シリーズ日本の冤罪㉒ 大崎事件:再審開始に向けて積み上がる「無罪」の証拠
メディア批評&事件検証・アヤ子さんを有罪とした〝証拠〟
話を事件に戻そう。
アヤ子さんが90年に63歳で満期出所すると、再審の闘いが始まった。
再審については、75年の有名な「白鳥決定」で、最高裁は「証拠の明白性」(証拠が明らかに認められるべきかどうか)の判断基準について、こういう趣旨のことを述べている。
まず、再審には「新証拠」が提出されることが求められる。ただし以前は、新証拠はそれだけで無罪が証明できることが必要とされたが、白鳥決定は、新証拠を、確定判決の有罪を支える旧証拠とともに総合評価して有罪認定が揺らげば、新証拠の明白性を認めるべき、というものだ。そして、この総合評価に際しても、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が適用されるべきとした。要するに、再審をするかどうかの判断にあたって無罪の証明までは必要なく、有罪に疑問が出た場合には再審すべき、ということだ。
まず、アヤ子さんを有罪とした旧証拠について、確認しておこう。
ここまで述べてきたように、大崎事件は自白が全てである。その自白を支えているいくつかの証拠のうちの一つが、当時、被害者の遺体を解剖した鹿児島大学法医学部の城哲男教授の、いわゆる「城鑑定書」だ。遺体は堆肥に埋まっていたため、解剖時には、皮膚がはげ落ちるなど腐敗が進んでいた。そのため、頚椎の前のかなり深いところに縦長の出血があった以外には、外傷等についてはわからなかった。それゆえ「首周りに力がかかったことが死因。ほかに目立った外傷がないことから窒息。首のまわりに外力がかかった窒息死ということは、他殺だ」と判断したという内容だ。首を絞めて殺したという自供と矛盾しないのが城鑑定である。
しかし、鴨志田弁護士が指摘する。
「城先生は、酩酊状態の四郎さんが見舞われた10月12日の自転車事故のことを、捜査機関から知らされていませんでした。後にかなりの大けがをしていた可能性があることを知って、自身の鑑定が間違っていることを、潔く認められているのです」
そして出されたのが、城教授の新鑑定書だった。これが奏功し、2002年3月26日、鹿児島地裁は再審開始を決定。ところが、検察官が即時抗告を申し立て、2年後、福岡高裁宮崎支部は、再審開始決定を取り消してしまう。弁護側はすぐに特別抗告したが、最高裁はそれを棄却した(06年1月)。
10年には第二次再審請求を鹿児島地裁に行なうも、これも15年に最高裁が棄却。
そして舞台は15年7月、第三次再審請求に移る。17年6月28日、鹿児島地裁は再び再審開始を決定した。福岡高裁宮崎支部も検察側の抗告を棄却し、再審開始を維持(18年3月12日)した。
ところが、最高裁第1小法廷(小池裕裁判長)が、その決定を取り消したのである。これは、地裁と高裁でいずれも再審開始が決定されながら最高裁で取り消された史上初の事例となった。
第一次再審請求の鹿児島地裁、第三次の同地裁と福岡高検宮崎支部で、計3度の再審開始の判断が出されている。それだけの裁判官が、アヤ子さんの有罪判決に疑問を持っているということでもある。その意味を、最高裁はかみしめなければならないのではないか。
雑誌記者を経てフリーのジャーナリスト。事件を中心に社会・福祉・司法ほか、さまざまな分野を取材。袴田巖氏の密着取材も続けている。