【連載】安倍晋三の射殺と三代の腐れ縁(藤原肇)

第3回 安倍晋三の射殺と三代の腐れ縁②

藤原肇

コロナの感染に加えてムーニーによる汚染で、信用喪失した自民党は統治能力のなさを露呈し、岸田首相は大慌て、内閣改造をしたが、カルトの病巣は根強く残、死に至る病は膏肓状態だ。その典型が国賊の国葬であり、法的根拠は全くないのだから、本書はゾンビ政体を葬ることによって、腐臭の漂う日本を浄め大掃除の遂行を目的に、ここに蘇ったが狂気の余命は幾ばくだろうか。

世紀末のクーデタ騒ぎで清和会が天下を取り、経済大国神話は無効になって、日本の劣化が進んでいるが、特に人材面を中心に政界劣化は、特筆に値するほど酷い状態だ。森や小泉が首相に就任し安倍から麻生を経て、天気的な民主党から再び安倍に続く、迷走した20年間の時期は悲惨の限りだが、この日本の外側ではネオコン政治が跋扈していた。

新世紀と共に誕生したブッシュ(子)政権は、ネオコン集団の巣窟であり、副大統領のチェニーを始めラムズフェルド国防長官も、ワーモンガー(戦争屋)の権化であり、彼らの部下にネオコンの猛者がいた。『ニューズウィーク』に次の記事があって、そり概要について理解できるりだが、強硬派の大将格はウォルフォウィッツで、彼はシカゴ・ボーイズで知られたシカゴ大学OBである。

「・・・ブッシュ政権が主知派でないのは周知の通りであるが、ウォルフォウィッツ国防副長官、フェイス政策担当国防次官補、リビー副大統領首席補佐官のように、ホワイトハウスや国防総省でネオコンが重要なポストにある。・・・」

ネオコン集団は第二次世界大戦前に、トロッキーの思想に基づき、世界的なスケールで共産革命の一環として、連続革命を旗印に使って展開した、市民の革命運動を起源に持つ。この革進運動の砦は、NYの市立カレッジで、ユダヤ人が中心になり、民主党を動かしていたが、1980年代になると共和党の中に浸透して、レーガンに影響を与えた。

イエズス会の拠点のジョージタウン大学が、実働部隊の拠点をCSISを担って、思想的な拠点はシカゴ大学であり、それはシカゴ学派を創始した、レオ・シュトラウスの弟子がいたからである。アラン・ブルームを始めとして、アルバート・ホルステッターの弟子にウォルフォウィッツがおり、シカゴ大学は過激な若手を輩出し、多くのネオコンをワシントンに送り出した。

ネオコンの巣窟がシカゴ大学でマネタリズムの根拠地あり、そのことは天木大使と、「シカゴとニューヨークの対立軸」と題して、試みた対談の後半部に詳をが論じている。特に私の発言を簡略にまとめれば、以下の通りになるが、これは娘の父兄の立場で大学を訪れ、私の個人的な好奇心に基づき、7年かけて調べた結論である。

「シュトラウスはネオコン思想のゴツドファザーと呼ばれ、強烈なシオニストであった彼は、『強者がルールを作り、弱者が従属する』という考えで、学派を作り一世を風靡していた。そこからネオコン思想が湧出し、弱肉強食で世界を痛めつけ、行き着いたのは資本主義の自己解体だが、シュトラウスの弟子には、『アメリカン・マインドの終焉』を書いた、アラン・ブルーム教授を始め、アルバート・ウォールステッター教授がいる。

ウォールステッターを指導教授にしたのが、戦争屋のポール・ウォルフォウィッツ国防次官補で、彼の強引な自己主張が、資本主義を破滅させており、世紀の変わり目が戦火で包まれた。また、シュトラウスやブルームなどの信奉者が、80年代の政治を動かしたレーガンやサッチャーであり、この時期からネオコンが勢力を持ち、危険な火遊びを始めたのである。

ハイエクが作ったモンペルラン協会は、自由主義を世界に広める反共組織で、右翼の田中清玄が私淑した、オットー・ハプスブルク大公がパトロンで、スイスのレマン湖畔に位置する、ペルラン山の裾に本部がある。日本では「道徳再武装」として、松下幸之助を中心に、日経連が指導役になり、民社党が自民党と組み、反共活動を推進していた。

しかも、ハイエクと田中の接点に、大徳寺の立花大亀がいて、最後には山口組に繋がており、それが朝鮮半島に伸びて行き、統一教会に繋がっているのである。また、シュトラウスはロンドン大学時代に、ジョージ・ソロスが師事した、カール・ポパー教授の好敵手で、投資ファンドの首脳陣の中に、シュトラウス信奉者が多かった。

ロックフェラーが作ったシカゴ大学は、保守の砦でハプスブルグ家の探題だし、バチカンのイエズス会が米国支配に設置した、ジョージタウン大学と並びネオコンの二大拠点を構成した。カンサス州のウイチタに会社を作った私は、拠点の一つのシカゴ大に娘を入れて、父兄の形て偵察のために訪れ、好奇心でその生態を観察したが、その成果は実に興味深いものだった。

シカゴ大学の新入生は700人と数が少なく、コアー・カリキュラムが優れていることで有名だが、学生の自殺者が全米一であり、ユダヤ人と韓国人が好む、変わった特をが持っていた。理由はノーベル賞の受賞者が多いので、事大主義の韓国人は優秀な学生をシカゴに送り、新入生の1割を占ていて、日本人は僅か1名であり、それが私の娘だった。

中国人と台湾人は西海岸の大学を好み、バークレイやスタンフォードで石を投げると、「痛い!」という声が中国訛りで叫ぶという、ジョークが有名であったし、日本人はアイビー・リーグを好む傾向がある。また、シカゴ大学の経済学派は、マネタリストの砦であり、「ショック・ドクトリン」の発祥地で悪名を轟かせたが、ヒルズ族の成金の中にシカゴ帰りの在日が、多いと知る日本人は少ない。

人種差別が激しい日本では、在日の就職は困難であり、下から這い上がるより上から飛び降りるやり方に、活路を見出せば簡単であるし、投機の世界ではその利用価値が高い。その一つが国会議員の秘書であり、世襲議員の質が劣るために、簡単に公設秘書として政界に潜り込めるから、上は秘書を経て議員になるし、下は無償の秘書役にする形で、統一教会は活用したのである。

カンサス州のウイチタに探査会社を設立した私は、石油開発をしていたし娘が学部の学生だったから、シカゴ大学を良く訪問して図書館が揃えた本を使い、勉強させて貰う機会に利用した。私立大学の図書館だから、外部の人間は年に一度だけ利用できるのが内既だったが、日本部の奥泉栄三郎司書長の配慮で、入館自由の特典を貰い、充実した蔵書を読み漁れた。

私の道楽は書庫巡りで30年の滞米を利用して、大学の日本語関係の書庫を訪問し充実度を観察したが、教授の研究姿勢と共に司書の能力の違いにより、格差があることが理解できた。また、大学の歴史も強く関係し、江戸時代の藩の資料では、シアトルのワシントン州立大学が断トツで、日本の企業や社史ならシカゴ大学が揃えており、特殊な数列関係(Fibonacci Number)はプリンストンで、大学ごとに個性があって面白い。

こうした好奇心の成果で、私がシカゴ大学について知り得た収穫の一つには、シカゴ大はウイーン学団(Wiener Kreis)の砦だし、中核はアシュケナジ系であり、中欧と東欧を勢力圏に持つ、ハプスブルグ家の影響が強い。いうならばハートランドで私がウイチタで経営した、ハートランドを社名に使った探査会社や掘削会社と同じ、地政学的な色彩を帯びて、北米大陸の中心部のシカゴは露奧系のユダヤ臭が濃厚である。

十数年前に発表しているが、米国の二大都市を比較し、『シカゴとニューヨークの対立軸』と題して地政学とユダヤ問題を扱い、天木直人大使と行った対談でこの問題を論じたことがある。
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/newleader100501.htm

あの時点の段階では、「ニューヨークは蔑称でジューヨーク とも言われますが、比較的、国際派のユダヤ人が多いのに対して、シカゴのユダヤ人脈は東欧系が多く、一匹狼の勝負師の気風が強い。ニューヨークにも石油や金の市場は存在する が、天然資源の先物市場はほとんどがシカゴだし、為替やデリバティブはシカゴが支配している。S&P500をはじめ債券のほとんどを扱い、お天気とかCO2の排出量まで取引しています。それに対して、ニューヨークの連中はカネだけを動かしているが、虚業の世界で稼ぐだけ。・・・」と論じたが、今はもっと鋭い指摘が出来る。

ニューヨークでの中核はセファラダム系ユダヤ人で、これはスペイン系に属し1492年にスペインから追放され、植民地のオランダを始めブルゴーニュ公国に逃れ、商工業を主として営んでいた。だから、支配層のユダヤ人は、アントワープ、アムステルダム、リバプール、ロンドンを始め、ハンブルグ、リューベック、ブレーメン、グダンスク、リガなどハンザ同盟都市を拠点に、商業や交易に従事していた。

だが、クリミア戦争以降には、東欧の混乱や内乱で多くのスラブ系が渡米し、第一次大戦やロシア内戦を始めナチスの弾圧を逃れて、多量のユダヤ人が北米に移民した。米国の移民受け入れはニューヨークが窓口で。東欧系の難民より前に、アイルランドやイタリア系移民を始め、セファラダム系ユダヤ人が既に足場を築いており、後発の東欧系の新天地は北部だった。

シカゴは工業都市だし、ミシガンやウィスコンシンは寒いが穀倉地帯だから、ポーランドやロシアに似ており、生活環境の面からは気候風土が東欧的で、ロシア系の移民が好んで住みつく。特に多いのがロシア系でウクライナと白ロシアが、ポーランド系と競い合い数百万のスラブ系を構成し、オーストリーとハンガリー系もスラブ系と並び立っている。

私の留学体験で学んだヨーロッパ史の核心は、ハプスブルグ家とロマノフ家がドイツやフランスを取り込み、ロシアと相克する構図であり、ウィーンのハプスブルグ家はスペイン王家の支脈である。そのように展望すればロマノフ家がハートランドで、スペイン王家がリムランドになり、最後に英国に奪われたが、海軍帝国と陸軍帝国の間で、近代史を競う地政学史観が成立する。

しかも、その延長線上において、自由と開放を好む海洋と統制と結束を好む大陸が、自由主義と共産主義で対立をした歴史を綴り、それが文明を支配した法則性を学び取ることが出来る。歴史とは何かを考察したE.H.Carrは{C,M,Trevelyan論}で、「歴史は現在と過去の対話だ」と論じたが、シカゴ大のユダヤ人脈を観察して、私は歴史の謎の一端を掴み取った。

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藤原肇 藤原肇

フリーランス・ジャーナリスト。『皇室の秘密を食い荒らしたゾンビ政体』『日本に巣食う疫病神たちの正体』など著書多数。海外を舞台に活躍する。

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