改めて検証するウクライナ問題の本質:XIII NATOの秘密作戦Stay-behind の影(その1)
国際米・NATOによる「偽装作戦」
この意味で「偽装作戦」は、「最大限の混乱を引き起こすための『緊張の戦略』(strategy of tension)の一環」であり、「高度に組織化されたテロ活動であった可能性を示唆している」(注5)のは間違いない。そして、最終的にロシア・ウクライナ戦争を勃発させる上で決定的となったこの高度の「テロ活動」の真相を米国が封印したまま、ひたすら「民主革命」や「尊厳の革命」というプロパガンダに徹しているのは、彼らの対ウクライナ政策の闇がいかに深いかを証明していよう。
しかも、単に極右やネオナチだけで計画・実行されたのかという疑念が消えない。なぜなら戦後の欧州は、米国やNATOがらみの「偽装作戦」に事欠かないからだ。
特に戦後に開始されたStay-behind(残留)と名付けられたCIA主導のNATOの極秘作戦は、未だに厚い機密のベールに覆われているが、ウクライナの狙撃事件と本質的な部分で重なり合う。
一般にStay-behindはイタリアにおけるそのコードネームであるGladio(イタリア語で短剣)で知られているが、今日まで各国政府のみならず欧米主流メディアも、極力その存在に触れるのを避ける傾向が目立つ。
イタリアのジュリオ・アンドレオッティは1990年11月5日、Gladioの存在を公式に認め、責任を取る形で首相を辞任した翌日、NATOの報道官は「この種の組織はNATOの軍事機構の枠組みには存在しないし、存在したこともない」と声明。ところがさらにその翌日になって、別の報道官が今度は「前日の発表は誤り」で、この件に関してはコメントしないと「撤回」する醜態を演じている。
この発言通りなら「存在」は認めるもののそれ以外は一切ノーコメント、と解釈できるが、実態が判明したら、「民主主義」を自身の正統性を飾る常套句とする欧米の「軍事機構」の根底にある腐敗、暴力性が露呈するのは疑いない。
1956年11月26日に始まったStay-behindと称した作戦は、もともと冷戦時代に旧ソ連軍やワルシャワ条約機構軍が欧州諸国を「制圧する可能性がある場合に備え、各国が秘密工作員や組織を自国内に配置し、工作員は(制圧後の)抵抗運動の基盤を形成したり、敵陣の背後からスパイとして活動する」(注6)オフィシャルな地下活動を意味していた。
ウクライナに生きている冷戦期の「遺産」
だが、「制圧」という事態は最初から可能性が乏しく、それに備えた占領下での「偽装作戦」によるテロ・破壊活動や社会不安工作、ニセ情報・扇動作戦用のNATOの秘密部隊は、「敵国」ではなく欧州の国民自身に刃を向けていく。目的は、共産党を始めとした左派勢力の欧州諸国内の拡大を阻止することにあるとされた。
「Stay-behindのテロは、欧州の人々を恐怖で形成し、欧米のエリートの目標に有利な政治状況を操作するために実行された。……偽装の攻撃を認可し、実施する過程で、欧米のエリートや機関は、意図的に何千人もの欧州の市民を殺し、傷つけ、心理的に恐怖に陥れた。このような暴力は、西欧の政府の選ばれた要員や情報機関、司法、そして警察の忠実な右翼的幹部と極秘に共謀して実行された」(注7)。
特に実態がある程度まで知られているのは、冷戦期に共産党が欧州内で最大の勢力を誇っていたイタリアの例だ。Stay-behindにGladioというコードネームを与えられたが、分離主義勢力や極左によるテロ・破壊活動と当初は政府によって発表されながら、実際は米国の関与のもと、秘密の治安機関が実行したGladioの作戦だった。その主な例とされるのは、以下が挙げられる。
①主要送電装置が一斉に爆破され、北イタリアを中心に電力供給が停止した「火の夜」事件(1961年6月12日)
②ミラノの全国農業銀行爆破事件(1969年12月12日。17人死亡)
③ブレーシャ市内の広場で開かれていたネオファシストテロ反対集会に対する爆破攻撃(1974年5月28日。8人死亡)
④上院議長のアルド・モロの誘拐・暗殺事件(1978年3月16日)
⑤ボローニャ中央駅爆破事件(1980年8月2日。85人死亡)
同じようなStay-behindによるとされるテロ等の犯罪事件は、ベルギーやスペイン、ギリシャ、ノルウェー、旧西ドイツ、フランス等でも発生しているが、いずれも真相は不透明なままにされている。
Gladioは1990年7月27日に、イタリア政府によって「解散」となったと公式発表されたが、おそらくStay-behindを冷戦時代の遺物と片づけるのは困難だろう。むしろ冷戦崩壊後の今日も、形を変えて米国やNATOによる「偽装作戦」として継続していると推測される余地がある。
米国の州立ポートランド大学教授で、国際関係を始めとした多彩な研究分野で知られるジェラルド・サスマンは、冷戦時代に旧ソ連を解体しようとした米国の「執拗な努力」は冷戦終結後も「一度も衰えたことがなく、今度はロシアに対して向けられ、CIAや英国のMI6(情報局秘密情報部)は今日までかつての旧ソ連・ワルシャワ条約機構の勢力圏で、モスクワの影響力とロシアの主権自体を消滅させる目的で侵入」していると指摘。そしてウクライナこそ、「そのための主要な通路であり続けている」(注8)と見なす。
冷戦終結後のNATO拡大はまさにサスマンの言説を裏付けているが、ならばNATOのStay-behindには当初から、「欧州の防衛」という公式の建前には留まらないより能動的・好戦的な役割が与えられていた可能性が高い。
そして現在のロシアに対しても「目的」が変わらないとしたら、その「手段」としてのStay-behindの存在価値も消滅したと捉えるのは非現実的であるに違いない。当然ながら、2014年2月の「味方」が「味方」を狙撃した事件、そしてウクライナのクーデターの背後に、米・NATOの暗部が見え隠れするのも根拠がないわけではない。(この項続く)
(注1)「The “Snipers’ Massacre” on the Maidan in Ukraine」(URL:https://www.academia.edu/8776021/The_Snipers_Massacre_on_the_Maidan_in_Ukraine)
(注2)(注1)と同。
(注3)March 9, 2016「REPORT: The Real Ukrainian “Snipers’ Massacre”, 20 February 2014」(URL:https://gordonhahn.com/2016/03/09/the-real-snipers-massacre-ukraine-february-2014-updatedrevised-working-paper/)
(注4)January 22, 2022 「The hidden origin of the escalating Ukraine-Russia conflict」(URL:https://canadiandimension.com/articles/view/the-hidden-origin-of-the-escalating-ukraine-russia-conflict)
(注5)March 01, 2015「False Flag? The Kiev Maidan Snipers, They Fired On Both Police and Protesters」(URL:https://www.globalresearch.ca/false-flag-the-kiev-maidan-snipers-they-fired-on-both-sides/5434179)
(注6)「Stay-behind」(URL:https://military-history.fandom.com/wiki/Stay-behind)
(注7)March 14, 2017「The “Deep State” and the Unspoken Crimes of the U.S. Empire, Operation Gladio」(URL:https://www.globalresearch.ca/legitimacy-the-west-and-operation-gladio)
(注8)July 27, 2022「Russia-Ukraine Conflict: The Propaganda War」(URL:https://www.counterpunch.org/2022/07/27/russia-ukraine-conflict-the-propaganda-war)
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1953年7月生まれ。中央大学大学院法学研究科修士課程修了。政党機紙記者を経て、パリでジャーナリスト活動。帰国後、経済誌の副編集長等を歴任。著書に『統一協会の犯罪』(八月書館)、『ミッテランとロカール』(社会新報ブックレット)、『9・11の謎』(金曜日)、『オバマの危険』(同)など。共著に『見えざる日本の支配者フリーメーソン』(徳間書店)、『終わらない占領』(法律文化社)、『日本会議と神社本庁』(同)など多数。