るのはアメリカとアフガニスタンに共通である。

秩序の混迷は経済を直撃した。仕事がない、食料がない、という生活苦の中、人々は飢餓に襲われ、子どもたちの命が最低ラインを割っている。市民生活のライフラインの確保に困難を抱えている。

ターリバーンの厳格な方針、秩序の混迷、及び経済の破綻が重なり合って、後述するように女性の人権が逼塞状態に追い込まれている。

21年10月、日本政府は65億円の経済協力をすることに決め、さらに12月に110億円の協力追加を発表した。多額の経済援助と映るかもしれないが、それ以前の20年間でアフガニスタン政権に7,600億円の援助をつぎ込んだことを付け加えなくてはならない。

・もう一つのブラック・デー

8.15の悲劇とは何だったのか。国際社会は早くも忘却しようとしている。それを読み解くには9.11を契機とする「テロとの戦争」の20年を振り返るだけでなく、遡ってソ連軍によるアフガニスタン侵略以来の半世紀の歴史を想起する必要がある。アフガニスタンの苦難は内部からではなく、外部から押し付けられた面が強い。

ソ連軍の侵略、アフガン内戦、ターリバーンの支配、そしてテロとの戦争と続くアフガニスタン現代史は、周辺大国による干渉戦争の歴史であった。

カーブル市街

 

アフガンの子どもたち

 

アフガニスタン現代史にはいくつものブラック・デーが記録されてきた。

例えば1978年4月27日、親ソ連政党である人民民主党(PDPA)がクーデタによって政権を掌握した。内戦が勃発し、翌79年12月末にソ連のアフガン軍事侵攻につながった。

1992年4月28日、共産党政権が崩壊し、ラバニ=マスード派(イスラム協会)が首都カーブルを陥落させ、血で血を洗う内戦に突入し、ムジャヒディン軍閥の暗黒支配の時代となった。

2001年10月7日、9.11の同時多発テロを口実にアメリカはアフガニスタン戦争を始め、翌春、ターリバーン政権が崩壊し、アフガニスタン新政権が発足したが、その後、20年にわたる泥沼状態に陥った。

この半世紀、直接介入して全土にわたってアフガン人民を殺戮したのはソ連軍とアメリカ軍である。ムジャヒディン軍閥はアメリカ、パキスタン、イランなどの軍事支援を受けたと言われる。ターリバーンを育成してアフガニスタンに送り込んだのはパキスタンである。戦争も内戦も、ソ連、アメリカ、パキスタン、イランという周辺大国の利害に始まり、アフガニスタンの運命が左右されてきた。

8.15はアフガニスタン現代史の最新のブラック・デーとなった。

アフガン女性団体と交流する「RAWAと連帯する会」共同代表の清末愛砂(室蘭工業大学大学院教授)は「現在、アフガニスタンは大変深刻な人道危機に瀕しています。これは、①数年間続いている干ばつ、②コロナ禍、③8.15以前の旧政府軍とターリバーンとの戦闘による国内避難民の創出に加え、③8.15以後に各国政府や機関がアフガニスタンに対する援助を停止したこと、および④米国等がアフガニスタンの海外資産を凍結したことで引き起こされたものです」と述べる(RAWAと連帯する会会報『ZINDABAD DEMOCRACY』第35号)。

・女性抑圧の深刻化

戦争と内戦はすべての人民にとって苦難であるが、女性と子どもに被害が集中することは言うまでもない。

国連人権高等弁務官報告書によると、8.15以前にもジェンダー平等、差別、ジェンダー暴力が深刻な状況であった。とはいえ政府の3部門――行政、司法、立法における女性の役割は増加していた。議会では下院は27%、上院の22%が女性であった(日本より遥に女性が社会進出している)。公務員の5人に1人は女性である。メディアでは1,700人以上の女性が活躍している。人権分野でも女性が活躍している。

しかし、8.15以来、政治生活などの職場から女性が排除されている。ターリバーン内閣の女性はいない。女性公務員も限られている。21年9月18日、当局は女性省を廃止した。2001年にジェンダー平等を促進するために設置された省庁である。「イスラームの教えの範囲」で女性の社会活動が認められるとか、男女分画すれば女性が学校に通うことも認められるといった報道もあるが、女性たちは経済的社会的に周縁に置かれ、身体暴力の危機に身をさらしている。

当局は女性の移動の自由に厳しい制限を課している。21年12月26日、マフラム(男性の付き添い)なしに女性が国内で移動できる範囲についてガイダンスを出した。タクシー運転手にヒジャブ(ベール)をしていない女性を乗客にすることを禁止した。

ジェンダー暴力から女性を保護するシェルター等が閉鎖され、危機にある女性を援助・保護する制度にギャップができている。多くのシェルターが報復の恐れ、脅迫、財政難のため閉鎖となり、女性たちが暴力被害を受ける環境に戻らざるを得なくなった。

アフガニスタンは大国に翻弄され、国際社会から無視されて今日に至った。より強力な国際的支援と監視が必要だ。

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前田朗 前田朗

(一社)独立言論フォーラム・理事。東京造形大学名誉教授、日本民主法律家協会理事、救援連絡センター運営委員。著書『メディアと市民』『旅する平和学』(以上彩流社)『軍隊のない国家』(日本評論社)非国民シリーズ『非国民がやってきた!』『国民を殺す国家』『パロディのパロディ――井上ひさし再入門』(以上耕文社)『ヘイト・スピーチ法研究要綱』『憲法9条再入門』(以上三一書房)『500冊の死刑』(インパクト出版会)等。

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