【連載】沖縄の戦場化を断固拒否する(山城博治)

「南西」諸島を決して戦場にさせてはならない 「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」共同代表 山城博治さん

山城博治

1、「復帰」50年の沖縄どう立ち向かうべきか

沖縄は今年、1972年の「沖縄返還」から50年の節目を迎える。この50年渇望した『軍隊のない平和な島』の願いは実現されず巨大な米軍基地は居座り続ける。それどころか政府は辺野古新基地建設反対の圧倒的民意を、政府に忖度し続ける司法制度と警察権力を用いて抑えつけ建設を強行している。

さらに凄まじいのは「尖閣有事」「台湾有事」「中国脅威」論をばらまいて、これまで軍隊のなかった島々さらには鹿児島県の奄美大島、馬毛島に至る「南西」諸島と総称される島々に自衛隊基地を建設・開所させ対中国包囲網を急ピッチに進めている。あたかも海洋に浮かぶ不沈空母群のように。

沖縄が戦争終了後から27年間米軍による直接統治下におかれ、その中で立ち上げられた「祖国復帰」「本土復帰」運動に込められた「平和で人間らしい暮らしの実現」の願いが、よりによって当の日本政府からかくも見事に打ち砕かれ、逆に新たな戦争の時代を強要されるとは悪夢という他はない。

しかしながらこの冷酷な政府の沖縄施策は、「県民の声を聞かない自民党が悪い」の一言で片づけられる問題ではない。そもそも明治維新から延々と朝鮮半島・中国大陸への軍事侵攻を繰り広げ、1945年の敗戦後は米軍の傘に隠れてアジア各国に凄惨な爪痕を刻んだ戦争責任を回避、「高度経済成長」を謳歌した日本保守政治を、何の検証もせずに何の警戒心も持たず単純に「祖国」と呼んで幻想化した沖縄大衆運動の稚拙さと限界がもたらした結果でもあることを、50年の節目にあらためて身を切る痛苦を感じながら振り返っている。

なぜ米軍に対すると同様に日本政府・自衛隊に対しても毅然と反対の声を上げないのか。

忸怩たる思いを禁じ得ない。しかしながら一方で、沖縄をして戦前まで「大日本帝国」を自称していたこの軍事国家を「祖国」と幻想させるほどに、米軍支配が苛烈であったこと、それがために当面の米軍支配からの脱却を「復帰」運動に求めた沖縄御万人(うちなーうまんちゅ)の思いは当然に理解されなくてはならない。

個人的には「復帰」運動の是非を総括できないままに1972年の「沖縄返還」以来自問自答を繰り返してきたところであるが、それでもあの時代に、沖縄の中において日本という国家をしっかりと見据え、薩摩侵攻から琉球処分、沖縄戦、その後の米軍への売り渡しと続く悲惨な歴史を曇りのない眼で認識しそのことを運動の原点に据えていたなら、少なくても今日のような状況すなわち再び国家の名において戦争に差し出され、戦争の防波堤に生贄のように差し出される屈辱に対して、燃え上がる怒りで主体的に立ち向かう土壌くらいはあったのではないかと悔やまれてならない。

中山泰秀防衛副大臣(当時)は、昨年6月29日、中国を警戒する講演の中で、「沖縄県民は(中国の脅威が迫っている)事態を覚醒せよ」と発言、現下進められている南西諸島の軍事基地建設と対中国戦争への県民協力・参加を求めた。

発言自体県民を冒涜する許しがたい暴論と糾弾されなければならないが、ここでは政府閣僚や日本の軍部(自衛隊)が沖縄を再び戦場に差し出すことを隠そうともしていないことを県民は「覚醒」しなければならない。沖縄は日本政府から又もや食い物にされようとしている。今こそ沖縄人(うちなーんちゅ)としての自我を確立し沖縄戦場化をくい止めよう。

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山城博治 山城博治

1952年具志川市(現うるま市)生まれ。2004年沖縄平和運動センター事務局長就任。その後同議長、昨年9月から顧問となり現在にいたる。今年1月に設立された「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」共同代表就任。沖縄を「南西」諸島を戦場にさせないために全県全国を駆けまわって、政府の無謀を止めるため訴えを続けている。

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