☆寺島メソッド翻訳NEWS(2024年11月23日):メディアが伝えないズビグネフ・ブレジンスキーの真実::「現代のテロリズムの起源」
国際※元岐阜大学教授寺島隆吉先生による記号づけ英語教育法に則って開発された翻訳技術。大手メディアに載らない海外記事を翻訳し、紹介します。
2017年6月2日初出の重要記事
ジミー・カーター大統領の前国家安全保障顧問であったズビグネフ・ブレジンスキーが金曜日(2017年5月26日)、バージニアの病院において89歳で死去した。ニューヨーク・タイムズ紙は、この元政府顧問が「タカ派的な戦略理論家」であったことは認めたが、彼の遺産を他の点ではどこまでも肯定的なものであるとしたことは、既存勢力エリートたちが考えたいと思うほど一筋縄ではゆかないことかもしれない。
英国がISISに影響された人物による壊滅的な攻撃を受け、いわゆる「テロの脅威」のレベルをめぐって翻弄され、またフィリピンがISISに影響された破壊行為を受け、ほぼ完全な戒厳令状態に入るなか、この時期にブレジンスキーの死が重なったことは、現代のテロリズムのそもそもの起源がどこにあるのか、もっと深く理解する必要があることを誰しもが念頭に思い浮かべるいい機会になった。
ニューヨーク・タイムズ紙が説明するように、ブレジンスキーの「ソ連に対する激しい憎悪」は、「よくも悪しくも」多くのアメリカ外交政策を主導した。ニューヨーク・タイムズ紙より:
「ブレジンスキーはアフガニスタンでソ連軍と戦うイスラム過激派に何十億ドルもの軍事援助をした。彼はソ連が支援するベトナムがカンボジアを占領しないよう、カンボジアのポル・ポト政権への支援の継続を中国に暗黙のうちに奨励した」。(強調は筆者)
ニューヨーク・タイムズ紙がブレジンスキーのイスラム過激派への支援を指摘するのは進歩的立場に立っているが、彼の復讐に燃える外交政策の効果をたった一文で軽視することは、ブレジンスキーの政策の背後にある真の恐ろしさを正しく扱っていることにはならない。
1973年のアフガニスタンでのクーデターにより、ソビエト寄りの世俗的な新政権が樹立されたため、アメリカは、アメリカの手下であるパキスタンとイラン(イランは当時、アメリカの支持する国王の支配下にあった)を通じて何度もクーデターを組織し、この新政権を弱体化させようとした。1979年7月、ブレジンスキーは、CIAのプログラム「サイクロン作戦」を通じてアフガニスタンのムジャヒディン反乱軍に援助を提供することを公式に承認した。
レーガン大統領とアフガニスタンのムジャヒディン指導者たち
アメリカがアフガニスタンでムジャヒディンを武装させたのは、ソ連の侵略からアフガニスタンとより広い地域を守るために必要だったからだと擁護する人は多い。しかし、ブレジンスキー自身の発言は、この論理を真っ向から否定している。1998年のインタビューでブレジンスキーは、この作戦を実施することで、カーター政権はソビエトが軍事介入してくる可能性を「承知の上で高めた」ことを認めた(ソビエトが侵攻する前にイスラム主義派閥の武装を開始したことを示唆し、当時はアフガニスタンの自由戦士が撃退する必要のある侵攻はなかったため、その理由づけは無意味だった)。ブレジンスキーはこう述べている:
「何を後悔するんだ?あの秘密作戦は素晴らしいアイデアだった。ロシア軍をアフガンの罠に引き込む効果があったのに、私に後悔しろというのか?ソビエトが正式に国境を越えたその日、私はカーター大統領にこう書いた:「我々は今や、ソ連にベトナム戦争を与える機会を手にしています」。
この発言は、戦争とソビエト連邦の最終的な崩壊を扇動したことを単に自慢するだけにとどまらない。ロナルド・レーガンとジョージ・H・W・ブッシュの下でCIA長官を務め、ジョージ・W・ブッシュとバラク・オバマの下で国防長官を務めたロバート・ゲイツは、『影から(From the Shadows)』と題された回顧録の中で、この秘密作戦がソ連侵攻の6カ月前から始まり、ソ連をベトナム式の泥沼に誘い込むという実際の意図があったことを直接認めている。
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ブレジンスキーは自分が何をしているのかよくわかっていた。ソビエトはその後約10年間、アフガニスタンで泥沼にはまり、アメリカが供給した武器と訓練された戦闘員の無限の補給との戦いに明け暮れた。当時、メディアはオサマ・ビン・ラディン(ブレジンスキーの秘密作戦で最も影響力のあった人物の一人)を称賛するほどだった。私たちは皆、その結末を知っている。
ブレジンスキーは1998年、CIAが資金提供した創作物がどのようなものになったかを知りながらも、取材に対して次のように答えている:
「世界の歴史にとって何が最も重要なのでしょうか?タリバンあるいはソビエト帝国の崩壊でしょうか?それとも中欧の解放と冷戦の終結でしょうか?」
この時の取材担当者は、この答えが聞き流されるのを許さず、こう言い返した:
「一部の煽動されたイスラム教徒?しかし、イスラム原理主義は今日、世界の脅威になっていることは繰り返し言われてきたことですよ」。
ブレジンスキーはこの発言を真っ向から否定し、こう答えた:
「ナンセンス!」
この種のやりとりは、ジャーナリストたちが政府高官に突っ込んだ質問をしていたころのことで、今ではめったにないことだ。
ブレジンスキーがこうした過激派を支援したことで、アルカイダ(直訳すると「基地」)が形成され、予想されたソ連侵攻を撃退するための拠点となった。また、現在NATO軍と果てしない戦いを続けているタリバンの誕生にもつながった。
さらに、ロシア帝国の永続的な敗北を描こうとするブレジンスキーの発言にもかかわらず、ブレジンスキーにとって冷戦が終わることはなかったというのが真実である。彼は2003年のイラク侵攻を批判していたが、ブレジンスキーのアメリカ外交政策に対する支配力は死ぬまで続いた。
シリアにおいて、オバマ政権がもう1つのロシアの同盟国であるシリアのアサドに対してアフガニスタン泥沼戦略を展開したのは偶然ではない。2006年12月にウィキリークスによって流出した公電には、当時ダマスカスの米国大使館の臨時代理大使であったウィリアム・ローバックが書いたものがある:
「シリア大統領バシャール・アル・アサドの弱点は、(限定的ではあるが) 経済改革のステップと、固定化された腐敗した勢力との間の対立、クルド人問題、そして移動するイスラム過激派の存在が増大することによる政権への潜在的脅威など、認識されているものと現実のものの両方で、迫り来る問題にどのように反応するかを選択することにあると私たちは信じている。この電文は、これらの脆弱性に関する我々の評価を要約し、そのような機会が生じる可能性をいい方向につなげるために米国政府が発することのできる行動、声明、シグナルがあるかもしれないことを述べている。」 [協調は筆者]
バラク・オバマ政権下の「サイクロン作戦」と同じように、CIAは年間約10億ドルを費やしてシリアの反体制派を訓練していた(テロ戦術に従事するために、だが)。これらの反政府勢力の大半はISISの中核的イデオロギーを共有しており、シリアに「シャリーア法」[厳密なイスラム法]を確立するという明確な目的を持っている。
アフガニスタンの時とまったく同じように、シリア戦争は2015年にロシアを正式に引き入れることになった。そしてブレジンスキーの遺産は、ロシアを再びアフガニスタンのような泥沼に導いているとオバマがロシアのウラジーミル・プーチンに直接警告したことをとおしてその実質をとどめることになった。
では、オバマはこのブレジンスキーの脚本をどこから手に入れ、シリアをさらに恐ろしい6年間の戦争に突入させ、戦争犯罪と人道に対する罪がはびこる紛争で再び核兵器大国を巻き込んだのだろうか?
その答えは、ブレジンスキー自身からである。オバマによれば、ブレジンスキーは彼の個人的な師であり、彼から多くを学んだ「傑出した友人」である。このことを考えれば、オバマ大統領の任期中に多くの紛争が突如として勃発したのも不思議ではないだろう。
2014年2月7日、BBCはヴィクトリア・ヌーランド国務次官補とジェフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使の間で交わされた盗聴された電話の会話を公開した。その電話では、ロシア寄りのヴィクトル・ヤヌコビッチ大統領を追放したクーデター後のウクライナ政府に誰を配置したいかを話し合っていた。
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なんと、ブレジンスキー自身が1998年の著書『グランド・チェスボード』の中で、ウクライナの占領を提唱していたのだ。つまり、ウクライナは
「ユーラシアのチェス盤における新たな重要な空間・・・独立国として存在すること自体が(ロシアが)ユーラシア帝国でなくなることを意味するため、地政学的な要となる」。
ブレジンスキーはロシアにウクライナを支配させないよう警告した。なぜなら、
「(そうなれば)ロシアは、ヨーロッパとアジアにまたがる強力な帝国国家となる手段を再び自動的に取り戻すことになるからだ」。
オバマに続くドナルド・トランプは、ISISと戦うためにロシアやシリア政府と協力することをいとわない、完全に異なる考え方で政権に入った。当然のことながら、ブレジンスキーはトランプの大統領選出馬を支持せず、トランプの外交政策の考えには一貫性がないと考えていた。
とはいえ、昨年(2016年)、ブレジンスキーは世界情勢に対する姿勢を変え、アメリカがもはやかつてのような世界的帝国主義国ではなくなっていることを踏まえ、「世界再編」、つまり世界の力を再配分することを提唱し始めたように見えた。しかし、アメリカの世界的な指導的役割がなければ、「世界的な混乱」に陥るとの指摘に変わりはなく、彼の認識の変化が地政学的なチェス盤の上で実際に意味のある変化に根ざしているとは考えにくかった。
さらに、CIAの存在そのものがロシアの脅威という考えに依存していることは、CIAが旧ソ連とのデタントが可能だと思われるたびにトランプ政権を徹底的に攻撃していることからも明らかだ。
ブレジンスキーの血と狂気の歪んだ地政学的なチェスゲームの駒として避難民にされたり、殺された何百万人もの民間人とは異なり、彼は病院のベッドで平穏に息を引き取った。彼の遺したものは過激なジハード主義であり、アルカイダの結成であり、最近の米国の歴史で言えば、外国勢力による米国本土への最も破壊的な攻撃であり、ロシアは共に平和は決して達成できないし、達成すべきでもない永遠の敵として徹頭徹尾中傷したことだ。
※なお、本稿は、寺島メソッド翻訳NEWS(2024年11月23日)「メディアが伝えないズビグネフ・ブレジンスキーの真実::「現代のテロリズムの起源」」
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-2808.html
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また英文原稿はこちらです⇒IThe Real Story of Zbigniew Brzezinski That the Media Isn’t Telling. “Where Modern Terrorism Originated”
出典:Global Research 2024年10月31日
筆者:ダリウス・シャーターマセビ(Darius Shahtahmasebi)
https://www.globalresearch.ca/the-real-story-of-zbigniew-brzezinski-that-the-media-isnt-telling/5593085
国際教育総合文化研究所所長、元岐阜大学教授