東アジア共同体形成の意義と課題をめぐる考察 ―木村朗氏との対話を手掛かりに―(中)
国際3.「東アジア共同体」への具体的なプロセスをめぐって
そこで、その木村朗氏の新たな試みの一端について触れておきたい。木村氏はおそらく2019年には明確に上述の「アジア不戦共同体」的な団体を構想して、その「組織化」に動いていたようだ(16)。そして2020年の3月下旬に沖縄で国際集会を開いて、「アジア共同体平和評議会」という名称の団体を発足させる予定でいた。
だが、コロナ禍で中韓もまた大変な事態を迎え、かつ東京などでも「緊急事態宣言」が出されて、国際集会の開催は延期となった。そして現在(2021年春の段階)でも、国境を越える移動は依然として不自由なままである。
この動き出しつつあった構想に関して検討することは、この動きが東アジア共同体研究の進展を意味すると思われるので、きわめて重要な作業となろう。いま手元に、2020年秋に木村氏から送られてきた「アジア共同体平和評議会」という名の団体の「設立趣意書」がある。いまだ「案」の段階だと推測されるが、すでにしっかりと書かれているので、その内容を見てみたい。
まずそこでは、この団体の「設立の背景と目的」が次のように語られている。「21世紀のアジアはどこに向かうのでしょうか。東アジア諸国は、地理上の近接性と経済社会的な相互作用の緊密化を通じて、すでに一蓮托生の関係にあります」。これがその書き出しである。
しかしながら、現実には「運命を共にするはずのアジア諸国は、様々な問題をめぐり今なお反目を続けています。具体的には、尖閣諸島をめぐる日中間の対立、南シナ海をめぐる中国と米国および周辺諸国の摩擦、日本の植民地支配・侵略戦争に端を発する歴史認識や戦後補償の問題などが争点となっています。
さらに、中国と台湾の両岸関係、朝鮮半島の南北分断といった冷戦構造も存続しています」。こうした現状認識に筆者としてもまったく違和感はない。「そればかりではありません。人権侵害、貧困、環境破壊、越境性の感染症、海洋資源の共同利用、食糧・飲料水・エネルギーの持続的な確保など、東アジアの人びとが一致団結しなければ切り抜けられない難局が眼前に待ち受けています。このままでは、アジアという船は乗員の対立により全く前進できないまま沈没しかねません」。
この趣意書の思いは、船のメタファーに仮託して、ナショナルなレベルの対立から、トランスナショナルな問題、そしてグローバルな問題へと視野拡大されている。だが、その基本視線は、あくまでもアジアというリージョンにある。
すなわち、「同じ船に乗り合わせた私たちアジアの人間にとって緊急の課題は、新たな戦争という最悪の事態を回避しつつ、連帯や共生に基づく国際協力を進展させることです。そのためには、まずもって、アジア諸国すべてに共有される具体的な目標や指針が必要になります。言い換えるなら、アジアという船が到達すべき目的地とその航路が記された海図を用意しなければならない、ということです。アジア共同体平和評議会は、アジア共同体の構築こそが、すなわちアジア地域全体の人々が向かう最終的な目的地である、と考えます」(17)。
こうして、「アジア共同体」の構築という当面の目標・目的が明確に示された。そしてそのための、アジア共同体の構築のための海図づくり・実行策が次にくることになる。
そこで、具体的になされるべきことは、以下の2つであると示される。すなわち、(アジア共同体平和評議会という)「本団体の目的は、第一に、目的地とその到達ルートを明確に示す海図をつくることにあります。すなわち、多角的かつ多面的な調査研究を通じて、平和と繁栄に基づくアジア共同体の姿を描き出し、その具体的な実行策を提言する、ということです。
第二に、アジアにおける相互理解と友好関係を民間レベルの国際交流によって促進することも、本団体の重要な目的となります。これは、同じ船で運命を共有する人びとの間に共同体意識を育むことを意図しています」。要するにここでは、「具体的な実行策」の提言と、「民間レベルの国際交流」の促進、この2つがこの評議会の当面の具体的な目標であると示される。ただし、まだそれでもかなり抽象的な表明ではある。
他方、「アジア共同体平和協議会」の設立趣意書では、「アジア地域の市民の参加による新しい智慧・知恵の創造と実践を進めていくことでアジア共同体の創成という目的地に最終的に辿り着くことになる」ための「第一歩・基盤・道・空間としてアジア共同体ネットワーク評議会を設立」することが提唱されている(注(16)も参照)。
しかしながら、この「アジア共同体ネットワーク評議会」とは何か。とくに「アジア共同体平和評議会」と、この「第一歩・基盤・道・空間」として示される「アジア共同体ネットワーク評議会」とは、どういう関係にあるのか(下線は引用者)、少し分かりにくい点もある(後述)。
なお、前者「アジア共同体平和評議会」の「設立趣意書」は、さらにマレーシアのマハティール首相提唱以後の東アジア共同体構想の動きを歴史的に簡潔に振り返った後で、次のように述べている。
「いずれの構想にしても、既存の外交枠組みにしても、今のところ東アジア共同体の創設に直接つながっているとはいまだいえない状態です。しかしながら、今後、21世紀の世界においては、東アジア地域のみならずアジア地域全体の国際的共同体が形成される可能性が高まっているといえます。すなわち、東アジア共同体からアジア共同体へという大きな流れが生まれているのです」。
ここですぐに気づくように、この文章では、「東アジア共同体」から「アジア共同体」への流れが強調されている。そして、「アジア共同体は東アジア共同体の拡大版であり、これはアジア地域の主体的な人間と組織によって初めて形成されるものだと確信しています。一個人、一組織の研究発表、シンポジウムだけで成立する世界ではありません」(以上の下線も引用者による)。
ここに見られるように、(一個人、一組織を超えた)東アジア共同体からアジア共同体へという展開・拡大は、明快・明確だ。
だが、文章はまだ続く。「そのため、アジア共同体を創造する人間と組織を我々が作り、国境・国家・民族を超えた民間基盤を創造することによって未来の国家間におけるアジア共同体創成を支えることができます。その大事な第一歩がアジア共同体のネットワーク構築を通じて人間と組織を創造する評議会の設立です」。
そしてさらに、「未来は過去の活動の積み重ねの上に成立するものです。未来を創造する組織、空間、場として、本評議会を新しい知恵・智慧を生かして挑戦・発見・創造する本評議会を設立して、これを着実に発展させていくことがアジアの平和と共生の実現にとって大きな意義を持つであろうことを確信しています」と続けていく。
ここでいう「アジアの平和と共生」にはもちろん異議はないどころか大賛成であるが、前述のように、この最後の文章に2度出てくる「本評議会」が何を指すか分かりにくい。
「アジア共同体平和評議会」はいわば「親団体」「上位団体」であり、「アジア共同体ネットワーク評議会」は当面の組織化の第一段階ということなのだろうか、あるいは後者は前者の到達点を示すものなのだろうかという素朴な疑問点は残る(18)。とはいえ、筆者はここで、以上でみてきたような新しい構想の記述には「矛盾がある」ということを批判的に指摘するのが狙いではない。
実は、この点に関して、木村氏と直接お会いして話を聞かせていただいたところ(2021年3月21日)、木村氏自身は「アジア共同体ネットワーク評議会」を構想していたが、とくに中国側から「ネットワーク」という用語への違和感が表明されて、最終的に「アジア共同体平和評議会」という名称を用いた経緯もあるようだ。
ちなみに、「東アジア共同体」から「東」をとって「アジア共同体」に広げる点も、木村氏によれば、中国側の主張であったようだ。それゆえ、本稿が検討してきた「設立趣意書」等は、まだ過渡的なものであるとも考えられる。団体の立ち上げ時のこうした名称の決定過程では、それ自体も交渉事であるので、関係者が折れ合い、合意する地点で着地するのは通常のことで、それに関してはもちろん異議があるわけではない。
問題は、「ボトムアップ型」の形成を表明する以上、やはり具体的な道筋は明示する必要があるという点だ(19)。その意味で、「アジア共同体ネットワーク評議会」から「アジア共同体平和評議会」へという道筋のプランは、何らかの形で残しておくべきではないかと思われる。そしてその際、「ネットワーク」という用語が問題であれば、当面は「アジア共同体平和評議会・北東アジア不戦協議会」といった名称で、東アジアからの「第一歩・基盤・道・空間」を示しておく必要があると考えるのも一つの方向性であろうと思われる(20)。
というのも、このことは、上述の「設立趣意書」でも「事業計画書」でも、事務局が日中韓3国それぞれに置かれると示されている点からみても妥当なことと考えられるからである。具体的には、日本側事務局は沖縄(那覇市)に、韓国側は済州島(済州市)に、そして中国側は安徽省(合肥市)に置くとされている。
当面、この3つの国が「第一歩」であれば、「東アジア」ないしは「北東アジア」のような(地域)限定的な名称が求められるように思われるのである。なお、本節の最後になったが、「アジア共同体平和評議会」の共同代表は、日本側が木村朗、韓国側が金汝善(済州大学教授、アジア共同体研究センター長)、そして中国側は金哲(安徽三連学院大学副学長)の各氏が予定されていたことも付け加えておこう。
〇注
(11)こうした木村氏の経歴に関しては、『木村朗 退職記念文集』(2020年3月14日付発行、非売品)の1頁以下や311頁などを参照した。また、一部は木村氏との対話の中で確認した事項も記している。
(12)この「設立宣言」は、当該研究会のブログにて参照することができる。最終閲覧は2021年4月末である。http://east-asian-community-okinawa.hatenablog.com/参照。
(13) 以下に示す主要題目等の情報に関する記述は、拙稿(西原 2018b)での記述を基に、今回さらに加筆したものである。
(14)たとえば、コロナ禍以前の2019年の第20回の研究会は、沖縄・琉球大学を会場として、(筆者を含む)基調報告者2名にコメンテーター1名、さらに個別報告として2名の合計5名が登壇者であった。もちろん、フロアーの参加者(約100名)からも活発な発言があった。筆者が参加した研究会では、回によって異なるが、約50名から300名の規模で研究会が開催されていたという印象がある。
(15) 研究会としての活動のもう一つの柱は、研究会誌『東アジア共同体・沖縄(琉球)研究』の発行であろう。2017年から年1回発行のかたちで刊行され、最新号は2020年の第4号である。各号、ほぼ10名~20名が寄稿している。
(16) 2019年7月の8日と9日付の「Net IB News」には、この組織化に関する木村氏へのインタビュー記事が掲載されている(https://www.data-max.co.jp/article/30319:最終閲覧2021年4月30日)。ただし、ここでは、めざす組織の名は「アジア共同体ネットワーク評議会」と称されている。この点は、本文のなかで検討してみたい。なお、木村氏がインタビューの最後で、「私たちが提唱しているのは『不戦共同体』の構築なのです」という言葉の重みは確認しておきたい。
(17)なお、この引用文中の「アジア共同体平和協議会」という団体は、原文では、「アジア共同体連絡評議会」となっているが、単純な誤植の類いだと思われるので、訂正してある。
(18) 以上の点に関して、「アジア共同体平和評議会」の「会則」を見てみよう。そこでは、最初に、「第1条 本会は、『アジア共同体ネットワーク評議会』と称する」と記されている。「アジア共同体平和評議会」の「会則」の第1条で、「本会は、『アジア共同体ネットワーク評議会』と称する」というのも不明瞭で、木村氏から送られてきた、おそらくは特定非営利活動法人(NPO法人)の申請のための「事業計画書」でも、「法人」の名称は「アジア共同体ネットワーク評議会」となっていたことを付け加えておく。設立構想の段階では、いろいろ未決定のこともあるのは了解できるので、ここでは事実上は両「評議会」が同一だとみなしておく。木村氏からの私信でも、そのように捉えられていると思われるからだ。
(19)「アジア共同体平和評議会」の設立趣意書では、最後に、「本団体の特長」として、「ボトムアップ型の共同体構築」と「(日本側)活動拠点としての沖縄」が挙げられており、ともかくもその第一歩は日本側においては「沖縄」からという点が示されている。ここがポイントの一つである。その点をいまはしっかりと確認しておきたい。
(20)なお、「東アジア共同体評議会」という団体はすでに存在している。それは、2004年に「産・官・学が一堂に会して議論する『場』」として、中曽根康弘元総理大臣を会長として成立し(現在の会長は伊藤憲一日本国際フォーラム会長)、ASEAN関連団体とも積極的に交流しながら、2010年に『東アジア共同体白書二〇一〇』(東アジア共同体評議会編 2010)を刊行し、現在も活動を続けている(ちなみに、参与は大山真未文部科学省国際統括官であり、顧問としては、石井直電通顧問、今井敬日本製鉄名誉会長、田中明彦日本国際フォーラム最高参与、張富士夫トヨタ自動車相談役などの名前があり、事務局長は日本国際フォーラム理事が務めている)。現在までの活動はそのHP(http://www.ceac.jp/j/)で確認できる。
※なお、本稿は日中社会学会の学会誌『21世紀東アジア社会学』第11号に掲載された拙稿を、求めに応じて転載したものである。転載に当たっては、日中社会学会の了解を得、かつ2021年9月に一部改訂した拙稿を含む『21世紀東アジア社会学 第11号 別刷特集冊子』版を基にして、明らかな誤植を3か所だけ直し、かつ『東アジア共同体・沖縄(琉球)研究』用に追加情報を1箇所だけ書き加えた(注(15))。なお、その注で示した諸論稿を含めた『21世紀東アジア社会学』はJ-Stageにアップされているオンライン・ジャーナルで読むことができることを付け加えておく。
◎「東アジア共同体形成の意義と課題をめぐる考察 ―木村朗氏との対話を手掛かりに―(下)」は6月16日に掲載します。
◎「東アジア共同体形成の意義と課題をめぐる考察 ―木村朗氏との対話を手掛かりに―(上)」はこちらから
→https://isfweb.org/post-4246/
※ご支援のお願いのチラシ作成しました。ダウンロードはこちらまで。
砂川平和ひろばメンバー:砂川平和しみんゼミナール担当、平和社会学研究会・平和社会学研究センター(準備会)代表、名古屋大学名誉教授、成城大学名誉教授、南京大学客員教授。著書に『トランスナショナリズム序説―移民・沖縄・国家』、新泉社、2018年、などがある。