【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)

「知られざる地政学」連載(51):制裁をめぐる地政学(上)

塩原俊彦

 

制裁については、拙著『復讐としてのウクライナ戦争』、『帝国主義アメリカの野望』のほか、このサイト(「対ロ制裁によるロシア経済への影響について」〈上〉、「制裁をめぐる補論:『復讐としてのウクライナ戦争』で書き足りなかったこと〈上下〉、「ロシア残留か撤退か」〈上下〉、「対ロ制裁をめぐって、「二次制裁」で脅しまくるアメリカ帝国主義の現実」〈上〉)でも論じてきた。今回は、ロシア語文献による研究成果を踏まえて、学術的な観点から、制裁について改めて考えてみたい。

『制裁の迷路のなかの世界』

今回の考察のきっかけは、2024年4月に、ロシア高等経済学院がユーリー・シマチョフ編『制裁の迷路のなかの世界:岐路に立つ産業政策』という報告書を公表したことだった。いわば、制裁を包括的に論じており、学術論文として読むとき、大変に参考になる。

まず、定義について論じられている。「対象国の政策変更を誘導するために1カ国または複数の国が採用する制限的な政策措置」というのがそれである。そのうえで、「制裁の数、規模、頻度は近年著しく増加している」と指摘されている。貿易、金融、渡航制限の数は、2010年から2019年の間に過去10年間の2倍になり、2020年から2022年では1.5倍以上になるという。

つぎに、制裁の効果について考えよう。報告書はつぎのように記している。

「制裁の効果を測る方法に一義的なものはない。政治学者は、制裁がその政治的目標を達成した場合のみ「効果的」であると考えるが、経済学者は通常、制裁が対象国に与える経済的ダメージという観点から制裁の効果を評価する。」
おそらく、この記述はその通りであろう。この記述に沿ったと思われる別の調査があることからはじめよう。それは、アメリカの「グローバル制裁データベース」(Global Sanctions Database, GSDB)と呼ばれるものである(ほかにも、HSE/HSEOデータベース、TIESデータベース、TSCデータベース、EUSANCTデータベースなどがある)。

GSDBは、1950年から2022年までの世界のすべての二国間、多国間、多国間制裁を網羅している包括的なデータセットだ。このサイト情報によると、GSDBは制裁を三つの重要な側面に基づいて分類している。第一に、制裁の種類(貿易制裁、金融制裁、渡航制裁など)である。第二に、制裁の背景にある政治的目的だ。とくに、GSDBは制裁の目的を、記録された政策目的の明確なカテゴリー(政策変更、体制の不安定化、戦争防止、人権など)に体系的に分類している。第三に、各制裁の成功の度合いである。これは、失敗した制裁から、ターゲットが発信者の要求を全面的に受け入れたものまで、五つのカテゴリー(失敗、継続中、交渉による和解、部分的成功、完全成功)に分類されている。

ただし、GSDCのサイトにアクセスしても、どんな組織や個人から資金を得ているのかはわからない。その意味で、いかがわしさを感じながらも、先の報告書もGSDBに基づく研究結果について紹介している。

急増する制裁

下の図からわかるように、貿易、金融、渡航制限の数は、2010年から2019年の間に、それ以前の10年間と比較して2倍になり、2020年から2022年には1.5倍以上に増加した。各国は時代とともに、「スマート・サンクション」と呼ばれる個人に対する金融取引や渡航の制限に頼る傾向を強めており、その結果、制裁の構造は現在、金融制限が大半を占め、1970年代後半頃まで主流だった貿易制限を大きく駆逐している。戦後(1950年代)、制裁の総件数に占める金融制裁の割合は25%を超えることはなかったが、2022年末には34%となり、逆に貿易制限の割合は30%から21%に減少した。制裁対象国の国民の旅行機会を制限する観光制裁の役割は拡大している。

GSDBのデータによれば、1950年から2022年までに、約150カ国が170カ国に対して行った制裁は1325件にのぼる。

図 GSDBのデータに基づく、科された種類別制裁の件数(上)と構成比(下)
(備考)青は貿易、オレンジは金融、黄色は観光・旅行、グレーは軍事支援、白は武器供与、斜線はその他。
(出所)ДОКЛАД Мир_в_лабиринте_санкций-доклад.pdf (hse.ru)

制裁の評価については、GSDBのデータによれば、1950年以降の歴史において、制裁の有効性を政治的な側面から見た場合、完了したケースのうち、完全にまたは部分的に目的を達成したケースは62%にすぎず、交渉に至ったケースは8%、残りの30%は効果がなかった。「制裁の効果の増減に一貫した傾向があるとは言い難いが、初期段階(1950~1970年代)では、制裁ケースの数とともに制裁の効果も徐々に高まっていたようだ」と、報告書は書いている。しかし、1980年代以降、制裁終了件数は増加の一途をたどり、制裁の効果は減少に転じる。とくに2021年から2022年にかけて終了した制裁の効果は低く、21件のうち71%が目的を達成できなかった(下図を参照)。

図 1950~2022年に終了した制裁の件数(オレンジ、左軸)と目的を達成しなかった(効果なしの)制裁の割合(青、右軸)
(出所)ДОКЛАД Мир_в_лабиринте_санкций-доклад.pdf (hse.ru)

科学技術への制裁

報告書は、「先端技術へのアクセスを制限し、ハイテク機器やその部品の供給を禁止することが制裁の常套手段となっている」と指摘している。軍事技術やデュアルユース技術の制限は、直接的には制裁対象国の軍事的潜在力を抑制することを目的としている一方、民間技術の制裁は、少なくとも短期的には経済成長を損なうものだ。科学を孤立させる措置は、欧米諸国が政治的敵対者に対して用いることが多い。

科学技術分野の制限は、貿易、分野別、金融、あるいは対象を絞った制裁を通じて実施される。たとえば、制裁対象国へのハイテク機器の供給禁止は、ハイテク企業や研究センターを含む経済の複数の分野に及ぶことがある。

具体的な科学技術分野への制裁には、①個々の国や国際機関のレベルでの研究開発分野での協力の打ち切り(たとえば、国連の制裁レベルでは、保健分野を除き、朝鮮民主主義人民共和国とのあらゆる科学技術協力が停止されている)、②個別の協力関係への参加停止または中止(たとえば、欧州原子核研究機構(CERN)の理事会は、同プロジェクトにおけるロシアの地位を凍結し、ロシアとベラルーシの組織に関連する記事の掲載を禁止)、③研究資源(機器、予備部品、試薬、ソフトウェア、科学技術情報)の供給制限(たとえば、米国とEUは、イランへの研究機器の供給や、専門的なソフトウェアへのアクセスをブロックしたり、大幅に制限したりしている)、④学術移動の制限(たとえば、米国市民によるイランへの科学旅行には、政府委員会の特別承認が必要)、⑤個々の科学機関や大学を制裁リストに載せる(たとえば、ロシアのいくつかの大学や科学組織は、米国のSDN制裁リスト[財務省外国資産管理局OFACが管理する「特別指定国民およびブロック指定人物」(SDN)リスト])、⑥科学者が出版物を提出したり、学会に参加したりする際の差別(たとえば、最大の科学出版社の一つであるエルゼビア社は、朝鮮民主主義人民共和国、クリミア、ネパール民主共和国、ロシア民主共和国からの著者の査読、編集、その他のサービスへのアクセスを制限している)――といったものがある。

この結果、イラン、北朝鮮、ロシアなどの国々はいずれも国家主導の科学技術政策の修正を迫られていることになる。つまり、この分野の制裁が迅速な輸入代替を迫り、結果的に被制裁国にプラスに働くこともありうる。

対ロ制裁への評価

報告書は対ロ制裁をめぐる複数の論文を検討したうえで、つぎの共通する3点を指摘している。①ほとんどの論文が、2014年の制裁によって、初期の数年間はロシアのGDP成長率が0.5~1.0 ポイント低下したという点で一致している、②石油価格の下落は、制裁よりも経済成長に大きな悪影響を与えた、③経済成長に対する制裁のマイナス効果は、時間の経過とともに減少している――というのがそれである。

さらに、2022年の制裁措置の影響下で、ロシア経済に、①生産部門と対外貿易の構造、②ロシアに立地し操業している外資系企業の構造、③主要な組織、財務、経済指標におけるロシア企業の構造――という三つの構造的変化が起きた。産業別では、制裁の悪影響は、冶金、医薬品、電気工学、自動車製造、化学工業、ゴム・プラスチック製品製造においてより多く観察された。とくに制裁の影響を受け、価格環境が低迷している貴金属、鉄、石油・ガス化学製品、木材・紙製品、機械・技術製品の輸出は減少した。

最近の対ロ制裁

つぎに、最近の対ロ制裁について取り上げよう。2024年6月12日、米財務省は、主要7カ国(G7)首脳がイタリアで会合を開く準備を進めているなかで、新しい対ロ制裁措置を発表した。そのなかで、とくに重要なのは、これまで規制の対象となっていなかった最後のロシアの主要金融機関、モスクワ取引所(MOEX)グループに対して厳しい制裁を課したことである。SDNリストに、取引所そのものに加えた。さらに、さまざまな市場の取引を決済し、中央取引所として機能する国家決済センター(NCC)、および国家決済預託機関(NSD、2022年6月3日からEUの制裁下にある)がSDNリストに含まれた。同時に、米財務省はトーチカ銀行に制裁を科し、ズベルバンク、VTB、PSBの海外部門にも制裁を拡大した。

他方で、英国は6月13日、ウクライナを支援するG7パートナーとの協調行動のなかで、プーチンの「戦争マシーン」を弱体化させるための50の新たな制裁指定と仕様を発表した。そのなかには、モスクワ取引所を含むロシアの金融システムの中核にある機関を取り締まる制裁が含まれている。この措置は、6月12日にモスクワ取引所を指定したアメリカと協調して行われる。

モスクワ取引所は、株式、債券、デリバティブ、外国為替、金融市場商品のロシア最大の公開取引市場を運営するほか、ロシアの中央証券保管機関、国内最大の清算サービスプロバイダーでもある。同取引所は、6月13日からドルとユーロの取引を停止すると発表した。同日、ロシア中央銀行は初めて店頭データに基づいてドルとユーロの公定レートを設定した。銀行間ドル取引(モスクワ取引所での取引も含む)は、この通貨の店頭市場の15~20%(1日100億~400億ルーブル)を占めている。今年のユーロの銀行間市場取引量は、1日あたり100億ルーブルを超えることはほとんどなかった。このため、モスクワ取引所で、ドルやユーロの取引が停止されても、驚くような影響があったわけではない。中銀発表の公定レートは、6月14日現在、ドル・レートは88.2ルーブル/ドル、ユーロ・レートは94.83ルーブル/ユーロで、それぞれ前日比81コペイカ、91コペイカ安だった。

他方で、モスクワ取引所の株価は13日、3.6%下落した。ただ、これも単に株価の上昇トレンドが中断され、前週の伸びをすべて失っただけだった。
アメリカが主導した、今回の対ロ制裁は、「ロシアの戦争経済と取引する外国金融機関に対する二次的制裁のリスクを高め、ロシアの軍産基盤が特定の米国製ソフトウェアや情報技術(IT)サービスを利用することを制限するものである」と説明されている。「ロシアの戦争経済と取引する金融機関のリスクを高め、脱税の道をなくし、外国の技術、設備、ソフトウェア、ITサービスへのアクセスから利益を得るロシアの能力を低下させる」ねらいがある。ロシアの金融システムは、防衛産業への投資や、ウクライナへの侵略を進めるために必要な物資の調達を容易にするよう方向転換されているため、米財務省は、ロシアの金融システムを標的としたのだ。

制裁逃れ

重要なことは、こうした金融システムに関連する制裁が「制裁逃れ」を促している点である。たとえば、6月13日付の「メドゥーザ」は、「ロシアのビジネスは制裁を回避し、中国への支払いを確立するために最善を尽くしている」という興味深い記事を公表している。

この記事にあるように、中国側の制裁逃れの出発点は、2023年12月22日、ジョー・バイデン米大統領がロシアの軍産複合体を支援していることが判明した場合、第三国の銀行に制裁を科すことを許可した大統領令だ。ブラックリストに掲載されると、そのような企業はアメリカの銀行にコルレス口座を持つこと、つまりドルを使った取引をすることが禁止された。その後、数十の中国の金融機関が、アメリカ通貨だけでなく中国通貨でのロシアからの送金を拒否するようになった。

この制裁をさらに厳しくしたのが6月12日の措置ということになる。米財務省は、銀行が制裁対象となりうる軍産複合体の定義を拡大した。当初は、テクノロジー、防衛、建設、航空宇宙、製造というロシア経済の5部門に関わる取引が規制されていたが、現在は、政令第14024号に基づいて制裁の対象となったすべての企業がリストに加えられている。つまり、外国の銀行がドルから切り離される可能性のあるロシアの事業体の数は、何倍にも増えているのだ。一説には、そのような組織は4000以上ある。

この二つの制裁措置は、新バージョンでも旧バージョンでも、第三国の銀行に対してはまだ適用されていない。ただ、それらに対しても、制裁対象になると脅している。これは、ロシアと中国の貿易に大きな変化をもたらすのに十分だった。2023年末の貿易額は26%増の2400億ドルに達したが、2024年4月、中国の税関総署は、機械、設備、その他の機械の出荷が15%減少したと報告した。ブルームバーグは、対ロシア輸出が2年ぶりに減少したことを指摘し、制裁リスクに起因するとした。5月もマイナスだった。ロシアの税関もアジアからの供給の減少を確認した。中央銀行は、ロシアの銀行が友好国通貨であっても海外にコルレス口座を開設することが難しくなっていることを認め、これを「2023年12月に米国が採択した制裁」と直接関連づけた。

そこで、登場したのが、「ロシアのVTB銀行の中国支店に口座を開設することだった」と、記事は紹介している。しかし、米財務省は軍産複合体の解釈を拡大し、VTBを取引禁止組織に直接リストアップした。アメリカは、VTBが直接、中国支店に口座を開設して、銀行間送金によって中国との決済円滑化をはかる試みを封じ込めようとしたのである。

その代案として、VTBは第三国の銀行を仲介に使い始める。ロシアから直接送金するのではなく、香港、カザフスタン、キルギス、UAE、その他の友好的な司法管轄区にある会社を通じて送金するのだ。このスキームには多くのコストがかかる。仲介業者は取引ごとに数千ドルの手数料を要求する可能性があり、結果を保証してくれるわけではない。さらに、送金が行われた国で商品が没収された経験を持つ市場関係者もいる。とはいえ、「現在では支払いの半分がこの方法で行われている」と、記事は書いている。

「知られざる地政学」連載(51):制裁をめぐる地政学(下)に続く

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。

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