第31回 有希ちゃんは今日も泣いている
メディア批評&事件検証ISF独立言論フォーラム副編集長の梶山天は、被害女児である吉田有希ちゃんが眠る栃木県日光市の墓を2017年から毎年命日の12月1日に訪れて手を合わせている。墓碑には7輪のヒマワリの花が刻まれている。その花たちの真上に彼女に一番似合う言葉「笑顔」がある。
瞼を閉じて少女に思いをはせると、聞こえてくるのは彼女のすすり泣きだ。「梶山さん、犯人は違うよ。検察側の証人の人たちは、どうして嘘ばかりつくの?負けちゃだめよ!!」。こんな声が聞こえてくる。墓地を離れるときには逆に、励まされている自分がいる。
振り返れば、彼女はまだ幼い体で私たちに犯人にたどり着く「証拠」というサインを送り続けている。胃の中に残された誘拐前に小学校で皆と一緒に食べた給食。ワカメご飯であったそうだが、消化されずにご飯粒が残っている状態を私は写真を見て確認した。ある程度の犯行時刻を特定することができる。
発見時の死後硬直の形をみると、車に乗せた状態で死後硬直が起きたと推察することができる。顔や首筋の傷を写真で見れば、自ずと爪であることも明確だ。性犯罪は膣などを調べれば、検察が作った起訴状が誤りであることが明確になる。
そしてだ。彼女の頭から見つかった布製の粘着テープ。これは犯人のDNA型を検出することが可能となる物的証拠である。
鑑定データを隠していたとするならば、改ざんになる。すでに私たちは複数の法医学者に全ての解析データ(エレクトロフェログラム) 等の検証を半年かけてつぶさにしてもらった結果、この件に関しては誤認逮捕事案であることが判明した。
司法解剖の鑑定書は、解剖で観察した事実に基づいて、根拠を示しながら判断した過程を展開しているものであるが、鑑定書によっては事実の解釈と、判断が乖離しているものも少なくない。
そういう意味では、解剖を行った執刀者であっても必ずしも正しく判断できるわけではないが、少なくとも写真だけを見た鑑定人以上に、鑑定書に記載された情報以上のものを見ているのは確かである。
ところが、検察側証人として証言台に立った東京大学大学院と千葉大学大学院を併任する岩瀬博太郎教授は、「法医学では断定してはいけない」と陳述する一方で、「実際に執刀した本田教授の鑑定は間違っている、そして検察側のストーリーには合理性がある」と証言している。もしわからないのなら、検察側のストーリーも本田鑑定も、両方とも否定するか、あるいは認めるかしかないはずである。
この矛盾にご本人が気づいていたとは思えない。2016年3月10日の法廷を見てみよう。
三田村朝子検察官「これらの写真、以前に見ていただいたものですね」。
岩瀬教授「はい」。
三田村検察官「被害者の方の解剖の際に採取された内容物なんですけれども、解剖の結果、胃内容物はごく少量で、本田教授(当時)によれば、米粒が認められたという結果だということはお伝えしてありますよね」。
岩瀬教授「はい」。
三田村検察官「それから、科学捜査研究所が鑑定したところ、この胃の内容物にワカメですとか、ニンジンのかけらが含まれているということが判明しています。捜査の結果、被害者は平成17年12月1日の午後零時半ころから午後1時過ぎころまでの間にワカメ御飯、ミートカボチャ、ゴボウサラダなどを食べたということも判明しているんですね」。
岩瀬教授「はい」。
三田村検察官「この胃内容の残り具合ですとか、今の食事の時間、内容から被害者がその直後、死亡するまでどのくらいの時間が経過していたかということを特定することはできますか」。
岩瀬教授「まず食後経過時間というのは非常にあてにならないものです」。
三田村検察官「なぜですか」。
岩瀬教授「要は食べてから死んだときまでの時間を表すときもありますけれども、消化運動がとまってしまうと、そこからもう胃が動きませんので、死ぬまでに例えば消化運動がとまってから、下手すると脳死状態の患者さんなんかだと1年ぐらいたってから亡くなるなんていうことがあるんですけど、そういう方でも1年前の食事が胃に残ったりしますから・・・・」。
三田村検察官「本田先生によりますと、この胃内容と先ほどの食事の内容からして、被害者は食後4時間以内、つまり12月1日の午後1時ころが最後の食事だとすると、4時間後の午後5時ころまでに死亡したと考えるのが自然であるというふうに証言されたのですが、どう思いますか」。
岩瀬教授「断定できることではないです」。
・・・
一木明弁護士「胃の内容物から時間を推定するのが当てにならないんであれば、例えば先生は著書の中になぜそういうことをお書きにならないんですか。当てにならないということを書かなければ、一般の読者は大変な誤解をするんじゃないですか」。
・・・・
岩瀬教授「先ほど申し上げたようにそれは一般向けの本ですので、わかりやすく書くためにはそんなくどくどと細々としたことは書けないわけです。だから、さらっと書いただけではあります。医学者向けの教科書であれば、もっと細々とあてにならないときはこういう場合があるよというふうに書くんだと思います」。
この証言を踏まえて本田元授は、次のように指摘する。
今市事件において無関係であるはずの「脳死」という極めて例外的なことが、どうして具体例に出るのかよくわからない。岩瀬博太郎著『死体は今日も泣いている 日本の「死因はウソだらけ』(光文社、14年12月15日発刊)には、「消化器官はその内容物を取り出して消化具合も調べます。内容物の消化具合から死亡推定時刻を割り出すことがあるのは、みなさんご存知のとおりです」という内容が書かれてある。
独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。