【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)

「知られざる地政学」連載(28) ロシア残留か撤退か:企業の選択を考える(下)

塩原俊彦

 

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51社が撤退せず

別の情報もある。2024年2月22日、反ロシア政府の立場から報道している「ノーヴァヤガゼータ・ヨーロッパ」は、「ウクライナ侵攻にもかかわらず、100社以上の外国企業がロシアで事業を継続」という記事を公表した。同社は、2023年にロシアで働いていた、あるいは下半期までに撤退した外資系の大企業110社を調査した結果(下図を参照)、51社は撤退する予定すらなかったという。これは「静かに待つ」ことを選択したグループで、「戦争が勃発したとき、これらの企業がしたことといえば、憂慮を表明することくらいだったが、ほとんどの企業は何もいわなかった」。記事では、「この戦略を使っている企業には、オーハン、メトロ、カルツェドニア、エッコー、ベネトン、エルマン、トータルエナジーズ、ロックウール、三井物産、大手製薬会社数社などがある」と記されている。

39社からなる2番目に大きなグループは、「撤退を約束するが、撤退はしない」という選択肢を選んだ企業である。それらはみな、ロシア事業の売却、ロシア市場からの撤退、開発計画の中止を約束したが、工場、小売チェーン、ブランド、サービス、配送など、国内のさまざまな資産は維持した。「このグループに属する企業には、BP、JTI、PMI、ペプシコ、マース、ネスレ、ライファイゼン、ウニクレディト、インテサ、ABB、バカルディ、カンパリなどがある」と書かれている。

図 2023年にロシアで活動していた外資系大企業110社調査
(出所)https://novayagazeta.eu/articles/2024/02/22/blood-money-en

ロシアの情報機関、AK&Mが作成したM&A(合併・買収)市場に関する報告書(RBCから入手可能)によると、2023年、外国人がロシアから撤退する取引の件数と量は減少している。2023年は97件、総額111億4000万ドルの取引が記録され、2022年には109件、総額163億1000万ドルの取引が記録されると同機関は推定している。外国企業のロシアからの撤退案件はたしかに減少しているが、その要因には、そもそも撤退規制の強化がある。さらに、撤退のための買収要請の審査期間が長引いていることなどが指摘できる。要するに、撤退しようとしても、許可がなければ徹底すらできない業種もあるということだ。

 

国家による制裁はそもそも許されるのか

根本的に問いたいのは、国家間および国家と企業間の制裁が許されるのかという問題である(この問題については、拙著『復讐としてのウクライナ戦争』などで何度も論じているので、そちらを参照してほしい)。米国政府が対ロ制裁として行政的措置を個人や法人に科すことは国際法上、可能である。それどころか、対ロ制裁の一環として、第三国の個人や法人による対ロシア取引について制裁対象とすることもできる。これがいわゆる「二次制裁」と呼ばれるものだ。

しかし、「制裁には効果がない」として、制裁自体を批判することもできる。あるいは、そもそもウクライナ戦争の遠因は、米国の支援で行われた2014年2月のクーデターにあると考えれば、米国による対ロ制裁には正当性がないと論じることもできる。さらに、二次制裁は第三国の国家主権の侵害にあたり、国際法上、許されないと主張することもできる。

 

恣意的な制裁

制裁の恣意性も問題だ。米国も欧州も、核エネルギー分野については、対ロ制裁を基本的に科していない。自国の産業に甚大な打撃となる国があるからだ。その意味で、日本も悪影響を受ける液化天然ガス輸入などで対ロ制裁を見送っている。
これが制裁の実態なのだ。ところが、こうした恣意的な制裁の実情を知らない者が多すぎる。国家主導の対ロ制裁は決して当然とはいえない。現実をみれば、国家ごとに異なる事情を考慮したうえでの妥協の産物にすぎない。そこには、論理的な一貫性はない。あるのは、米国主導の身勝手な論理だけだ。そして、覇権国アメリカに従属する欧州諸国や日本といった国々の情けない面従腹背がある。

 

国家による撤退勧奨は批判の対象だ

ここまで論じてきた、ロシア進出企業の撤退問題に関連づけて考えると、国家が自国企業に対してロシアからの撤退を促す行為は認められるだろうか。企業は国家によって守られている以上、国家と無関係ではいられない。だからといって、個別企業の活動について、国家が干渉するのはおかしい。この問題は、国家と資本(企業)との結びつきという論点に絡む大問題といえる(この点については、柄谷行人著『世界史の構造』を熟読してほしい)。
すでに、覇権国アメリカは、「民間競争重視から競争的産業政策へ」という政策転換を行ったと考えることができる(詳しくは、次回作『アメリカなんかぶっ飛ばせ』[仮題]で詳述)。その意味で、アメリカ政府は経済安全保障というわけのわからない理由をつけて、あるいは補助金というニンジンをぶらさげて、個別企業に対しても介入するようになっている。
こうした現実の変化から、国家が個別民間企業に対して、ロシアから撤退しろと命じることも実際にはあるのかもしれない。だが、国家が企業経営に口出しすることは決して好ましいことではない。官僚は企業経営を知らないし、その命令は恣意的であり、腐敗の温床にもなる。

 

「東京新聞」の報道にみる不勉強

そう考えると、国家が不買運動という企業の製品・サービスのボイコットを煽動して、露骨にロシアからの撤退を促す行為は「行き過ぎ」にみえる。その意味で、最近、読んだ日本の報道のなかで不勉強だと感じたのは、東京新聞が2024年2月11日付で報じた「JTの子会社がロシアに戦闘機100機分の貢献? たばこ事業で多額の納税 ウクライナ「戦争支援企業だ」」という悪意に満ちた記事である。岸本拓也なる記者が書いたものだが、たくさんの問題点をかかえている。日本の不勉強なマスメディアを批判するために、この記事を紹介しながら、何が問題なのかを明らかにしてみたい。

記事はつぎのように書いている。

「「JTIの(2020年度の)収益のうち36億ドル(当時の為替レートで約4000億円)が直接ロシアの国家予算に入った。これは、ほぼ毎日ウクライナの都市を恐怖に陥れているミサイルを搭載したロシア戦闘機100機の費用に相当する」
昨年8月、ウクライナ国家汚職防止庁は、ロシアで事業を続けているJTの海外会社JTインターナショナル(JTI)を「戦争支援企業」のリストに加え、声明で強く非難した。

ウクライナ政府は、ロシアで事業を続け、納税などを通じて侵攻を支えているとみなした外国企業を「戦争支援企業」として名指しし、ロシアでの事業の停止や撤退を迫っている。これまでに中国や米国企業を中心に約50社が指定され、日系企業では、JTIが初めてリスト入りした。9月には工作機械メーカーのDMG森精機の子会社も指定された。」

 

確認くらいはしっかりしろ!

私は、日本経済新聞と朝日新聞の記者だった。その経験でいえば、この記述は最低限の確認作業を怠っている。記事にある「ウクライナ国家汚職防止庁」は、「国家腐敗防止局」(National Agency on Corruption Prevention, NACP)を指し、そのサイトにおいて、2023年8月24日付で「NACPがフィリップ・モリス・インターナショナルと日本たばこインターナショナルを国際戦争スポンサーリストに加える」という情報を公開した。さらに、別のNACPの情報として、岸本が引用したと思われる部分がある。そこには、「JTIは2021年を74億米ドルの売り上げで終えた。このうち36億米ドルはロシアの予算に直接投入された。そしてこれは、キンズハリを搭載し、ほぼ毎日ウクライナの都市を恐怖に陥れている約100機のロシア戦闘機の価値である」と書かれている。しかし、「36億ドルはロシアの予算に直接投入された」という記述の信憑性は確認できない(ロシア語文献をいくつか探したが、この情報を確認することはできなかった)。そもそも、どんな税金としてロシアの連邦予算に納税されたかがわからない。しかも、ドルとルーブルとの換算レートも不明だ。さらに不可思議なのは、「約100機のロシア戦闘機の価値」という部分である。戦闘機の値段をいったいいくらに想定しているのだろうか。

岸本が紹介したのは、NACPというウクライナの機関の一方的な情報にすぎない。その意味で、この政治的な情報の信憑性は疑わしい。しかも、2021年のJTIの収益は、ウクライナ戦争が勃発した2022年2月以降の収益とまったく無関係だ。NACPはなぜそんな昔の話を蒸し返しているのだろうか。

こう考えると、NACPの情報をそのまま紹介するという行為は、記者として失格である。自ら使用する情報については、最大限の吟味が不可欠であることは指摘するまでもない(この文章にしても、読者ならわかると思うが、出所を明記しつつ、慎重に考察しているつもりだ)。

何よりも問題なのは、ウクライナの政府機関が個別企業について、「ロシア政府のスポンサーとなっているから不買運動のターゲットにしろ」と呼びかける異常さである。岸本は、「ウクライナ政府は、ロシアで事業を続け、納税などを通じて侵攻を支えているとみなした外国企業を「戦争支援企業」として名指しし、ロシアでの事業の停止や撤退を迫っている」と書いている。これは正確な記述ではない。広く企業名を公表することで、海外の人々にリスト収載企業の製品のボイコットを呼びかけているのだ。

その証拠に、このリストのサイトアドレスは、「https://sanctions.nazk.gov.ua/boycott/」となっている。ウクライナの政府機関がきわめて不透明で恣意的な基準に基づいて、個別企業について「ボイコットせよ」と呼びかけているのは断じて許されない。

もし私が国会議員であれば、ウクライナ政府に対して抗議するように迫るだろう。日本の援助も受け取っている国ウクライナが不明確で恣意的な基準のもとで、支援国日本の企業の製品をボイコットしろと世界中に訴えている事態に対して、日本政府は何も抗議しないのか。

2020年10月にリリースされてヒットした、Adoの期間限定シングル「うっせいわ」の歌詞、「一切合切凡庸な あなたじゃ分からないかもね」という部分の、「あなた」を「ウクライナ政府」と置き換えてみたい。個別企業の活動にウクライナ政府が「いちゃもん」をつけるなど、「うっせいわ」そのものではないか。主権国家であれば、他の国家に対しても、他の国家に属する企業に対しても、何でも主張できるという根拠はない。国家と企業の結びつきは必要以上に国家間の軋轢を引き起こしかねない(つぎの連載29では、生成AIをめぐる国家と企業との関係に焦点を当てる)。

今回論じた問題は、複雑であり、うまい解答を見出すのは簡単ではない。ただ、ここに書き留めることで、問題の所在くらいは、少しだけ浮かび上がってきたような気がする。また、機会があれば、再論したい。

 

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2023年9~10月に社会評論社から『知られざる地政学』(上下巻)を刊行する) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。

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