日本のアジア侵略の共犯 戦争犯罪を免責された大新聞と〝文化人〞
メディア批評&事件検証私が共同通信記者だった1980年代に「犯罪報道の犯罪性」を批判して以降、左翼・革新系の学者や活動家たちから、「朝日新聞、毎日新聞は革新・リベラルだから、保守反動の読売新聞、産経新聞と一緒くたんにして批判するのはどうか」と何度も忠告された。一方、米国の約250の大学にあるジャーナリズム学科では新入生に対し、ニューヨークタイムズや、CBSテレビの「60ミニッツ」を信用するなと教え込む。英国のメディア学教授は、信頼の高いガーディアン紙とBBC放送を疑えと指導する。
ジャーナリズム学とは、報道機関を社会科学する学問と捉え、権力の監視と少数者・弱者の声を代弁するのがジャーナリストの責務と見て、人民から最も信頼され影響力があるメディア媒体に対して懐疑的になれと教育する。私は外国のメディア学教育の実践から学び、同志社大学教授(メディア学)の時に、日本の知識人が最も信頼する朝日新聞とNHKの報道の問題点をとり上げて批判することが多かった。
・「8・15」がなかったかのように同じ題字で発行
朝日新聞が進歩的と考えることがいかに間違っているかを教える時に、最初に指摘したのは、朝日新聞が大日本帝国による台湾武力併合の1895年から、アジア太平洋戦争で無条件降伏した45年までの半世紀に犯した侵略戦争への加担という「戦争責任」をとっていないことだ。
ナチズムに協力したドイツなど欧州の新聞社・放送局は、敗戦とともに解散した。ところが、朝日新聞社は大日本帝国の崩壊後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)からの処罰を避け、同じ題字(地紋は東京本社がサクラ、大阪本社はアシ)で新聞発行を続けてきた。
敗戦から76年5カ月たった現在の朝日新聞は、昨年10月の衆院選では立憲民主党と日本共産党の選挙協力を疑問視し、中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)に対し上から目線でしつこく説教する。
そして今、衆院選では自民・公明・維新・国民民主の壊憲勢力が4分の3を占め、憲法に自衛隊の明記と緊急事態条項を盛り込む危険性が強まっている。「大東亜戦争」を聖戦と位置付け戦前を取り戻すために活動する日本会議・靖国派が支配する自民党は、米CIAとしか思えない官僚や大資本と共謀して、日本を米国とともにいつでも戦争ができる軍事大国にすることを企んでいる。岸田首相は「ハト派の宏池会の首相」(星浩・元朝日新聞編集委員)などではなく、安倍晋三元首相の歴史改ざん、軍拡を狙う確信犯だ。
衆院選で全く争点にならなかった壊憲の動きを、朝日新聞などメディアは危機感を持って伝えていない。なぜなら、メディアはこの安倍・岸田両氏や壊憲派四党とほぼ同じ歴史観、政治観を持っているからだ。
朝日新聞のこの間の社説を見ても、朝日がいかに日米同盟を重視し、日本がかつて侵略・強制占領した被害国の中国・朝鮮に対し、居丈高かがわかる。今も植民地に対する宗主国のようだ。
朝日新聞の21年12月18日付社説は「金正恩10年 これが思い描いた国か」と題し、〈二度と国民を飢えさせないと訴えた約束は守られておらず、経済状況は深刻なままだ〉と指摘した。見出しで現職の国家指導者を呼び捨てにして、〈国際社会の声を無視して強行し続けた核・ミサイル開発である。金正恩体制下での核実験は4度におよび、弾道ミサイルなどの発射は90発を超える〉などと非難し、〈北朝鮮の横暴さには厳格に対処〉すべきだと論じている。日本の政府とメディアが国連加盟の主権国家を「北」と呼ぶのは誤っている。また、朝鮮のロケット発射だけに「実験」「試射」という言葉を省くのは悪質な印象操作だ。
その前の21年11月22日付の社説では、「朝鮮戦争『終結』効果を見極めた論議を」と題し、韓国の文在寅大統領が1953年に休戦協定が交わされたまま70年近くたつ朝鮮戦争の「終結」を呼び掛けていることについて、〈今の北朝鮮情勢とどう関連づけ、いかに朝鮮半島の安定を導くかである。確かな見通しと長期的な道程を組み立てた上で進めるべきだ〉〈拙速は禁物だ〉と政府と同じ主張をし、日本政府が戦争終了を妨害していることは書かない。また、〈韓国の無分別な行動は責められるべきだが、それを理由に日米韓の結束を発信する機会を逸した日本の判断も賢明とはいえない。日米韓の協調枠組みの揺らぎは、北朝鮮を利するだけ〉と訴えていた。
朝日新聞は韓国の元徴用工の遺族らが日本企業に損害賠償を求めた裁判を巡り、21年6月10日付の社説で、〈被害の救済と関係の進展を両立させるためには、両国の政治の意思に立脚した外交解決しか道はない〉〈短時間でも互いに向き合い、事態を打開する機運を模索する責任が両指導者にある〉と主張。同年11月7日付の社説では、〈不毛な対立を長引かせず〉に、〈どんな妙案でも、韓国政府が原告側を粘り強く説得せねばならない〉などと述べている。
また、中国に対しても、同月12日付の「中国6中全会 歴史を語る権力の礼賛」という見出しの社説で、〈時の指導者の権威を高めるように歴史認識を改め、国民への浸透を進める〉〈時の指導部が自らに都合のいいよう自在に書き換える行為は独善というほかない。ひたすら現体制の維持を図るための歴史観は、中国にとっても国際社会にとっても危ういことを認識すべきである〉と主張。朝鮮戦争への日本の責任、中国共産党設立に至る日本の侵略戦争について触れないことが、「自らに都合のいい」主張とは考えないのだろうか。
1948年、香川県高松市に生まれる。1972年、慶應義塾大学経済学部を卒業、共同通信社入社。1984年『犯罪報道の犯罪』を出版。89~92年、ジャカルタ支局長、スハルト政権を批判したため国外追放された。94年退社し、同年から同志社大学大学院メディア学専攻博士課程教授。2014年3月に定年退職。「人権と報道・連絡会」代表世話人。主著として、『犯罪報道の犯罪』(学陽書房、講談社文庫)、『客観報道』(筑摩書房)、『出国命令』(日本評論社)、『天皇の記者たち』、『戦争報道の犯罪』、『記者クラブ解体新書』、『冤罪とジャーナリズムの危機 浅野健一ゼミin西宮』、『安倍政権・言論弾圧の犯罪』がある。