【特集】ウクライナ危機の本質と背景

広島のG7は「西側」の「終わりの始まり」であった

乗松聡子

23年5月19日から21日まで広島で開催されたG7サミットは予想通り、「戦争会議」となった。進行中のウクライナ戦争の味方側、つまりウクライナのゼレンスキー大統領のみを招待しそれを目玉として、西側連合の「結束」をアピールした。かつてはロシアも含め「G8」と名乗っていた会議からは変わり果てた姿になっていたのである。最終コミュニケでは冒頭で「ロシアの違法な侵略戦争に直面する中で、必要とされる限りウクライナを支援する」とうたい、この戦争への力の入れ方が垣間見えた。

ウクライナ戦争は2014年2月、米国のネオコンをバックにした、ウクライナ・ナチスの系統を継ぐ極右勢力がクーデターを起こし選挙で選ばれたヤヌコビッチ大統領を追放して以来、ウクライナ当局がロシア系の多いドンバス地方を攻撃し、約1万4千人の死者(国連報告)が出ていた内戦であった。第二次世界大戦後、米国はNATOを東方拡大させ、欧州を舞台にロシアに対する威嚇を強め、ロシアにとってはレッドラインであるウクライナのNATO加盟を推進しようとした。ドンバスの和平のための「ミンスク合意」も西側は尊重せず、21年末ロシアが提示した安全保障のための条約も米国に一蹴された。そして22年2月中旬、ウクライナによるドンバスの攻撃も再び激化したことを受けてロシアはドネツクとルガンスクの独立を承認し、2月24日、「特別軍事作戦」を開始した。

民族的、政治的相違はありながらも共存してきたウクライナの東西分断を利用してロシアの弱体化政権転覆を狙ったのは紛れもなく米国であり、この愚かな戦争のために約50万人の兵を失ったウクライナはいま崩壊の寸前にある。「特別軍事作戦」開始直後、22年3月末にはイスタンブールでウクライナとロシア間で和平交渉がまとまりつつあった。これに英米が介入して阻止することがなければどれだけの人命が救われていたであろう。

1000億ドル以上の米国民の税金を投じた挙げ句ウクライナを破壊する結果をもたらした当の米国のバイデン大統領は、G7時に言っていた「必要とされる限りウクライナを支援する」から23年末には「可能な限り支援する」という語調に変わった。23年10月7日以降ガザ戦争が激化したこともあり、世界中誰よりもイスラエルが大事な米国はウクライナを見捨てつつある。結局米国は対ロシア戦争に勝つことはできなかった。23年6月に鳴り物入りで始まったウクライナの「反転抗戦」がロシアの強固な三重の防衛線を全く突破できなかったこと一つ取っても明白である。西側メディアに嘘とプロパガンダが荒れ狂った22年に比べ、23年には西側メディアもウクライナの敗北を認め始めた。この戦争と経済制裁を乗り越え、ロシアの軍隊経済も強固となり、西側諸国ではあり得ないような7,8割の支持率を維持するプーチン大統領の下、ロシア国民は西側の侵略に対して団結している。

米国が率いる帝国主義集団「西側連合」に対して団結して抵抗しているのはロシアだけではなく「グローバルサウス」諸国全体である。大航海時代以来、欧米の白人キリスト教国家、または日本のような「名誉白人」国家による帝国主義によって侵略、搾取されてきた国々はいまや国力をつけ、脱植民地的な地殻変動を世界規模で起こしている。

中東で米国の権益を代表するイスラエルは、1948年「ナクバ」以来のパレスチナ「民族浄化」を、23年10月7日のハマス蜂起以降激化させ、世界の戦争の歴史を塗り替えるような勢いでガザを爆撃し、たった3ヶ月余で3万人以上のパレスチナ人を殺戮、そのうち1万3千人以上が子どもである。手足を負傷した子が麻酔なしで切断手術を受けている。23年10月7日以降に生まれた赤ちゃんも、人生で一日も平和を知らず殺されている。ガザ全体の人口に匹敵する200万人が住処を追われ、食糧、水、医薬品、燃料不足で生き地獄を味わわされている。

これを可能にしている西側諸国に対し「500年続いた西側覇権の終焉である」との声が出ている。大阪女学院大学の高橋宗瑠教授は24年1月24日、『アルジャジーラ』に、「ガザは西側主導の世界秩序の墓場となる」という論評を出した。「民主主義」「人権」を自分たちだけに適用し他国の民主主義と人権を踏みにじってきた西側の二重基準と欺瞞は世界に露呈されている。

イスラエルは「ハマス殲滅」というその軍事的目標を全く達成できておらず、周辺のイエメン、レバノン、イラク、シリア、イランももう、米国に自国や中東全体の蹂躙は許さないかの如くにパレスチナに加勢している。西側を含む世界中の都市では、パレスチナ解放運動がかつてない規模で展開されている。BRICSの一国でアパルトヘイトに打ち克った歴史を持つ南アフリカが国際司法裁判所(ICJ)に、イスラエルによる「ジェノサイド」を提訴したことも、「グローバルサウスの反撃」の一環と捉えられる。24年1月26日、ICJは暫定命令として、イスラエルがジェノサイドを行っているとの疑いは「妥当性がある」とし、同国にジェノサイドを防止するために「すべての措置を講じる」ことを命じた。西側メディアは「停戦を命じなかった」とこの命令を過小評価する喧伝に必死だが、これはICJがイスラエルに「殺戮をいますぐ止めよ」と命じた、画期的、歴史的な判断である。

西側はウクライナ戦争をうけての制裁としてロシア銀行をSWIFT(国際銀行間通信協会)から排除し、ロシア中央銀行の国外資産3000億ドルをも凍結するという暴挙に出た。西側メディアはこれを正しいことのように報じているが、これがグローバルサウスに送ったメッセージは、「自分たちも西側に敵視されたら同じことをやられる」という危機感だった。他国のお金を公然と盗む。西側の「ルールに基づく秩序」とは言い換えれば、「法に基づかなくてもいい米国ルールで動かす秩序」という意味なのだ。現在ガザで行われているジェノサイドもそれに当たる。西側はもう無法地帯となっている。

これがBRICS諸国の脱ドル化の動きに拍車をかけた。23年3月、BRICSの最有力国であるブラジルと中国が米ドルではなくそれぞれの通貨で貿易を行うと合意した。23年、モスクワ証券取引所では人民元での取引が前年比3倍、ドルを超えて首位になった。サウジアラビアは中国との関係を強化し、ドル以外の通貨での石油取引に前向きだ。BRICSは23年8月南アフリカで首脳会議を開き、エチオピア、エジプト、イラン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、アルゼンチンを加えることにした(アルゼンチンはその後の選挙で親米右派候補が勝利、BRICS加入は中止)。BRICSはいまや世界の人口の46%、GDP(購買力平価)の3分の1以上を占め、原油生産の4割、ガスの埋蔵量の約半分を占める大経済圏なのである。

広島G7にさきがけて欧州中央銀行のクリスティーヌ・ラガルド総裁は23年4月17日、ニューヨークでの講演で、「世界経済は変革期を迎えて」おり、ウクライナ戦争、インフレーション、米中の競争により「地政学の地殻変動は加速している」と語った。この地政学的緊張が世界の「多極化」を進めていると認めたのである。これは二次大戦後の「パックス・アメリカーナ」下、「世界の基軸通貨および取引通貨として確固たる地位を築いた」米ドルの代替通貨としての中国人民元やインドルピーなどの増加に言及した、ドル支配の覇権の終焉を示唆する発言であった。

この一ヶ月後に開催されたG7はこのときのラガルド総裁の発言を聞いていたのであろうか。このような「地殻変動」に対応し対等なパートナーとしてロシアや中国などと協調するどころか、経済制裁と軍事的敵対視で「これまで以上に結束」を固めたようだ。「核軍縮に関する広島ビジョン」文書でも、一方的にロシア、中国、イラン、朝鮮民主主義人民共和国を批判し「自分たちの良い核」と「敵国の悪い核」を分けるかの如くの文書であった。カナダに住む広島原爆の被爆者のサーロ―節子氏は、「自国の核兵器は肯定し、対立する国の核兵器を非難するばかりの発信を被爆地からするのは許されない」と怒りを露わにした。

岸田首相は23年5月21日、議長国記者会見で「平和の誓いを象徴する広島の地」で「『核兵器のない世界』に向けて取り組んでいく決意を共有」と綺麗事を言いながら、核兵器禁止条約にも触れず核兵器を「抑止力」とする文書で被爆者たちを裏切った。結局は自分の選挙区への利益誘導だったとしか思えない。「世界80億の民が全員、『広島の市民』となった時、この地球上から、核兵器はなくなるでしょう」といった被爆ナショナリズムぷんぷんの言葉まで発していた。「世界80億の民」は「広島の市民」になどになりたいわけがない。岸田首相はまず戦争国家米国との距離を取り、核兵器禁止条約に参加するのが先ではないか。

広島でのG7会議に招待されていた、グローバルサウス諸国のリーダー国の一つであるブラジルのルラ大統領は、ウクライナ戦争については「G7ではなく国連で」取り組むべきと訴えた。このような理性の声には西側諸国は耳を傾けるつもりもなかったのであろう。G7に飛び入り参加したゼレンスキー大統領はルラ大統領との面会に姿を現さなかった。BRICSの中核をなすブラジルという大国を相手にこのような外交非礼をはたらいたのだ。ゼレンスキー大統領は面会が実現しなかったことについて記者団から聞かれたとき、「ルラ大統領にとっては残念だっただろう」と一笑に付し、失礼に上塗りをした。これについては日本を含む西側メディアは一切無批判であった。西側のグローバルサウス軽視を象徴する出来事である。

広島G7は、世界人口80億のうちせいぜい10億程度の西側諸国が「国際社会」を自称し、世界の富を独占してきたことを反省もせず、戦争と制裁を強化しようとする西側覇権の「終わりの始まり」だったのではないか。G7をはじめ西側諸国は、多極化の「地殻変動」に謙虚に向き合い、戦争や制裁ではなく協調の道を選ぶべきだ。世界の存続のためにも。

2024年1月29日
乗松聡子

※この論考は、3月上旬発売予定の、地球的問題を考える広島の会(HIRAGI)編『G7広島サミットに市民はどう抵抗したか』から許可を得て転載しています。
本についての情報:https://hashigosha.square.site/

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乗松聡子 乗松聡子

東京出身、1997年以来カナダ・バンクーバー在住。戦争記憶・歴史的正義・脱植 民地化・反レイシズム等の分野で執筆・講演・教育活動をする「ピース・フィロ ソフィーセンター」(peacephilosophy.com)主宰。「アジア太平洋ジャーナル :ジャパンフォーカス」(apjjf.com)エディター、「平和のための博物館国際ネッ トワーク」(museumsforpeace.org)共同代表。編著書は『沖縄は孤立していない  世界から沖縄への声、声、声』(金曜日、2018年)、Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States (Rowman & Littlefield, 2012/2018)など。

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