知床観光船沈没事故の犠牲者めぐり「海保が公表」と捏造、マスコミ実名報道の犯罪
メディア批評&事件検証4月23日、北海道の知床半島沖で、乗客・乗員26人が乗船した観光船「KAZU I(カズワン)」が沈没した。第一管区海上保安本部(小樽市)は5月2日までに乗船者14人の遺体が発見されたと発表。12人が行方不明とされた。
運航会社「知床遊覧船」(桂田精一社長)は昨年も2度事故を起こし、運行記録もいい加減だった。国土交通省は特別監査を行ない、海保は5月2、3日に事務所などを家宅捜索。斉藤鉄夫国交相は同24日、観光船事業の許可を取り消す最も重い行政処分を行なう方針を明らかにした。歴代の自公野合政権の新自由主義的な「規制緩和」政策で、不適格業者の参入が相次いだことが事故の背景にある。国交省の杜撰な検査体制も問われている。
・遺族の承諾なしに犠牲者の実名を報道
ところが、キシャクラブメディアは、事故の原因を追究するより、犠牲者のエピソード報道に集中した。ウクライナ戦争の開戦から2カ月経ったタイミングで起きた事故に、新ネタを求めていたメディアは飛びついたのだ。
キシャクラブメディアはいつものように、事故に遭遇した乗船客の家族、友人らの悲しみを伝えた。乗船客が9都道府県から訪れていたことから、社員記者たちが全国各地の乗客宅や関係者に尾行、待ち伏せなどの人権侵害取材を行なった。取材攻勢で神経をすり減らした乗船客の家族は国交省公共交通事故被害者支援室や斜里町役場に救済を求めた。ところが、キシャクラブメディアは自らの報道加害をほとんど報じていない。
報道機関が談合して重要なニュースを伝えないことを報道管制という。英語圏では「停電」「灯火管制」「瞬間的な記憶喪失」を意味する「ブラックアウト(black out)」と表現する。日本ではマスメディアが報道管制する不法行為は社会問題にならない。日本のメディアは自らの犯罪を隠蔽するので、人民がメディアの暴力を知ることができない。
事故直後から、報道各社は地元での取材をもとに、乗船客に関する情報を報じ始めたが、当初は実名は出なかった。その後の共同通信の「亡くなった方々」と題した配信記事を見ると、海保は4月25日に最初の3人の氏名を「公表」し、報道各社は3人を実名報道した。海保は27日、29日、30日、5月2日にも犠牲者の氏名を「公表」。共同通信は最初の3人の時には家族の意向について何も触れていなかったが、2~5回目の犠牲者計11人の氏名を掲載した記事には、「遺族が匿名を強く希望しています」という、加盟社向けの【編注】が付いていた。
2回目以降は、それまでに「公表」されていた犠牲者の氏名を加えたまとめ記事が配信されているが、それらの記事には「犠牲者の中に、家族が匿名を希望している人がいます」という【編注】があった。海保が「強く匿名を希望」とメディアに伝えるのは異例だ。最初の3人以外は、家族が実名報道を拒んでいると思われる。
しかしメディアは発見された14人全員を実名報道した。残る12人の捜索は今も続いているが、2人の乗員以外の行方不明者の実名は出ていない。
5月2日午後4時11分と15分に、共同通信の5回目の「海保が氏名公表」の記事が配信された。
〈観光船沈没事故で、2日までに公表された犠牲者の方々は次の通り。(略)【編注】犠牲者には、家族が強く匿名を希望している人がいます〉。
翌3日午後9時8分にも、14人の氏名などを再び報道した。記事の末尾に、〈【編注】第1管区海上保安本部が、××さんの年齢を再確認したための出稿です。亡くなった方々の人数に変わりはありません▽犠牲者には、家族が強く匿名を希望している人がいます〉とあった。
共同通信はその後も、〈犠牲者へ絶えぬ献花 広がる追悼、観光客ら〉(10日)などという見出しで、犠牲者をしのぶ友人らの声や献花に訪れる市民の動きを報じているが、実名を出さない記事が多い。当初、実名報道された東京都の3歳女児も仮名になっている。
22日には〈「知床観光船沈没1カ月」中面用 プロポーズ計画、3歳児も 亡くなった方々と乗員〉という見出しで〈亡くなった方々と乗員の横顔〉を配信した。
〈観光船に乗船して亡くなった方々と乗員は次の通り。(5月22日まで判明分)〉として、亡くなった乗客の氏名(読みかな)、年齢、住所(市まで)と〈当日は交際相手の誕生日で、船上でプロポーズを計画していた。港に止められていた車内から、女性を愛する気持ちを率直につづった手紙が見つかった〉〈××さんの娘。かわいい笑顔が印象的だった。「すれ違うとあいさつしてくれる、しっかりした子」と近所の人〉などと職業や人柄が書かれている。
その後、〈【行方不明の「KAZU I(カズワン)」乗員】〉の2人の氏名なども記載された。
毎日新聞は5月7日付〈愛されキャラ いつも笑顔 身元判明14人〉という見出しの特段記事で、犠牲者全員の横顔を報じた。7人の顔写真が付いている。〈海保の発表や関係者の取材に基づいて作成。写真は知人提供やSNSなどから〉という説明文があった。
朝日新聞も同23日付の社会面(31頁)全面を使い、〈1カ月 消息待ち続け〉という大見出しで、犠牲者14人の実名、顔写真(9人)、年齢(12人)、横顔を報じた。〈カンボジアから帰国中〉〈町のゴルフ仲間3人で〉などの小見出しで、犠牲者のエピソードを伝えた。
犠牲者9人の顔写真が載っているが、親族提供は1人だけで、ほかの8人は、友人・知人提供、フェイスブックから、インスタグラムからとなっている。家族から、実名や写真などを掲載することについて了解を得ているのだろうか。犠牲者の直近の家族の了承なしに実名などの個人情報を掲載するのは報道倫理に反している。
地元の北海道新聞の記者は「初期段階では、全国紙が書いたような乗船客のエピソード記事も掲載しないようにしていた」と振り返る。たまたま事故に遭遇した犠牲者について、家族の意向を無視してまで、社会に伝える必要はあるのだろうか。
私が現役の記者だった時代は、航空機・船舶の事故では、発生の直後に旅行代理店や交通業者から入手した乗客名簿が生の形で報道されていたが、今は違う。行方不明者は全員がずっと仮名だ。身元が確認された犠牲者に対しては、警察・消防・海保などの行政機関が直近の親族にメディアによる「実名報道」「取材の可否」などについて意思確認をしている。
国際経済協力開発機構(OECD)の「プライバシーの保護と個人データの交流についての理事会勧告」では、市民はどんな自己情報が集められているかを知り、不当に使われないよう関与する権利(自己情報コントロール権、情報の自己決定権)を有すると規定している。日本国憲法13条や、市民的及び政治的権利に関する国際規約17条もプライバシー権を保障している。
・地元町長の懇願
4月24日配信の共同通信(国近賢宏記者)の〈乗客の家族「寄り添って」 現地入り国交相に要請〉と題した記事によると、〈斉藤鉄夫国土交通相は24日、北海道・知床半島沖の観光船事故を受けて斜里町の現地対策本部を訪れ、乗客の家族と面会した。その後、報道陣の取材に応じ「(家族から)自分たちの気持ちに寄り添って対応してほしいと強い要請があった」と明らかにした〉とある。
運航会社の桂田社長は4月27日、斜里町内のホテルで記者会見し、「お騒がせしまして、大変申し訳ございませんでした」と土下座して謝罪した。
この会見に先立ち、国交省の現地対策本部長の坂巻健太・大臣官房審議官と地元の斜里町の馬場隆町長は、乗客の家族への取材を控えるよう強く要請した。テレビ・ラジオは社長会見を中継しており、2人のメディア批判が公共の電波に乗った。動画は、朝日新聞とTBSのHPにも掲載され、坂巻・馬場両氏の発言もある。共同通信・北海道新聞のサイトにある動画は、両氏の発言部分がない。
両氏は会見場に並んで登壇し、まず、坂巻氏が「私は現地対策本部長の坂巻です」と自己紹介し、次のように発言した。長文になるが、全文を載せる。
「会見に先立ち、報道各社の皆さんに少しお願いがある。ご家族の方々の滞在先、あるいは行動先への取材が非常に過熱されている状況だ。それに加え、全国各地にある家族のご自宅へもかなり取材が行っていることで、ご家族の方々がかなり疲弊しておられる状況で、いろんな集まり、会合で、我々はお話を伺っている。非常に痛ましく思っている。ぜひ、皆様方のご配慮をお願いしたい。よろしくお願いしたい」。
続いて馬場町長が「私たちの町の事業者が起こした事故で、多くの方々にご迷惑をおかけしていることを、心からおわびを申し上げたい」と頭を下げたあと、報道関係者にこう訴えた。
「報道のみなさんも、この事故の経緯、推移をつぶさに国民の皆さんへ伝えるということで昼夜を問わず、取材に当たっておられる、ご苦労様です。そんな中で、私からもお願いしたいことは、26名が事故に遭われている。11人(4月27日現在)の方が見つかったが、残念ながら全員死亡と確認されている。また、15人(同)が見つけられず、いまだに冷たい海の中にいることで、早く家族の方々のもとにお返ししたいという思いで、海保をはじめ私の仲間である漁業者も懸命に捜索に当たっている。空から船から、一部は陸に上がって捜索を懸命に続けているが、そんな中で、C子ちゃん、3歳のおじいちゃん、おばあちゃんが、見つかってよかったという喜びと同時に、まだそのご両親、息子さんたちがまだ見つかっていないということで、早く見つけて一緒に連れて帰りたいと、今も辛い思いでおられる。
聞けば、実家にもどんどん報道の方が寄せているということだった。殺到しているという。おじいちゃんは、全員が揃ったら、その暁には、しっかり皆さんにお話しさせてもらう、だから、今はまだそっとしておいてほしいと、先ほど、事業者の説明の後に話された。
C子ちゃんのご冥福を祈るということで、安置されている体育館に、町民の皆さんが 献花に訪れたことへの感謝の気持ちとともに、そのようなお願いを託された。
毎度、記者会見やぶら下がり取材などで、このようなお願いを繰り返しているが、一番辛いのは亡くなった方、ご家族の方なので、その気持ちに寄り添った取材の仕方をどうぞ考えていただきたい。見るだけで、心で感じてそれを記事にしていただきたい。
できれば、生のコメントを望む気持ちは分かるが、今はまだそんなときではないのではないか。どうか皆さま、ご家族の気持ちを大事にしてお仕事、取材に当たっていただきたいということを、心からお願い申し上げたい。どうぞよろしく願いしたい」。
自治体の首長と国の現地責任者が公の場で取材攻勢について苦言を呈したのは極めて異例だ。私は現役の記者だった時、『犯罪報道の犯罪』(1984年)で「報道被害」「報道加害」という言葉を使い、取材報道による暴力を防止する仕組みを作ることを提言してきたので、彼らの的確な指摘に強く共感した。私が報道改革を訴えて約40年になるが、人権と報道の現状はむしろ悪くなっていると思う。
記者たちは黙って聞いていた。私が見た限り、両氏のメディアに対する痛切な訴えをニュースとして報じたテレビ、主要紙はない。一部のスポーツ紙とネット媒体に短い記述があった。
週刊文春5月19日号の特集記事に〈遺族が怒ったNHK・TBSの取材手法とは〉という小見出しで、次のような記述があった。
〈哀しみに暮れる遺族の憤りを買ったメディアがある。4月30日、亡くなったC子ちゃん(3)の祖父は囲み会見に応じた。テレビなどでは詳細は報じられなかったが、10分強の会見のうち、5分が取材姿勢に対する批判。中でも名指しされたのがTBSだ。「国土交通省の方が報道規定を設けました。そう新聞に掲載されていました。それなのに先ほどTBSの方が『取材させてくれ』と。これが報道規定ですか!」〉。
〈さらに、別の遺族はNHKに抗議を行ったという。「その遺族はNHKの記者に『報道各社で共有して欲しい』と、知床遊覧船が家族へ公開した資料を提供しました。ところが、NHKは共有しないまま“独自ネタ”として報道してしまった。遺族から抗議された記者は『記者クラブが機能していない』と言い訳をしたそうです」(社会部記者)〉(記事ではC子さんは実名)。
今回の報道加害について詳しくとり上げたメディアは週刊文春だけだ。
共同通信によると、事故の犠牲者の勤務先が4月28日、取材自粛を要望した。
〈死亡が確認された福島県会津若松市のDさん(28)が取締役を務める「リオン・ドールコーポレーション」(同市)は28日、「遺族は大切な家族を突然失い悲嘆に暮れており、取材などはくれぐれも控えてほしい」とのお知らせを公表した〉。
メディア関係者は、勤務先へも暴力的な取材を行なっているのだ。
4月29日の北海道新聞に以下のような記事があった。
〈北海道内に取材拠点のある北海道新聞などの新聞社や通信社、放送局の報道各社計24社は、観光船が遭難した事故の取材について、被害者家族や関係者の心情に配慮し、節度を持って当たることを申し合わせた。(略)
多数の記者が詰めかけて集団的過熱取材(メディアスクラム)が起きるのを避けるため、「代表者が取材を申し入れたり、各社の質問をとりまとめて代表取材をしたりするなど、誠意を持って協力する」としている。〉
この申し合わせは事故発生から5日後に行なわれた。主要メディアは事件事故で酷い取材・報道をした後に、こういう文書をまとめるが遅すぎる。
また、申し合わせにある「メディアスクラム」(media scrum)は誤った用語だ。メディアスクラムは、記者たちがスクラムを組み、力を合わせて権力に立ち向かうという意味で使われる。英語圏では、集団的な人権侵害取材のことを「フィーディング・フレンジー」と呼ぶ。サメの群れ(記者やカメラ・クルー)が一匹のか弱い獲物(市民)を食い物にすること(人権侵害)に譬え、「狂食」(feeding frenzy)という。私は「凶乱」と訳している。
C子さんの祖父は事故から8日目の4月30日、現地対策本部がある斜里町ウトロ支所前で、報道陣の取材に応じた。祖父にとって息子であるC子さんの父親の死亡が確認され、母親が行方不明のまま。冒頭で、海保、漁業関係者らや、献花台を訪れる市民に感謝した。祖父はその後、報道機関の取材活動について、宿泊先へ押しかけ、後をつけられたりし、知人などにも執拗に取材に迫ってくると、涙ぐみながら明かした。「なぜ私たちをそっとしておいていただけないのでしょうか。みなさんの報道のあり方、モラルに非常に残念です」と強い口調で批判した。
メディアは祖父の発言を動画で報じた。東京新聞と日刊スポーツに、祖父のメディア批判が出ているが、NHK、民放キー局はこの部分を報道していない。祖父が報道関係者の取材に応じたのは、行方不明の方々の捜索への協力を求めるとともに、メディアによる人権侵害取材を止めるためだったのではないか。馬場町長らの要請や、道内主要メディアの取材に関する申し合わせにもかかわらず、報道の暴力が依然として続いていることを示している。
1948年、香川県高松市に生まれる。1972年、慶應義塾大学経済学部を卒業、共同通信社入社。1984年『犯罪報道の犯罪』を出版。89~92年、ジャカルタ支局長、スハルト政権を批判したため国外追放された。94年退社し、同年から同志社大学大学院メディア学専攻博士課程教授。2014年3月に定年退職。「人権と報道・連絡会」代表世話人。主著として、『犯罪報道の犯罪』(学陽書房、講談社文庫)、『客観報道』(筑摩書房)、『出国命令』(日本評論社)、『天皇の記者たち』、『戦争報道の犯罪』、『記者クラブ解体新書』、『冤罪とジャーナリズムの危機 浅野健一ゼミin西宮』、『安倍政権・言論弾圧の犯罪』がある。