【特集】ウクライナ危機の本質と背景

本物のテロ国家を見きわめろ!―土地ドロボー国家USAとイスラエルの共犯幻想が、世界に不幸をもたらしている―

佐藤雅彦

ウクライナ政府が「真実」を殺していた最中

イスラエル軍が公然と「真実」の伝え手を殺した

イスラエルは1948年5月14日に「独立宣言」を発して「建国」を果たした。当時、イスラエルを含むパレスチナ地域は英国の委任統治領であったが、英国は「5月15日に委任統治を終了」を宣言していたので、その前日(委任統治の最終日)に敢(あ)えて「建国」したわけで、この“先走り”が、やはり英国領から前年8月15日に分離独立したインドおよびパキスタンとは異なる点だ。

“先走り独立”の翌日には、当時すでに“不当な被占領地”となっていたパレスチナを支援するためにアラブ諸国が軍事結集して「第一次中東戦争」が起きた。

イスラエル「建国」に至る歴史は《シオニズム運動》の発生以来、半世紀にわたる激動の歴史であるが、本質的に、すでに住民が定着していたパレスチナに植民して、最終的にその土地を強奪して「イスラエル国」を強引に建てたという“土地ドロボー”の歴史である。当然、現実の先住民であるパレスチナ人はこれに猛反発して両者の激しい対立と紛争が続いたあげくの一方的な「建国」だったわけだ。

いうまでもなく「ユダヤ人」の歴史は、差別と弾圧に耐えしのいできた歴史であった。その暴虐のクライマックスが、ナチスドイツによる“強制収容所送り”も含めた絶対的に凶暴なユダヤ人排斥政策だったわけである。

連合国によって各地の「強制収容所」が解放され、囚(とら)われていた10万人のユダヤ人を(イスラエルの建国予定地である)パレスチナに移送する英米共同調査委員会の勧告が出たにもかかわらず、英国政府はこれを受け入れず、“委任統治領パレスチナ”への移民制限を緩(ゆる)めなかった。

その結果、シオニスト内部の非合法過激派勢力《ユダヤ民族軍事機構(ハ-イルグン・ハ-ツヴァイ・ハ-レウミー・ベ-エレッツ・イスラエル)》――略称《機構(イルグン)》――がイギリスに対する「独立戦争」を開始した。

ちなみに《イルグン》の創設者である「狼(ゼエブ)」・ジャボチンスキー(生1880~没1940年)は、当時ロシア帝国領だった(現・ウクライナ領)オデッサで生まれ育ったインテリ青年だったが、モルドバで起きたユダヤ人集団虐殺(ポグロム)をきっかけに“集団武装による自衛”を追求するようになり、シオニスト内部の路線対立に揉(も)まれながら、“ヨルダン川の西側”に限局した“ユダヤ民族の郷土(ホームランド)”作りを目指していた従来のシオニズム路線ではなく、“ヨルダン側両岸”に領土拡張した“大ユダヤ国家”の建設をめざす“修正(拡大)シオニズム”路線を突き進むようになり、これが現在の“パレスチナへの移住強行によるパレスチナ領土侵蝕”というイスラエルの“土地ドロボー邁進政策”につながっている。

第二次世界大戦の終戦直後、1946年7月22日には、現地の英国軍司令部や、委任統治事務所などイギリス政府のパレスチナ出先庁舎が入っていたパレスチナの“ダヴィデ王(キング・デイヴィド)ホテル”が《イルグン》の爆破テロに遭(あ)い、死者91名・負傷者46名を出す大惨事となった。

さらに「独立宣言」以前のパレスチナ内戦期に、《イルグン》は“アラブ人追い出し”のための集団襲撃や、エルサレム近郊のデイル・ヤシーン村でのアラブ系(非武装)住民(老若男女)200数十名の無差別虐殺事件(48年4月9日)を起こしてパレスチナのアラブ先住民を「恐怖のどん底」に追い込み、この「恐怖政治(テロリズム)」によってパレスチナの数十万人のアラブ先住民はヨルダンやエジプトに脱出して「パレスチナ難民」となったのである。

この用意周到なテロリズムは「ダレット計画」という冷徹な計算のもとで実施されたわけであり、ドイツ軍ポーランド侵攻の一年ちかく前(1938年11月9~10日)にナチスがドイツ各地で実行した「帝国水晶の夜(ライヒス・クリスタル・ナハト)」――ユダヤ人側はこれを「十一月(ノヴェンバー)ポグロム」と呼んだ――を髣髴(ほうふつ)とさせる。

また「イスラエル独立宣言」が引き金を引いた第一次中東戦争の最中に、《国際連合パレスチナ調停官》に任命されたスウェーデンの外交官フォルケ・ベルナドッテがパレスチナに赴(おもむ)き、紛争解決のため新たな「連邦案」を提案したが、イスラエルとパレスチナの双方から拒絶され、9月17日にイスラエル過激派《イスラエル解放戦士団》(通称「シュテルン・ギャング」あるいは「レヒ」)によって、国連軍将校とともに射殺された。

この事件でイスラエルは国際的に非難の的となり、さすがに事件の3日後、イスラエル政府は「反テロ法」を拵(こし)らえて《レヒ》や《イルグン》を非合法化したが、暗殺犯は事件から5ヶ月も経たぬうちに政府から大赦を受け、1980年には《レヒ》の元メンバーのみ着けることを許された「レヒ・リボン勲章」が作られて、この過激派集団は公式に栄誉を受けて現在に至っている。

「イスラエル」はヘブライ語で「神と闘う人」(旧約聖書ホセア書・12章の4)という意味であるが、古代の「民族」神話をひたすら信じて、現に多くのアラブ人が住むパレスチナの土地をテロリズムと戦争で強奪して、そこに「民族国家(ネイション・ステイト)」を建てて、その領土を不法植民によって拡大し続けている。

この領土拡大のテロリズムは、極右《リクード党》のネタニエフ政権になって格段に加速したわけだが、世界的“賭博(カジノ)”企業ラスベガス・サンズ社の創立者&CEOだったシェルドン・アデルソン(2021年1月死去)は、“ユダヤ人の御法度”である賭博で稼(かせ)いだ莫大(ばくだい)な“テラ銭”を北米やイスラエルのシオニズム運動と《リクード党》などに注入してきたのである。

2014年には「日本で賭場を開かせてくれたら一兆円投資する用意がある」と豪語してアベ総理をその気にさせて、アベは“賭場の誘致”をアベノミクスの目玉に据えたほどだったが、アデルソンはコロナ騒動のさなかに死んで、黄金の夢も灰と化した。

パレスチナ問題をていねいに追いかけて報道し続けているのは、カタールに本拠を置く《アル・ジャズィーラ》放送である。イスラエル軍は――ということは政府も当然関与しているわけだが――この「真実の伝達者」の口を封じようとして、執拗(しつよう)にテロリズムを仕掛けてきた。「イスラエル建国」記念日の5月14日の前後には、パレスチナでもイスラエルでも暴動が起きかねない不穏(ふおん)な日々が続く。

昨年はこの前後にイスラエル軍がガザ市内を数日間にわたって空爆したが、5月15日に、《アル・ジャズィーラ》や《AP通信》などの報道機関や、診療所や法律事務所などがテナント入居している高層マンションビルが空爆されて、瓦礫(がれき)の山と化した。

爆撃の直前(1時間前)にイスラエル諜報機関から電話で爆撃予告が入り、大急ぎで避難したので死者は出なかったが、報道機関は多くの情報資産を失った。

イスラエル軍はこの報道ビルを攻撃した理由として「過激派組織ハマスが報道人たちを“人質”にする形で活動拠点にしているので、それを駆逐するためだ」と発表したが、“空爆週間”のさなかで一般店舗は閉め切っており、「過激派集団」が集うスペースなど皆無である。どうみても無茶な理由づけだったわけで、単刀直入なテロリズムは「デイヴィド王ホテル爆破事件」の頃と同じなのであった。

そして今年の5月11日、《アル・ジャズィーラ》のベテラン放送記者であるシュリーン・アブー・アクレー(Shireen Abu Akleh/1971年4月3日生)がヨルダン川西岸地域(ウエストバンク)の北端ジェニン市内のパレスチナ難民キャンプ付近で、イスラエル国防軍の活動を取材中に、頭部に銃弾を撃ち込まれて即死した。彼女の他にも、ディレクターの男性が被弾して、死にはしなかったが重傷を負った。

生前のシュリーン・アブー・アクレー記者

 

銃撃直後。シュリーン記者(左)はその場に倒れ、同僚の女性記者(右)は無事だったが恐怖で身動きがとれない。

 

イスラエル軍が“武装集団狩り”をするというので記者たちは無論、「報道(PRESS)」と大書きした青色の防弾ベストとヘルメットを着用していた。

事件の直後にイスラエル軍は「記者は武装集団との銃撃中の流れ弾にあたった」と発表していたが、それらしい不審者は周辺に存在していなかった。つまり単刀直入に、パレスチナ取材経験25年の、中東世界で最も有名なジャーナリストを狙撃したわけである。

世界的なジャーナリスト団体が挙(こぞ)ってイスラエル政府に真相調査を要求しているが、同政府は調査する意向さえ示していない。シュリーンはエルサレムで生まれたアラブ系のカトリック教徒だが、米国で育ちアメリカ国籍も有している。つまり「米国人」がパレスチナで仕事中に、イスラエル軍に虐殺されたわけで、合衆国の国益にかかわる重大事件なのに、バイデン政権は“イラン封じ”のためのイスラエルとの軍事提携工作に夢中で、“イスラエルの善意”に任(まか)せたきり、自(みづか)ら調査に乗り出す気配がない。

その肝心のイスラエル政府は、極右ネタニエフを封じ込めるために無理して連立した政権であるが、すでに分裂して機能不全に陥(おちい)っている。いわばイスラエルは、妄信的シオニストが暴走するばかりの「破綻国家」に等しい。

 

・“原罪を背負うイスラエルと米国の

共犯幻想と開き直りが、世界を不幸にする

いま私は「妄信的シオニスト」という強い表現を用いたが、実際、ユダヤ人の神話的な歴史と「民族の郷土」を求めるシオニズムの根拠を、科学的に吟味してゆくと、願望と妄信の“熱病”で鋳造された危(あや)うい幻想だったと結論づけるほかない(参考文献を参照)

米国はイスラエルのほとんど唯一の「庇護者」であり「心の友」だったわけだが(なにしろパレスチナ侵犯を咎(とが)める国連決議に、イスラエルとともに一貫して反対してきたのが米国だったのだ)、その理由は恐らく「ユダヤロビーが米国政界を飼い慣らしてきた」とか「ユダヤ系金融機関が米国経済界を牛耳ってきたから」といったカネ勘定の問題だけではあるまい。

米国は、さまざまな理由で祖国を逃れ、あるいは祖国を棄てた人々が、先住民の住んでいた大陸を強奪して住み着いた植民国家である。イスラエルは自(みづか)らを「ユダヤ教徒」「アブラハムの直系子孫」だと信じる人々が世界中からパレスチナに移入し、その地の“現実の先住民”から土地を強奪して住み着いた植民国家である。

どちらも元来は「民族国家(ゲマインシャフト)」ではなく「理念の共同体(ゲゼルシャフト)」であり、国家存立の根源には、先住民を虐殺して土地を盗んだ“原罪”が隠しようもなく存在している。(もっとも、「民族国家」自体がすでにその大きすぎる規模からいって「生まれ故郷の顔見知りの共同体(ゲマインシャフト)」ではなく、「民族」幻想に囚(とら)われた「想像の共同体」にすぎないわけだが)。

“原罪”を贖(あがな)うには米国もイスラエルもいったん国を廃絶するしかないわけだが、それは不可能なわけで、開きなおって“自己正当化”に突き進むしかない。考えてみれば、「虐(しいた)げられた人々が作った特殊な国家」ということ自体、不憫(ふびん)な話なのだが、その“原罪”を拡大する方向に暴走しつづければ、周囲はもっと不幸で不憫なのである。

【参考文献】

『ユダヤ人の起源:歴史はどのように創作されたか』

       (シュロモー・サンド著、高橋武智(たけとも)・佐々木康之(やすゆき)・木村高子訳、ちくま学術文庫、2017年)。

『定本 想像の共同体:ナショナリズムの起源と流行』

       (ベネディクト・アンダーソン著、白石隆(たかし)・白石さや訳、書籍工房早山、2007年)。

(月刊「紙の爆弾」2022年8月号より)

 

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佐藤雅彦 佐藤雅彦

筑波大学で喧嘩を学び、新聞記者や雑誌編集者を経て翻訳・ジャーナリズムに携わる。著書『もうひとつの憲法読本―新たな自由民権のために』等多数。

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