「資源のない国」から「自然豊かな国」へ―安藤昌益に学ぶ―(前)

中瀬勝義

1.はじめに

2011年3月11日の東日本大震災は日本の痛みだけではなく、世界の人々に大きな教訓を与えたのではないだろうか。自然の脅威を乗り越え、豊かな生活を勝ち取ってきたと思っていた現代文明が、今回のようなあまりにも大きな自然災害には全く力不足だということを知らされた。石油や原子力、電気を活用した、便利な文明社会も根幹が揺らぎ、今までの文明を抜本的に見直さざるを得ない状況におかれている。

資源の少ない日本は明治維新後、欧米に追い付け追い越せと遮二無二走り続けてきた。特に第二次世界大戦の敗戦以降、辛い農林水産業から皆が豊かになれる生産性の高い工業・貿易立国になろうと政府がリードし、企業と国民みんなで努力してきた。それは外国の安い資源を大量に購入し、良い商品を製造し、付加価値をつけて高く販売できたために可能であった。

一時はジャパン・アズ・ナンバーワンと言われ、世界一と感じられる時期もあったが、そのバブルがはじけ、その後の経済不況は 20 年以上も続いている。その間に韓国や中国、インドをはじめ世界各国の工業化が進展し、日本の工業シェアは減少し始めている。そのため、従来のビジネスモデルや企業の在り方は継続が困難で、抜本的な国の在り方の転換が不可避となっている。

これからの日本は、欧米のように自然に立ち向かうのではなく、昔から行ってきた人間と自然が共生する文化に戻る必要がある。その意味で、江戸時代中期の「いのちの思想家・安藤昌益」が希求した平和で「平等な社会」、「直耕」などが重要なキーワードである。

2.世界の一人当たりのGDPと「平等な社会」

安藤昌益は「天下に人は唯一人なり。唯一人の人たるに、誰を以って上君となし、下臣と為し、然ることを為して王と為し民と為さんや。・・・この一人に於いて誰を治めんや。王政を為さんや」(『統道真伝』)、即ち「人間には上下の差別はなく、すべて交互性をもっていて、両者の差別はない」として、「平等な社会」を説いている。その意味で最初に、世界における一人当たりのGDPを見てみたい。

国際通貨基金(IMF)の2011年の統計によると、ルクセンブルグが世界一で、カタール、ノルウエー、スイス、アラブ首長国連邦の順位となっている。日本は世界第18位で、近年急成長の中国は世界89位、インドは138位である。

その中身を見るとルクセンブルグ908万円、アメリカ387万円、日本367万円、中国43万円、インド11万円、181位のコンゴ1.7万円と大変大きな差が見られる。世界の中では日本は大変裕福な国であり、中国が中間位に近く、インドは正にこれから発展すべき国ということになる。安藤昌益の平等な社会の考えに学ぶならば、豊かな国が生産を減らすか、少ない国が生産を増やすことが望ましいと考察される。(ここでは1米ドル=80円として換算した)

図1 一人当たりのGDPの国別比較(単位:万円 、IMF統計値2011年より作成)

 

一方、国の幸福度を測る指標にブータン国王提唱のGNH(Gross National Happiness) がある。一般的にはお金や経済の成長と幸福度は正の相関があるとみられているが、物質的、経済的ではなく、精神的な豊かさや幸福を求めようとする考え方である。

イギリスのレスター大学の社会心理学者エードリアン・ホワイト氏が、全世界約8万人の人々に聞き 取り調査等を行うとともに、各種国際機関(ユネスコ、CIA、WHO など)の発表済みレポ―ト(100種以上)のデータを分析して行った「GNHランキング」によると、デンマークが世界一幸福な国とされ、ブータンは8位になっている。

日本は90位で、中国は80位、インドは 125 位で、GDP ではブータンは世界 88 位でしかないが、GNH では世界8位ということになる。GDP 中心の評価の尺度が今後は転換していくのではないかと推察される。安藤昌益は江戸時代の封建制度の中にあって、国内の格差について根本的な批判をしているが、それ以前の問題として、現在の世界的な格差について留意する必要がある。

ところで、江戸時代の日本で、安藤昌益ほど徹底して平等な社会、男女の平等を唱えた人物がほかにはいないが、平等論者・昌益という規定は昌益の人間観にあっては一面的とのそしりを免れないと石渡博明は指摘している。

昌益は、全体と個、共通と差違、普遍性と多様性は、一つのものの二側面であり、二別一真、互性活真こそが自然にかなったものとしている。すべての人が同じ体つき、同じ顔立ち、同じ心持では、すべてが同じで見分けがつかず、世界が成り立たないとまで言っている。

また、男女の平等についても機械的・画一的な平等ではなく、男女の肉体的な違い、性差を認めた上での男女平等であり、「男は耕し、女は織る」は、医師・昌益が男女差を踏まえての言葉である。それは個性を認めた上で、平等な社会が大切ということである。

3.食料自給率と「直耕」

安藤昌益は著書『統道真伝』に、「耕さずして貪り食ふわ、転地(天地)の真道を盗む大罪人なり。 評を下すに足らず。 聖釈・学者・大賢と雖も、盗人は乃ち賊人なり」として、自らで耕さない「不耕貪食」の輩を批判し、農民を最も重視した。その根本は食料の自給である。一人ひとりの食料自給率も課題であるが、最初に世界の中での日本の食料自給率に注目したい。

農林水産省の統計によるとカロリーベースでみると日本は先進国の中でかなり特異な状況にある。1961年~2006年、アメリカやフランスは 120~140%と高いのに対し、イギリスやドイツは 60~100%を推移している。それに引き替え、日本は1961年には欧米と比較的近い80%もあった食料自給率が徐々に減少し、1995年以降は約40%で推移している。

これは明治以降、富国強兵を目指し、工業・貿易立国を国策として進め、生産性の低い農林水産業から生産性の高い工業に特化して、豊かな国民生活を求めて来たためである。

図2 主な国の食料自給率の推移(農林水産省統計2011年より作成)

 

図3 都道府県別の食糧自給率(農林水産省平成23年度自給率レポートより)

 

次に、日本の県別食糧自給率に注目すると、北海道や東北地方を除くと県別食糧自給率は驚くほど低いことが知られる。東京や大阪では1~2%でしかない。安藤昌益の視点から見ると、大都市の人々は「不耕貪食」の輩となり、日本ではわずかに北海道と東北の人々が直耕を達成しているに過ぎないことになる。

最後に一人ひとりの食料自給率について見てみたいが、適当な資料がないので、産業別就業者数の推移で検討したい。1953年には一番多かったのは第1次産業就業者、次は第3次産業就業者、そして第 2 次産業就業者となっている。この関係は 1956年には第3次産業、第1次産業、第2次産業へと変化し、1962年以降は 第3次産業、第2次産業、第1次産業となっている。

安藤昌益が最も大切に思っていた農林水産業である第1次産業就業者数は1975年頃までに急減し、その後は減少傾向が小さくなるものの一貫して減少を続け、今では第1次産業の就業者は国民の5%と少なくなっている。安藤昌益の「直耕」の視点からは国民の5%しか「直耕」を実践できていない現状である。

図4 産業別就業者の推移(厚生労働省労働調査より作成)

 

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中瀬勝義 中瀬勝義

1945年生まれ。東海大学海洋学部、法政大学法学部卒、首都大学東京大学院観光科学修士卒。環境調査会社で日本各地の環境アセスメント、海洋環境調査に参加。現在はNPO地域交流センター、江東エコリーダーの会、江東区政を考える会、江東5区マイナス地域防災を考える会等に参加。技術士(応用理学、建設、環境)。著書『屋上菜園エコライフ』『ゆたで楽しい海洋観光の国へ、ようこそ』(七つ森書館)。 中瀬勝義 | ちきゅう座 (chikyuza.net)  Email:k.nakase@ka.baynet.ne.jp

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