メールマガジン第36号:新たな戦没者を出さないために~ノーモア沖縄戦連続講演会に寄せて
ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会メルマガ琉球・沖縄通信これまで戦没者の遺骨収集を行ってきた中でその動機を訊かれることがよくある。今でも返答に窮するが、振り返ってみると、この40年の戦没者遺骨を取り巻く状況の推移により動機も変化していったのは確かである。
初期の頃は沖縄戦で殺された人がその場所に埋もれているのを単純にかわいそうという気持ちから続けていた。次は遺骨収集を要請しても「沖縄戦の遺骨収集は終息しました」と言い切る沖縄県や国に対する不満から、掘れば見つかるという事実を示しながら、マスコミを通じて戦没者遺骨の存在と遺骨取集の必要性を社会に発信していった。
その結果「終息宣言」から180度方向転換し、遺骨収集は「沖縄振興計画」の中に位置づけられ、さらに糸満市摩文仁の県平和祈念公園内に「遺骨収集情報センター」が設立された。
その次の変化は見つかる遺骨のほとんどが身元不明遺骨のため、遺族の元へ帰すことができないので「厚生労働省はアメリカと同様に戦没者遺骨にDNA鑑定を実施して遺族を探して下さい」という、対政府交渉に軸足を置いた。遺骨返還要請活動を支えるための遺骨収集であった。
結果、沖縄の戦没者遺骨は遺族へ返還するためのDNA鑑定の対象となり、さらに21年10月からアジア・太平洋地域で見つかる遺骨も同様にDNA鑑定の対象となった。日本という国が戦後76年目にしてやっと国策で殺された戦争の犠牲者を家族の元へ帰すための国家事業に着手したということである。
私はこの国家事業を私なりに評価して喜んだ。しかし、すぐにそれが幻想であるという事実を突き付けられた。防衛省は辺野古の新基地建設の埋め立て工事の土砂を、戦没者の遺骨が埋もれている南部から採取するという計画を発表した。
これは遺骨収集をして遺族へ返還するということとは全く逆の方向性を持つ計画だ。戦没者の遺骨が混入する土砂を海に投入するというのだ。これは戦没者に対する冒涜である。人間の心を失った所業である。
これまで政府要人たちが靖国神社参拝や全国戦没者追悼式などで「英霊に哀悼の誠を捧げる」と述べていることと全く相反する計画である。この欺瞞性は政府の対沖縄政策ではなく、国が「英霊」と呼んで最高の哀悼の意を表そうとしている戦没者に対する欺瞞性であり、裏切りである。
岸田首相は沖縄の「慰霊の日」である6月23日の慰霊祭と8月15日の全国戦没者追悼式には戦没者に哀悼の意を述べる前に、このような戦没者を冒涜する計画を立てたことを戦没者に謝罪すべきである。
これまでの活動は過去に起こった沖縄戦の犠牲者に対して責任ある国が責任を果たさないことに対する(或いはやるべきでないことをやろうとしていることに対する)憤りから来たものであるが、今それら過去の検証や未来への継承など全てが吹っ飛んでしまうような事態が迫ってきた。
沖縄が再び戦場になる危険が迫っているのだ。米軍と自衛隊は既に合同で沖縄での軍事訓練を行っているが、中国が台湾に軍事侵攻する「台湾有事」のための訓練とも考えられる。実際に台湾有事を想定した日米両軍の共同作戦計画も策定されている。
沖縄から攻撃すれば沖縄に反撃されるのは当然である。住民の避難はどうなるのかという質問に自衛隊は「自衛隊には住民を避難させる余力はない。自治体が考えてくれ」という旨を回答している。自衛隊は住民避難が必要な戦場化を想定しているということだ。
これから先、県内でも住民避難やシェルター建設などが議論されるかもしれないが、140万の県民が海を超えて避難するというのは現実的ではない。沖縄にとって台湾有事の問題の本質は「攻撃すれば反撃される」ということで、沖縄の戦場化を回避するには攻撃させないことである。
そのためには奄美から与那国まで連なる沖縄の島々に40カ所もの攻撃基地を作らせない・撤去させることである。沖縄で再び戦没者を出さないために、沖縄から出ていくべきは住民ではなく、沖縄を再び戦場にしようとしている危険要因の軍事基地である。
具志堅隆松(沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表、「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」共同代表)
「ノーモア沖縄戦の会」は「沖縄の島々がふたたび戦場になることに反対する」一点で結集する県民運動の会です。県民の命、未来の子どもたちの命を守る思いに保守や革新の立場の違いはありません。政治信条や政党支持の垣根を越えて県民の幅広い結集を呼び掛けます。