【特集】原爆投下と核廃絶を考える

軍都・広島の戦争加害ー横浜「戦争の加害」パネル展で特集展示ー

植松青児

・「ノーモア・ヒロシマ」のアップデートへ

そのように広島を「複数の暴力が交差した街」として把握したならば、「ノーモア・ヒロシマ」をアップデートすることも可能だろう。
「ノーモア・ヒロシマ」を核兵器反対だけではなく、複数の「ノーモア」を込めて唱えることも、「広島からの」暴力や「広島での」暴力を二度と繰り返すな、という誓いを込めることも私たちは可能なのだ。

これは観念的な議論ではない。既に「複数の広島」を、「複数のノーモア・ヒロシマ」を心に刻み、行動した人々は存在するのである。たとえば、1988年にマレーシアから広島を訪れた蕭文虎さんたちである。

文虎さんたちは、広島から来た陸軍第5師団歩兵11連隊の兵士たちに家族を殺され、自らも深い傷を負った。日本の市民団体の招きで広島を訪れた5人は、広島城近くに歩兵11連隊OBが戦後建てた石碑を訪れ、その碑文に一切の反省がなく、自らの武勲を自賛する内容だったことに衝撃を受ける。5人は深く憤り招いた日本の市民団体メンバーに『広島に来なければ良かった』『米国が原爆を落としてくれて良かった』と述べたという。

しかし、その後広島平和資料館を訪れ展示を見た5人は、その後に慰霊碑に花を捧げたのである。彼らの心から歩兵11連隊の碑文に対する憤りが消えたとは考えられない。その憤りを心に抱きつつ、しかしそれでも原爆被害者に向けて花を捧げたのだと思う。彼らの心には侵略軍本拠地の広島と原爆被害地の広島があり、そしてノーモア侵略・虐殺とノーモア核攻撃、それぞれの「ノーモア・ヒロシマ」を心に刻んだ……と、筆者は想像する。

その翌年、広島で被爆し左脚を失う重傷を負った沼田鈴子さん(1923〜2011)は、マレーシアの虐殺現地を訪れ、次のように謝罪する。

「私は虐殺した本人ではありませんが、同じ広島の日本人が行なったことを、深く深くお詫びいたします」。

マレーシアの人々は謝罪した沼田さんの手を握り、心からの感謝を述べたと言う。沼田さんもまた、複数の「ノーモア」を心に刻み、「ノーモア・ヒロシマ」をアップデートし、行動する人だったのである。

今回のパネル展が、広島と出会い直し、広島を語り直す契機になってくれたら、複数の「広島」や「ノーモア・ヒロシマ」を心に刻むきっかけになってくれたら幸いに思う。

【パネル展情報】
日時:2022年8月2日(火)~9日(火)10時~19時
会場 :かながわ県民ホール1階展示室(横浜駅西口徒歩5分・入場無料)
主催:記憶の継承をすすめるかながわの会(電話;090-7405-4276)
後援:神奈川新聞社・東京新聞横浜支局・朝日新聞横浜支局・毎日新聞横浜支局・tvk

 

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植松青児 植松青児

1960年生まれ。雑誌デザイナー、TV局のテロップ校正、百貨店勤務等を経て2018年より雑誌編集者。執筆記事に「アジアの人々と『ノーモア・ヒロシマ』は共有可能か 被爆者・沼田鈴子さんの実践に学ぶ」(「金曜日」2020年7月31日号)、「佐渡金山の世界遺産推薦問題に「歴史戦」とやらの余地はない 朝鮮人労働者への「差別」「強制」の事実は地元の町史にも書かれている」(朝日新聞社言論サイト『論座』2022年2月7日https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022020200002.html)ほか。

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