【特集】終わらない占領との決別

対米自立─敗戦後76年の占領状態を終わらせ、戦後ヤルタ・ポツダム体制を打破せよ!―

木村三浩

1.不平等な日米安保体制の現実

昭和20年の敗戦後、7年弱にわたって米占領下にあった我が国は、昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効により、名目上の「主権回復」を達成した。だが、日米安保条約の締結に伴い、今日に至っても「横田空域」の管制権を米軍に握られている首都東京をはじめ、国中に米軍基地が存在し、とりわけ沖縄には基地全体の約4分の3が集中している有様だ。一体、このような状況下にある我が国を、真に独立した国家と呼んでいいものなのか。

本来ならば、少なくとも冷戦構造が崩壊した時点で、日米安保体制の存在意義を見直すべきであった。この時、東側で旧ソ連から独立を勝ち取った国々があったが、それと同様に我が国も、対米従属から脱却するチャンスであった。実際、ドイツやイタリアもこの時期に米軍地位協定の改定を成し遂げ、米軍基地に自国の国内法を適用させられるようになったのだ。

ところが、日本国民は自らの手で国を守ることに煩わしさを覚えるばかりで、日米安保という「他力本願」にどっぷりと浸かっていた。悲しいかな、明治維新以来、凛として我が国に存在した独立の矜持は、もはや影も形も見られない。そればかりか、平成8年には「日米安保共同宣言」、平成9年には日米間で「新ガイドライン」が合意され、平成11年には国会でガイドライン関連法が採択され、名実ともに日米安保の再定義が終了した。そして蓋を開けると、自衛隊が米軍に公然と協力するシステムが作られていたのである。事前協議制度があるとはいえ、米国の世界戦略に自衛隊が利用され、本格的に米国の対アジア戦略に組み込まれる道を開いたのである。

中でも、日本に周辺事態が発生した場合、まず日米両国が事前協議を行い、日本政府はそこで策定された基本計画に則って事態への対応を図ることになる。ここで特に注意すべきなのは、事前協議の場での日米の力関係である。実際に兵力を出すことになる米国の意向が、ここで強く反映されることは必至なのだ。日本の周辺事態であっても、日本政府が独自に決断を下すことができないのである。つまり、我が国には個別的自衛権すらあるかどうかも疑わしいのだ。

憲法問題やガイドラインに関しては、第2次安倍政権期の議論で見られたように、集団的自衛権ばかりが議論の対象となってきた。だが、我々はそれ以前に、自分の国は自分で守るという主権国家・独立国家としての当然の権利を取り戻すべきではないのか。日米安保が米国にとって単なる対日支配の道具であり続ける以上、これは必然的に回復しなければならない問題だ。

大東亜戦争から76年経過した今日でもなお、我が国は真の独立国になっていない。極端なことを言えば、未だ我が国は米国の占領下にあるといっても過言ではないのだ。安倍元首相は集団的自衛権を行使することは、「普通の国」として当然と考えていたようだが、戦後の本質的な我が国の実態に迫らず、憲法改正が難儀だからといって解釈改憲という弥縫策を取ることは、まやかしの上塗りでしかなく、占領体制の強化でしかありえない。

2.FMS(対外有償軍事援助)システムの是正を!

平成26~27年にかけて、安倍元首相は閣議決定や安保法制を通じて集団的自衛権の行使を可能にしたが、そうであるならば必然的に、並列で改善すべき課題があったはずである。そこに頓着しないなら、いわゆる集団的自衛権の双務性が何ら発揮されないのは明確ではないのか。

例えば、安倍元首相が戦後レジーム脱却のために改善すべきであった課題として、米国による対外有償軍事援助(以下、FMS)の実態がある。FMSとは、米国防総省が実施している対外軍事援助プログラムであり、米国が自国製の兵器を有償で提供輸出するというものである。このFMSによって、我が国は欠陥商品を大量購入することを余儀なくされているのだ。例えば、我が国は次期主力戦闘機としてF35戦闘機を導入することを決定した。しかし、このF35は我が国の機種選定の前から、すでにそのステルス性や戦闘能力について疑念が呈されていた。それにもかかわらず、我が国はこのF35を次期主力戦闘機に選定してしまったのである。

しかも、F35の量産化が遅れたことで、平成29年3月までにF35の最初の4機をFMSによって輸入する時点では、戦闘性能が未完成である初期型を導入することになってしまった。さらに、FMSでは米国の都合で価格や納期を変更しても契約違反をとれないため、仮に訓練飛行や実戦配備の段階で事故が発生したとしても我が国は米国の責任を追及できないのである。FMSではさらに、我が国の防衛産業が米国企業の下請けとしての参加を余儀なくされるため、F35の頭脳部分にあたるソフトウエアに関与することが不可能となってしまう。

Very close view of an F-35 Lightning II

 

我が国は戦前、零戦に象徴される極めて優秀な航空技術を有していた。これを恐れた米国は戦後、日本の航空産業を徹底的に潰した。そこから地道に再生を図ってきた日本の航空技術だが、今もこういう形で掣肘を受けているのである。これこそ占領体制でなくて何であろうか。FMSが続く限り、軍備の国産化などただの画餅に過ぎず、米国の匙加減一つの装備品で自主防衛の気概を保つことは困難なのである。だからこそ我が国は、まず何よりもこのFMS体制を撤廃しなければならない。このFMS体制のままで集団的自衛権を行使することは、真の日本の独立とは全く逆コースであり、戦後レジームからの脱却とは程遠いのである。

3.日米地位協定の即刻改定を!

さらに、日本の占領体制の現状を如実に示しているものとして、不平等な日米地位協定、米軍基地体制の存在がある。平成29年11月、トランプ大統領は来日の際、羽田ではなく横田基地から入国してきたが、その横田基地では、基本的に1名の常駐係官が24時間で東京入国管理局分室として対応しているとされる。軍人軍属は、日米地位協定第9条の入国管理除外規定があるものの、同協定を適用されない米国人が、年間のべ二千数百人、羽田ではなく横田で出入国審査を受けているのだ。さらに軍人軍属に至っては、統計が全く取れていない。つまり、基地以外の日本の主権下に入った米国の軍人軍属が不法行為を行ったとしても、日本は把握できない可能性が大きいのだ。コロナ禍の現在、日本政府による全世界からの出入国禁止の水際対策においても、相変わらず米軍人・軍属は対象外である。

American and Japanese flags standing side by side

 

平成7年の沖縄少女暴行事件が明らかにしたように、日米地位協定の下では、米兵が日本人に対して犯罪行為を行ったとしても、多くの場合、公務中であることや、現行犯逮捕する前に基地内に逃げられることによって日本側が裁くことができない。しかも加害者が賠償金を払えない場合、米国ではなく日本政府が代わりに賠償金を払って被害者とその家族・遺族を説得に回っているのである。

平成16年の沖縄国際大学への米軍機墜落事故で露わになったように、沖縄で多発しているヘリの墜落事故にしても、日本国内の事件であるにも関わらず日本の当局・国交省が現地で事故調査することすらできない。警察の捜査も同様だ。事故の加害者である米軍が自前で調査を行うだけで、日本官憲は手を出せないのだ。整備不良のまま、他国の国土の上空でヘリを飛ばすとは傍若無人の極みではないか。現在、特に沖縄、岩国等で新型コロナ感染が急拡大している中で、米軍関係者にコロナ感染の検査ができないのも、平成8年の日米合同委員会合意がその障害となっているためだ。この不平等な日米地位協定を即刻改定せねばならない。

安保条約締結からすでに半世紀以上が経ち、我が国の風景として在日米軍が同居していることを当たり前に感じている世代が多くなってしまった。だが、今こそ我々は戦後体制を打破し、自主・自立・自律を基調とした国を築くべきではないか。そのためにも、現行の日米安保を破棄し、在日米軍の完全撤退を前提とした日米の対等平等な関係を構築するべきだ。 自主憲法を制定し、自衛隊をして日本国軍への昇格を実現させねばならない。

4、そもそも、なぜ日本は米英と戦ったのか

大東亜戦争敗戦後の我が国は、先述したような国家主権の喪失は勿論のこと、大東亜戦争を戦う動機、現場の戦闘行為、被害の実態、海外地域における駐屯体制などすべてひっくるめて、戦勝国によって「断罪」されてしまった。そして、その論理を我が国自身が受け入れてしまっている。ここで負け惜しみをいおうとしているのではない。国際法に則って、公正・公平な視点から疑問点を述べているのである。

戦争に勝ち負けはつきものだ。しかし、我々はあまりにも相手のいう通りに「反省、反省」と贖罪を背負い過ぎてしまっている。米国などはベトナム介入で枯葉剤をまき散らす一大戦争犯罪を行いながら、国際裁判で裁かれていないのだ。この不公平性は何か。力が強ければ何をやってもよいのか。正義はどこにあるのか。我が国は、何とも「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」に乗せられてしまっていると思えてならない。占領政策によって我が国の立場を正しく捉えることができなくなってしまっているのだ。

敗北したことで、戦いの理念、思想性までの総体を否定してしまってよいのか。我々日本人が我が国の戦いを純軍事的に検証するのはよいことである。しかし、そこには自ずとして、当時のアジア地域をめぐる我が国VS欧州植民地主義の客観状況に基づく理念・思想性と、戦争の目的とその結果を検証するための軍事的総括を混同してはならないということだ。これを同根に据えることは、正しい歴史の考察にはならないと考える。

さて、我が国が戦いを挑んでいった動機は、自存自衛の戦いに加え、欧米列強のアジアへの抑圧と支配の頸木を脱しようとしたことにあった。実際、様々な戦線においてこの戦争目的は達成されていったが、敗戦を迎えるや、変節常なき輩によって、「実はアジア解放と言いながら、米英に成り代わって自分が君臨するための方便ではなかったか」と後付で語る者が続出した。

冗談ではない。何のために300万以上の方々が散華されていったのか。このことの重みを分かっていないのか。それはまさしく変節漢特有の周りの状況を見る態度であり、信用できるものではない。戦時中から「この戦いでこんな軍事行動を取ったら敗れる。いまの軍部に協力できない。反対だ」と批判を貫いた人士の言葉であったら傾聴に値するが、時宜を見て語っている言説には信頼の価値などどこにもない。無定見も甚だしいのだ。

現に、長らくヨーロッパから植民地支配を受けていたインドにはインド国民軍が興り、インドネシアではPETAが活躍し、ベトナムには敗戦後、我が国に帰還せず、日越人としてベトナムの独立運動を支えた旧軍関係者が存在した。その結果は推して知るべし。まさにこれが実証的な戦争目的の達成といえよう。この義まで断罪してしまってよいはずがない。批判をするのは簡単だ。とくに現在のように戦争から長い年月を経て歴史を振り返ればなおさらである。

 

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木村三浩 木村三浩

民族派団体・一水会代表。月刊『レコンキスタ』発行人。慶應義塾大学法学部政治学科卒。「対米自立・戦後体制打破」を訴え、「国際的な公正、公平な法秩序は存在しない」と唱えている。著書に『対米自立』(花伝社)など。

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