改めて検証するウクライナ問題の本質:XIV NATOの秘密作戦Stay-behindの影(その2)
国際混乱の場で脚光を浴びたパラシュクとは
当時、「合意」に署名し、ヤヌコビッチと握手してから集会に顔を見せたクリチコは、群衆の激しい怒号の前に謝罪を余儀なくされたという。そしてヤヌコビッチが簡単に脅しに屈してロシアへの亡命を強いられたのは、「政治取引の一環として、すべての治安部隊がキエフ中心部とキエフ郊外の大統領の私邸から撤退していた」(注8)ため、身の安全が保証されない事態となったからだった。
この「無名だったパラシュク」とは、前出の「ウクライナ民族主義者組織」の直系であるネオナチの「ウクライナ民族主義者会議」(Congress of Ukrainian Nationalists,1992年10月設立)のメンバーで、弱冠27歳ながらマイデンで抗議行動の「防衛隊」の責任者に加わっていたボロジミール・パラシュクを指す。
クーデター後にパラシュクは、ウクライナ南東部でクーデターに同調しなかったロシア系住民を鎮圧するため設立された「右派セクター」系の「特別任務パトロール警察連隊」と称する極右民兵「ドニプロ1大隊」(注9)の中隊長として、戦闘に参加している。
パラシュクは独紙『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』(電子版)15年2月8日付の「マイダンの血戦はどのようにして起こったのか?」という記事でインタビューに応じ、「(自分のグループの)多くの若者が、武器を取って攻撃するべきだと言ってきた。……多くは狩猟用ライフルを持っていた」と述べ、「一度だけ」「銃を使って防衛した」と警官隊に発砲した事実を認めている(注10)。
だが、肝心の死者が最も多かった抗議運動側への銃撃については何も触れていない。
銃撃した側はヤヌコビッチの延命を拒否し、政治的和解など考慮外の勢力の一員であるのは疑いなく、実力行使も厭わず混乱を生み出すのを主眼としていた。
この点でヌーランド―パイアットのラインとは別の指揮系統で動いていた可能性が強いが、銃撃した側のキーパーソンはパラシュクではない。2月21日まで無名だったパラシュクよりはるかに知名度と政治歴を誇り、その背後の闇が深い人物がいる。その名をアンドレイ・パルビイといい、ウクライナのネオナチの中心人物に他ならない
(この項続く)
(注1)November 26 ,2004「US campaign behind the turmoil in Kiev」(URL:https://www.theguardian.com/world/2004/nov/26/ukraine.usa)。
(注2)(注1)と同。
(注3)December 15,2017「The Maidan Massacre: US Army Orders: Sow Chaos」(URL:
https://journal-neo.org/2017/12/15/the-maidan-massacre-us-army-orders-sow-chaos/)
(注4)April 21, 2014「THIS IS A RUSH TRANSCRIPT. THIS COPY MAY NOT BE IN ITS FINAL FORM AND MAY BE UPDATED」(URL: http://edition.cnn.com/TRANSCRIPTS/1404/21/ampr.01.html)。
(注5)March 17, 2014「Coup D’état Ukraine: Victoria Nuland, NeoNazis and Natural Gas」(URL:https://outerlimitsradioshow.com/2014/03/17/a-ukrainian-coup-detat/)。
(注6)February 2,2014「Western Powers Back Neo-Nazi Coup in Ukraine」(URL:https://larouchepub.com/other/2014/4106wwiii_nazi_ukraine.html)。
(注7)February 13,2015「Wℎat triggered the Maidan massacre? 」(URL:https://www.bne.eu/kyiv-blog-what-triggered-the-maidan-massacre-500444157/?archive=bne)。
(注8)(注7)と同。
(注9)「国連人権高等弁務官事務所」が16年に発表した『Report on the human rights situation in Ukraine 16 August to 15 November 2016』によれば、「ドニプロ1大隊」は住民に対する「強制失踪、拘束、虐待、不法監禁」や暴行等の人権侵害の訴えが寄せられていると記述されている。
(注10)February 8,2015「Wie kam es zum Blutbad auf dem Majdan?」(URL:https://www.faz.net/aktuell/politik/ausland/ukraine-die-hundertschaften-und-die-dritte-kraft-13414018.html?printPagedArticle=true#pageIndex_2)
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1953年7月生まれ。中央大学大学院法学研究科修士課程修了。政党機紙記者を経て、パリでジャーナリスト活動。帰国後、経済誌の副編集長等を歴任。著書に『統一協会の犯罪』(八月書館)、『ミッテランとロカール』(社会新報ブックレット)、『9・11の謎』(金曜日)、『オバマの危険』(同)など。共著に『見えざる日本の支配者フリーメーソン』(徳間書店)、『終わらない占領』(法律文化社)、『日本会議と神社本庁』(同)など多数。