【連載】データの隠ぺい、映像に魂を奪われた法廷の人々(梶山天)

第44回 母は我が子の帰りを待っている

梶山天

2005年12月に下校中の小学1年女児(当時7歳)を誘拐し、殺害したとして無期懲役の判決が確定した勝又拓哉受刑者(40歳)が収監されている千葉刑務所では、昨年に続き、今年7月下旬にも看守3人が新型コロナウイルスに感染していた。朝8時からの工場での作業がストップしてやっと今月22日に再開したそうだ。母親との面会も可能となったため、勝又受刑者にとっては何よりうれしかったという。

母親と面会し、幸福をかみしめる瞬間だ。というのも塀の中での生活は2年余りになるが、拓哉と呼ばれることは一度もない。刑務所では番号が名前の代わりなのだ。だから刑務所内での名前は「103番」。楽しみといえば、食事しかない。誕生月の受刑者には食堂でケーキが配られるそうだ。

話は少し逸れるが、ISF独立言論フォーラム副編集長の梶山天が朝日新聞新人記者で佐賀支局時代に「なくそう暴力」というコラムをほぼ一人で426回書き続けた。そのなかで、正月の数日前からやたら無銭飲食で逮捕されて佐賀警察署の留置場が満杯になるという記事を書いたことがある。実はこの人たちは同署の看守によれば、正月のおせち料理にあやかろうとの常連さんで、年末になると房がいっぱいになるという。「そろそろ来る頃だな」などと看守たちもちゃんと準備しているという。実はこの料理が、かなり豪勢なものだという。

千葉刑務所ではどうだろう?と勝又受刑者に母親を通じて聞いてもらったら、元旦には正月料理が出て刑務所内での楽しみの一つに入るという。

本題に入ろう。勝又受刑者は弁護団が再審をどう考えているか気になっているという。面会に来た母親からISF独立言論フォーラムのホームページで今年4月から梶山が入手した警察の内部文書などを基に今年4月から連載を展開していることを聞かされていたのだ。

梶山と筑波大学法医学教室の本田克也元教授、徳島文理大学大学院の藤田義彦元教授は、すでに再審の証拠として被害女児の頭部から押収された布製粘着テープのDNA型鑑定結果で真犯人とみられる女性のDNA型が検出されているにもかかわらず、それを隠し、その鑑定自体を犯人追及できないと証拠をつぶしていたことを突き止めた。すでに再審の証拠はある。

DNA型鑑定がおかしいと思ったのは、本田元教授の被害女児の解剖結果から犯人像が女である可能性が大きいことが明らかになったことである。しかし、一審では男が出ている。なぜなのか、あきらめずに追求した結果、女性が隠されていたことが分かった。

警察、検察の捜査というたくさんのパズルの中から犯人に直結する一枚のパズル「布製無粘着テープのDNA型鑑定」の謎を探し当てたら、次から次へと偽証の違法捜査が表面化した。これも、あれもと、全ての疑問が嘘のように解けていった。何と検察に頼まれ、一審の法廷から控訴審まで証人として出廷した警察官や検察官、にそして法医学者らが偽証を働いていたのだ。それを裁判官たちが偽証を止めるどころか、後押ししたのである。歴史に汚点を残す裁判と言えるだろう。

ここまで暴いたのだから、後は再審で勝てるという自信がある弁護士に託したい。裁判で負けるような弁護士には託さない。

梶山が特にこだわるのは、勝又受刑者の母親の病気だ。骨髄異形成症候群という重い病だ。その母親がこれまでの思いをつづった文章をここで紹介したい。

台湾出身の母が勝又受刑者を連れて日本を初めて訪れたのは勝又受刑者が小学6年生のときの1995年夏の終わりごろだった。しかし、この時はビザが途中できれたため、旧今市市の大沢小は卒業したもののその後いったん台湾に戻り、97年に母は日本に帰化し、子どもたち2人は今年までに帰化した。

台湾での小学生時代の勝又拓哉受刑者(左)、中央は姉、右は母。

 

母がルイ・ヴィトンなど気偽物の商標法違反に手を出すようになったのは、この難病にかかり治療費などを確保するためだったという。

母は語る。拓哉が逮商標法違反容疑で逮捕されてから一審の判決まで接見禁止がつづきました。私自身も同時に逮捕され、暫くの間、拓哉に会うことができなくなりました。偽ブランド品を販売目的で家の駐車場に置いたとして、拓哉は、私の荷物の保管の罪で共犯とされました。そして同じ疑いで2度逮捕され、これで終わりかと思ったら、今度は殺人罪で逮捕されたので、信じられませんでした。

後で知って驚いたのですが、殺害された被害女児の遺棄現場は、私の顧客の販売ルート上でしたが、拓哉は、私の指示でしか行ったことがありませんでした。しかもそのルートは私が商標法違反で調べられた際に私が話していたもので、コースは全く同じでした。

だから、捜査と裁判で真実を調べれば、必ず、明らかにできると高を括っていました。日本にはちゃんとした捜査機関・司法機関が存在するからです。判決前日もフジテレビ担当記者のインタビューを受け、必ず無罪になり、自由を取り戻せると自信を持って答えました。

その時は本当に、とても楽観的に考えていました。

判決の日、拓哉が出てきたら、どこに住むか、仕事はどうするか、色々な準備をして計画も立てました。裁判の判決は従来は3月30日でしたが、延期され、4月8日になりました。本心としてしっかり調べて真剣に熟考してくれていると思っていました。無実の証明を検討するのは、大変なことだと思っていました。

判決の日、無罪判決を心待ちして、親族用の特別傍聴券を貰い、法廷に入りました。無実なので、無罪判決が言い渡されると確信していました。裁判官たちが着席し、傍聴の方も大勢来ました。私も今市事件の注目度の高さに驚かされました。

拓哉は犯人じゃない。私は確信していました。絶対に無罪判決が出ると。

しかし、裁判官の口から出た言葉は、有罪の無期懲役でした。余りにもショックで、初め私はその判決を受け入れる事が出来ませんでした。まさか聴き間違え?それとも日本語の意味が分からないのか?しばらく松原里美裁判長の表情を見ていたのを今でも忘れていません。

裁判官はちゃんと事件の経過を審議したのであろうか?結果を疑うしかありませんでした。想像もしていなかった有罪判決に、体調が持たず、しばらく家で寝込みました。

なぜ、拓哉を台湾から日本に連れてきてしまったのか?ずっと思い悩みました。しかし、それも暫く経ってから支援者の方々のお優しいお心遣いに励まされて、おかげで立ち直る事ができました。

その後は、控訴審での闘いを続けました。ました。高等裁判所に正しい判決が出るように要請行動にも毎月参加しました。

検察と裁判所は訴因変更までして、強引と言われようとも有罪にしたかったのでしょうか?なぜかわかりません。判決の時の藤井敏明裁判長と最高裁判所の三浦守裁判長には私たちのことを記憶に刻み忘れないでほしい。私たち親子は絶対無罪を勝ち取るまで闘い続けるということを。

私は拓哉を信じています。言葉や字もまだ完壁とは言えませんが一生懸命に学ぼうとしています。それなのに。叩いたり、どなられたりされて、何もわからず従ったあの子がかわいそうでなりません。本来ならもう結婚し、普通の家庭を持って、子どももいて幸福な一生を夢見ていたのに……。

そしてISF独立言論フォーラムの梶山さんと連帯する皆様、あなたたちの報道でたくさん人たちが声援を送ってくださっています。そして他県の警察の人たちが「幻の証拠でよくも逮捕したものだ」と批判していることも耳に入りました。日本に来てよかったと思いたい。

母さんの鼓動もいつの日か聞こえなくなってしまうけど、拓哉を描き続けること、この空に誓うから。だから母さんは待っている。拓哉、あなたが帰ってくることを。

台湾の幼稚園を卒園した勝又拓哉受刑者。

 

連載「データの隠ぺい、映像に魂を奪われた法廷の人々」(毎週月曜、金曜日掲載)

https://isfweb.org/series/【連載】今市事件/

(梶山天)

 

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梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

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