【特集】沖縄の日本復帰50周年を問い直す

日本復帰50年、沖縄問題は人権問題─今も続く日米の植民地主義と沖縄の自己決定権─(後)

新垣毅

6.愁眉の沖縄問題と日本の危機

沖縄では米軍絡みの事件事故が起きる度に、日米政府と沖縄県が対峙する局面が繰り返されてきた。1995年に米兵による少女輪姦事件が起きて以降は、その対立が顕著だ。沖縄県と日本政府の対立は、裁判闘争にまで発展、歴代の大田昌秀知事や翁長前知事、玉城現知事も裁判で争い、現在も続いている。現在は辺野古新基地建設を巡る問題が中心だ。

裁判で沖縄県が主張してきたのは、主に憲法や地方自治法が定める自らの権利の尊重である。しかし、司法は決まって、県の主張を退けてきた。憲法や地方自治よりも、日米安保が上位にあるかのような判断である。法学者の間には「沖縄は憲法番外地だ」と政府や司法への批判を込めた見解もある。

こうした中、今、非常に気になっている動きがある。それは、沖縄に攻撃型ミサイルを配備しようとする動きだ。私は2019年9月、ロシアのモスクワで、ある情報と出合い、琉球新報の1面トップで報じた。米国が2年以内に新型の中距離弾道ミサイルを北海道から沖縄までを対象に大量配備する計画があるというものだ。ロシア大統領府関係者が証言した。水面下の情報交換で米政府関係者から伝えられたという。

新型ミサイルは、核弾頭が搭載可能で、最低でも広島に投下された原爆級の威力がある。中短距離ミサイルはいったん打ち合えば、十数分で標的に到達するため迎撃が困難だ。あまりにも犠牲が大きすぎるため、1987年に当時のゴルバチョフソ連共産党書記長とレーガン米大統領の間で廃棄条約(INF廃棄条約)が締結された経緯がある。その条約が2019年8月2日に破棄された。

Nuclear missiles and Russian flag in background. 3D rendered illustration.

 

背景には、軍事的に台頭してきた中国を含む、いわゆる「新冷戦」と呼ばれる状況がある。

新型ミサイルが日本に配備されれば、唯一の被爆国が核戦争の最前線に置かれることになる。日本は核兵器を持たず、造らず、持ち込ませずという非核三原則を国是としている。このため米国は「核弾頭は搭載しない」と言って説得を試みるだろう。しかし米国は核兵器の所在を明らかにしない政策を取っているので、どこに持ち込んでも公表しない。

日米地位協定など現行の日米関係では、日本側は在日米軍施設に核兵器が持ち込まれても査察や検証する意思もすべもない。北朝鮮や中国などと米国の間で緊張が高まれば、秘密裏に持ち込まれる可能性は拭えないし、それを検証すらできない。このためいったん、新型ミサイルが配備されたら、非核三原則は事実上、崩壊する。

日本にある米軍専用施設の7割が集中する沖縄は、配備先として筆頭に米国が挙げているとロシア大統領府関係者は強調した。

沖縄は1972年に日本へ復帰する前、米国の核が1300発も配備され、東西冷戦の最前線に置かれていた。新型ミサイルが配備されれば、当時の状況に逆戻りし、北朝鮮やロシア、中国などの核ミサイルが向けられ、有事が起これば、1945年の沖縄戦と比較にならない犠牲を強いられる恐れがある。

Chinese flag shining through a sunny blue sky background and 3 missiles starting from the right

 

一方、日本では、政府が地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」計画を撤回し、それに代わるミサイル防衛論議を始めて以来、敵基地攻撃能力を持つかどうかが盛んに議論されている。

この能力は、敵のミサイル発射拠点などを直接破壊できる兵器の保有を意味する。この議論と、米国が目指す新型中距離ミサイル配備は親和性が強い。米国の計画を呼び込むためにアショアを断念したと疑いたくなる。

米国にとってはまさに「渡りに船」だ。米国は既に沖縄からフィリピンを結ぶ「第1列島線」に中距離弾道ミサイルを配備するための予算を計上するなど配備計画を進める姿勢だ。

敵基地攻撃能力の保有を決めれば、日本の安全保障政策は大きく変わる。防衛政策の根幹である専守防衛の原則が形骸化するからだ。政府はこれまで保有は憲法上、許されるとする。

しかし9条をはじめとする憲法の理念から明らかに逸脱する。専守防衛は、アジア太平洋戦争で周辺諸国に多くの犠牲を強いた日本が過ちを繰り返さないというメッセージにもなってきた。この姿勢を放棄することにもなる。

注意すべきはミサイル戦争を巡る日米の運命共同体化である。日本が盾、米国が矛を担う従来の役割分担は、攻撃能力を保有すれば日本が矛に合流する。

米国の狙いは、中国包囲とロシアへの対抗だ。当然、それを知っている中ロは、核弾頭を搭載できる短・中距離ミサイルを既存の米軍の施設や新型ミサイル施設に向ける。攻撃型ミサイルの配備は、日本列島が核戦争の最前線に置かれることを意味する。

先述したように、日本は在日米軍に対し核査察の意思や能力を欠いている。日本政府が米国の言葉を信じても中ロは信じない。日本は間違いなく標的にされる。

新冷戦下での敵基地攻撃能力保有は、「抑止力」や「防衛」の名の下で米核戦略の一翼を担うことを意味する。国民の命を米国の手の中に委ねるのと同義だ。本当にそれでいいのかが、日本国民全体に問われている。

7.「人間の安全保障」と対米自立

現在の日米関係や米中関係など世界情勢を見ると、真の意味での「政治」が不在である。新型コロナウイルスによる未曽有のパンデミックにより、世界人類が疲弊し、不安に包まれている中、政治に求められているのは、対立ではなく協調だ。

コロナ禍は、一人一人の人間の心理に影を落とし、不寛容がはびこり、それが差別や排外主義につながる恐れがある。コロナに打ち勝つとは、単にワクチンや治療薬の開発に限らない。人々や各地域、国々の利害対立を乗り越え、戦争や紛争、衝突を回避するために連帯することをも意味すると考える。

前述した、米ソ冷戦を終結に導いた立役者であるミハエル・ゴルバチョフ氏は、こうした問題意識から、「真の政治」を求めて、「人間の安全保障」という理念の旗の下に世界の人々が連帯・団結するよう呼び掛けている。それを世界に発信する拠点として、沖縄を指名した。彼は沖縄に3度訪問した経験があり、沖縄の歴史や現状をよく理解している。

ゴルバチョフ氏の呼び掛けの下、世界の有力者が沖縄に集い、「人間の安全保障」を叫ぶことになる。「人間の安全保障」とは、軍事による安全保障ではなく、人々の命や人権が最優先に保障されるという考え方だ。

テーマは、貧困や差別、格差、気候変動、軍縮など多岐にわたる。これらのテーマが沖縄で議論され、世界に発信されるようになれば、沖縄で起きている不条理、すなわち軍事基地による命や人権の侵害、自然環境破壊が可視化・顕在化されるはずだ。

これまで、日本が、対米従属のつけ(リスク)を日本本土から離れた沖縄に集中させ、国民の目から沖縄問題を見えにくくしていた構図が一気に崩れる可能性がある。そうなれば、沖縄問題が実は軍事的安全保障の問題ではなく、人権問題であることが世界に認知されるだろう。

日本が米国から自立できるかどうかは、日本の国民や政治家、知識人、ジャーナリストらがまずはそれに気付き、沖縄問題の解決に真剣に取り組むことがその第一歩だ。

日本政府が「人間の安全保障」をテーマにして向き合い、核軍縮の枠組みに参加し、米中対立の緩衝地帯の役割を果たせるよう紛争回避の道を開く「真の政治」を実践するなら、おのずと対米自立へとかじを切らざるを得ないだろう。そうなることを日本復帰50年を迎えた沖縄から願っている。

※「日本復帰50年、沖縄問題は人権問題─今も続く日米の植民地主義と沖縄の自己決定権─(前)」はこちらから

https://isfweb.org/post-2503/

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新垣毅 新垣毅

琉球新報社編集局次長兼報道本部長兼論説副委員長。沖縄県生まれ。琉球大学卒、法政大学大学院修了。沖縄の自己決定権を問う一連のキャンペーン報道で2015年に「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」を受賞。

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