【特集】ウクライナ危機の本質と背景

ロシアによるウクライナ侵攻問題をどう見るかー哲学的認識論の見地からー(前)

島崎隆

一般マスコミで流布している「ロシア=悪」「プーチン=冷酷な独裁者」というイメージについては、それが大多数であるとしても、その論拠はかならずしも自明で正しいというものでもないように見えるが、さきに出した西谷、浅野らの多くの論者の見解は冷静で説得力をもって、主流派の見解を論駁しようとしている。

主流派は、これら少数派の主張の論拠をじっくりと検討すべきである。同調圧力というのは、いきなり決まりきった結論を当然にも頭から信じ込めと言っているのと同じで、その主張に対する論拠をしっかりと相手に示さないのである。

looking through a magnifying glass at the word Evidence, a business concept. magnifying glass on the white background

 

論理学でいうと、ある主張はそれを支える何らかの論拠とともに成り立っているのであって、いくらその主張を罵倒してもそれだけで倒れるわけではないが、その論拠を否定できれば、その主張はあっという間に崩壊するのである。同調圧力とは、この論拠を問題にさせないものである。

この小論での私の意図は、疑う余地もないほどに、あまりにも圧倒的な力で流布している一般マスコミの見解に対して、一度ここで立ち止まって、より事実に即した深い認識を探求し、できれば再構築することであり、事実を確認しつつ、ウクライナや英米の西側諸国の見解の是非を含めて、さらにロシアやそれに共感する(少なくとも英米の西側に安易に同調しない)中国、インド、中南米、中東の諸国の側にもう少し引き寄せて考えたいということである。

もちろん私は、ロシアやプーチン大統領の立場を全体的に正しいとか、それを崇拝するとかいうつもりはまったくない*5。事態が混迷して事実と真理がどこにあるかわからなくなっている状況で、一度相対主義の立場に立って、あらためて事実を見定め、確認したいのである。私はあくまでも学問の立場から、是々非々で臨みたいと考える。

Relativism written under torn paper.

 

哲学でいう「相対主義」とは、簡単にいえば、多様な見解にもそれぞれ真実性があり、唯一の真理は存在しないという立場である。もしこの立場が正しければ、(唯一の)真実を見極めようという姿勢そのものが無意味になるが、私の意図はあくまでも方法論的に相対主義の立場に立って、それぞれの見解がなぜいかにして根拠のあるものとして成り立ちうるのかを調べることであり、究極的には、その作業を経て唯一の真実に到達したいということである。

だから自分の見解を相対化して、相手の意見の根拠を理解するということが必要となる。これは健全な「懐疑主義」の立場に立つことと同じであろう。

周知のように、近代初期のフランスの哲学者デカルトは、「私は考える、ゆえに私は存在する」(『方法序説』)という命題を立てて、ほかのすべてを疑うことはできても、その疑う主体だけは決して疑うことはできないと考えた。この懐疑して思考する人間のあり方こそ、いま求められているものである。懐疑的精神は、深い真理に到達するための必要条件であろう。

さて、2022年2月下旬に開始されたウクライナ侵攻からすでに半年ほど過ぎて、事態もさまざまに変化・発展してきた。マスコミの論調もある程度変化してきており、政治学者の中島岳志は「論壇時評」4月26日と5月24日の段階でウクライナ問題についてその変化を書いているので、それに触れよう。

中島は侵攻の2か月後にマスコミの論調が変化したという。最初はロシアやプーチン大統領の暴走を非難していたが、段々と情報が詳細になり、ゼレンスキー政権がネオナチの極右と連携してきたこと(この問題自体、議論する価値のあるものだ)、親ロシアの野党の活動を停止したことなどが明らかになり、ウクライナ側も批判される傾向になり、結局どっちもどっちだという論調になってきたという。

だが、どっちもどっち論は危険だという記事も紹介され、今回のロシアの侵攻で欧米中心の国際秩序の脆弱性が露呈した、米・NATO(北太平洋条約機構)中心の一極支配から、米国の弱体化を経て、多極化の時代へと向かってきた、などと指摘される。

たしかに今や世界は米国のほかに、中国、インド、トルコ、イラン、サウジアラビアなどの国々が米国には従属せず、ロシアを中心に多極的構造を形成していると指摘される。

これは妥当な指摘であり、日本としても、単にロシアによる侵略の不当性を批判し、米国に歩調を合わせればそれでいいとはならないだろうし、多極化の時代を迎えて、日本の自主性があらためて求められることだろう6*。

2回目の「論壇時評」*7はさらに進んで、一般マスコミの報道の一面性を訂正しようとして、米国の空軍にもかつて所属した、シカゴ大学政治学のジョン・ミアシャイマー教授の見解に大いに注目する*8。だが中島は自分がプーチン大統領を擁護しているわけではないと断りつつ、彼がヒトラーの再来だなどという見方は間違っていると指摘する。

中島はミアシャイマ―が、今回の戦争の原因を米国をはじめとする西側諸国が進めてきたNATOの東方拡大に求めたと述べる。これはまさに一般マスコミの見解とはまったく逆である。それを推進してきたのが米国のバイデン大統領であり、その傾向をミアシャイマーは「リベラル覇権主義」と名づけたという。

中島はプーチン大統領によるウクライナ侵攻が国際法違反の暴挙であると認めるが、しかし戦争の現実の原因はそこではなく、米国などの「リベラル覇権主義」の思想にあるとする。

こうして、この思想にブレーキをかけるべきだと結論する。この個所はミアシャイマーの紹介として簡単すぎて分かりづらいので、後ほど彼の見解を紹介・検討したい。この見解に注目し、それを継承・発展させようとする論者は多く、これはまさに一般マスコミの論調とはまったく異なるものだ*9。

 

(脚注)

*1:まだ2017年の段階で、私が所属する東京唯物論研究会は機関誌『唯物論』(第91号、2017年)で、特集「真理とデモクラシー――ポスト・トゥルースの時代に」を組んだ。当時はまだ安倍首相や米国のトランプ氏(2017年から大統領職)の発言が話題になる時代だったが、いまやウクライナを一大焦点にして、世界規模で国家、マスコミが情報戦に巻き込まれている状況である。

*2:私は複雑な事態をしっかりと認識するには、哲学が必要だと考える。現時点では、上記の表題に対する哲学からのアプローチはほとんど見られないようである。私の知る限り、小河原誠「『批判する』とはどういうことか」(『世界』2022年6月号)が、K・R・ポパーの批判的合理主義の立場から考察している。私の場合、唯物論的弁証法の立場から考察するので、彼とは異なった立場である。

*3:西谷「新たな『正義の戦争』のリアリティーショー」、『世界』22年5月号、81頁。

*4:浅野「ロシア“悪玉”一色報道の犯罪」、『紙の爆弾』2022年第5号、11頁。

*5:ロシアやプーチン大統領の抱える問題点や誤りについては、客観的に論証され、表に出されることが少ないように思われる。これには、欧米のように、少数意見が尊重されることが少ないということも関わっているだろう。異端的少数派が自立性をもって著作などで意見を公表することがむずかしいと思われる。

なおこの点、塩原『プーチン3.0 殺戮と破壊への衝動』社会評論社、2022年の第二章「プーチンを解剖する」は、プーチン大統領およびその取り巻きが殺害したと推定される人物とそのときの殺害状況を詳細に一覧表で示している。すべて闇のなかの事件であるから、殺害計画の文書でも現存しないと、プーチン大統領がやったとは断定できないが、推定はできる。

政敵のアレクサンドル・リトヴィネンコ氏の場合は、プーチン大統領自身が、KGBを彼が裏切ったと明言しているので、プーチン大統領が指示したと推定できるだろう。塩原は「殺し屋プーチン」と呼んでいる。

*6:東京新聞、2022年4月26日夕刊。

*7:東京新聞、2022年5月24日夕刊。

*8:ミアシャイマー「この戦争の最大の勝利者は中国だ」、『文芸春秋』2022年6月号。

*9:特にエマニュエル・トッド『第三次世界大戦はもう始まっている』大野舞訳、文春新書、2022年は、ミアシャイマーの主張を基本的に継承して、独自の家族人類学のような視点を加えており、ウクライナとロシアの社会を考察するうえでおおいに興味深い。

※以上は、季報『唯物論研究』第161号、2022年所収に掲載済み。

 

◎「ロシアによるウクライナ侵攻問題をどう見るか—哲学的認識論の見地から—(後)」は2月14日に配信します。

ロシアによるウクライナ侵攻問題をどう見るか―哲学的認識論の見地から―(後)

 

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島崎隆 島崎隆

一橋大学経済学部を卒業ののち、群馬県で高校教諭。現在、一橋大学社会学部名誉教授、社会学博士。ヘーゲル、マルクスらのドイツ哲学に関心をもってきたが、日本の学問研究には「哲学」が不足しているという立場から、多様な問題領域を考えてきた。著書として以下のものがある。『ヘーゲル弁証法と近代認識』『ヘーゲル用語事典』『対話の哲学ー議論・レトリック・弁証法』『ポスト・マルクス主義の思想と方法』『ウィーン発の哲学ー文化・教育・思想』『現代を読むための哲学ー宗教・文化・環境・生命・教育』『エコマルクス主義』『《オーストリア哲学》の独自性と哲学者群像』。

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