東アジア共同体形成の意義と課題をめぐる考察 ―木村朗氏との対話を手掛かりに―(上)

西原和久

そしてさらに、2016年には、「東アジア共同体・沖縄(琉球)研究会」(発足当時の共同代表は木村朗と高良鉄美:以下では「研究会」と略記)の発足という動きが続く。

なお、こうした動きに加えて、北東アジア連帯への志向をも伴ったかたちの、脱国家的志向をもち、平和(非戦)のための憲法案、すなわち川満信一の「琉球共和社会憲法C私(試)案」(初出は1981年)を柱とする複数の琉球憲法案の2010年代の復活と提示という流れもある(川満 2010、川満・仲里編2014)。

それらの憲法案のいずれもが、沖縄戦の悲惨さを踏まえた反戦平和思想とアジア/世界との連携を模索する私案であるが(9)、2010年代は、こうした琉球独立論、東アジア共同体論、そして琉球共和社会憲法私案といった興味深い議論が再活性化しはじめた時期であるということができる。

さらに付け加えておけば、これらと歩調を合わせるかのようにして、日米間の密約問題をも含む沖縄基地問題の研究と日本の対米従属批判の流れ、たとえば2011年からの矢部宏治の著作活動(たとえば、矢部 2011, 2017)や孫崎享の戦後史(孫崎 2012)や白井聡の永続敗戦論(白井 2013)などの登場と、それ以降、本土側からも沖縄差別を含む興味深い議論の流れなどがある。

そこで、こうした状況で2010年代を経た現在の2020年代に問われるべきことは、いったい何であろうか。以下では、この点を考えてみたい。それは、結論を先取りして端的にいえば、理論的=実践的な課題としての、「東アジア」の連帯に向けた具体的な指針ではないだろうか。

とはいえ、東アジアの連帯は日本からのみ志向できるわけではない。東アジアの他の人びとの立ち位置を考える必要がある。そのために、ここで東アジアは(北)東アジアの人びとにとって、東アジアはどういう視点で眼差されているのだろうかという点をまず見ておきたい。

中国や東アジアの研究者の韓国歴史家・白永瑞(Baik Yeong-Seo)は、韓国知識人の植民地関連の課題意識から発して、分断問題(南北朝鮮、中国/台湾、沖縄/日本)と(旧)帝国日本批判を踏まえた東アジア共同体への志向の表明しながらも、果たして中国には「東アジア」という視点はあるのだろうかと問う(白 2016)。他方、現代中国を論じる中国人研究者の徐涛(Xu Tao)は、1990年代を中心に中国外交における「東アジア」の「発見」を語る(徐 2018a,b)。

こうした言説からは、ひとまとまりとしての(北)東アジアへの着目は、戦後において、比較的最近のことといえるように思われる。そこで、「北東」アジアを中心とする東アジア共同体(East Asian Community: EAC)論への道の現代国際政治史的な背景を再度確認してみると、北東アジアにとって1992年の中韓国交回復がきわめて重要な外交上の政治的出来事であり、さらに1994年のASEAN地域フォーラム(ARF)への中国参加も東アジアを考える上では大きな転換点であったと思われる。

そうした背景のもとで、1997年にはASEAN+3(日中韓)の会合が開かれたのである。21世紀に入ってからは、そのなかの東アジア・ヴィジョン・グループ(EAVG)による2002年の報告書で「東アジア共同体」(EAC)構想が明記され、そしてさらに2003年の韓国の盧武鉉(No Muhyon)大統領による東北アジア共同体への「視野拡大」も打ち出されて(盧 2003)、現実政治的にも一気に北東アジアでEACへの着目の機運が高まったように思われる。

そのあたりで、中国では、孫歌(Sun Ge)の著作活動によって、東アジアへの視線と中国における課題意識が明確になってくる(孫ほか 2006, 孫 2008)。さらに台湾においても、陳光興(Chen Kuan-Hsing)の「脱帝国」論の研究が注目に値する(陳 2011)。こうして2010年前後から、北東アジアにおいて(北)東アジアがひとまとまりのものとして実際に意識されるようになってきたのではないだろうか。

このような時期に、日本では上述のように、論壇で森嶋をはじめとする動きが生じていたのである。繰り返しになる部分もあるが、その間の経緯をあらためて簡潔に振り返っておこう。21世紀に入って、森嶋通夫は――実は1997年に森嶋が中国で提唱したのだが――沖縄を首府とする東アジア共同体の設立を提案する著作を日本で刊行する(森嶋 2001)。

その後は、姜尚中や和田春樹が韓半島を強く意識して「東北アジア共同の家」構想を展開し(姜 2001、和田 2003)、谷口誠や進藤榮一も「東アジア共同体」に関する新書を刊行した(谷口 2004、進藤 2007)。さらに2010年代に入ってからは、鳩山政権の崩壊などによって政治的なEAC構想が頓挫するなかで、あらためて上述の2つの研究グループの流れである東アジア共同体研究が日本においても本格化したのである。

そこで、ここでは上述の2つの研究グループのうち、後者の「東アジア共同体 琉球(沖縄)研究会」(「研究会」)の組織化に着目してみたい。というのも、この「研究会」に多くの東アジア共同体研究者が集っているからである。2016年に発足した「研究会」の最初の共同代表は、木村朗(当時、鹿児島大学教授、後述参照)と高良鉄美(当時は琉球大学教授、その後はオール沖縄系の国会議員となる)、現在の共同代表は木村朗と島袋純(琉球大学教授)である。

ここでは明らかに、沖縄・琉球が一つの焦点となっていることがよくわかる。その活動内容を後に示すが、少なくとも「研究会」に関しては、終始、木村朗が中心的なリーダーの一人としてその活動を強力に推し進めてきたし、木村氏はまた東アジア研究所(「研究所」)との関係も浅からぬものがある(10)。

そして重要なこととして、この「研究会」の活動グループが、未来展望として、どのような方向性を考えているかという点に目を向けたいと思う。それは本稿の一つの目的でもあるからだが、同時にこのグループの中心メンバーで、かつ推進役でもある、木村朗氏個人が、東アジア共同体形成への具体的な道筋を考え始めていると思われるからである。そこで、彼の活動に着目することが大いに意味があると筆者は考えるので、さっそくその着目内容について、立ち入って検討していきたい。

〇注
(1)筆者は1980年代初めに『存在と意味』第1巻を上梓した廣松と個人的に知り合うことができ、1980年代半ばからは廣松主催の「社会思想史研究会」に参加しており、そのことから彼の著作の書評を書き、かつ共同作業も進めていた。その成果の一端が、1991年に青土社からほぼ同時に刊行した廣松渉『現象学的社会学の祖型』と西原和久編『現象学的社会学の展開』であった。その後、注(2)でみるように『存在と意味』第2巻の20枚書評を書いた後に、この記事に接することとなったのである。なお、廣松との交流の様子および東アジアとの関係については、拙稿「廣松渉と―東アジアと―社会学」(西原 2007)参照。

(2)『存在と意味』第2巻に関する『図書新聞』の筆者の書評を参照(西原 1994)。

(3)これは、白井聡の言葉である(白井 2016)。

(4)中国や北朝鮮の脅威論に対する考察は、進藤・木村(2017)を参照されたい。なお、近年では、EU離脱後の英国の「グローバル・ブリテン」構想や仏豪をも巻き込んだ日米軍事演習も展開されている。こうした点も、当然念頭に置いておくべきことであろう。

(5)筆者はこれまで社会思想的なスタンスから東アジア共同体に関して著書や内外での論文・講演などで考察を深めてきた(Nishihara 2019a,b)。今回は、これらを踏まえつつ、さらに一歩進める議論を試みたいと思う。なお、本稿が掲載された『21世紀東アジア社会学』第11号の特集論文である河野道夫論文や森川裕二論文もぜひ参照されたい。

(6)たとえば、筆者は拙著『トランスナショナリズム論序説』の第10章末尾で(西原 2018:323)で、三木の東亜共同体論に言及している。

(7)ここでいう北東アジアとは、日中韓だけでなく、いわゆる北朝鮮や台湾、あるいは北では極東ロシア、モンゴル、南ではフィリピン、ベトナムなども、歴史的な経緯のみならず、東アジアの海側にあって、海で繋がる領域を視野に入れる可能性のあることを記しておく。なお廣松が用いた「東北」アジアという用語法は、日本の東北地方、中国東北部(旧満州)などとの混同を避ける意味で使用せず、ここでは「北東」アジアという語を用いる。

(8)本文を含めた以下の記述は、吉林大学での筆者の講演原稿に依拠している。そこで示したのは、次の点である。すなわち、必ずしも専門書だけではなく、Amazonで一般に入手可能で、「東アジア共同体」の文字が主題・副題に入った著作(単行本)を、筆者なりにカウントしてみると、20世紀にはほとんどそうした著作がなかったといえる状況が、21世紀の2005~2011年の7年間に32冊、および2013~2019年の6年間に22冊という数値をしめす状況になっている。つまり、大きな流れとしては、21世紀の00年代の後半、および10年代の後半に、「東アジア共同体」に関する著作が数多く刊行されていることがわかる(西原 2019)。

(9)この川満の憲法案に関しては、その生成過程をも論じた筆者の川満論がある(西原 2020)。参照いただけると幸いである。

(10)木村氏は、研究所の鳩山理事長との対談や共著も多い。最近の対談としては、『株式会社化する日本』(内田ほか 2019)や『沖縄を平和の要石に1』(東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター編 2020)といった文献を参照されたい。

※なお、本稿は日中社会学会の学会誌『21世紀東アジア社会学』第11号に掲載された拙稿を、求めに応じて転載したものである。転載に当たっては、日中社会学会の了解を得、かつ2021年9月に一部改訂した拙稿を含む『21世紀東アジア社会学 第11号 別刷特集冊子』版を基にして、明らかな誤植を3か所だけ直し、かつ『東アジア共同体・沖縄(琉球)研究』用に追加情報を1箇所だけ書き加えた(注(15))。なお、その注で示した諸論稿を含めた『21世紀東アジア社会学』はJ-Stageにアップされているオンライン・ジャーナルで読むことができることを付け加えておく。

◎「東アジア共同体形成の意義と課題をめぐる考察 ―木村朗氏との対話を手掛かりに―(中)」は6月15日に掲載します。

https://isfweb.org/post-4253/

 

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西原和久 西原和久

砂川平和ひろばメンバー:砂川平和しみんゼミナール担当、平和社会学研究会・平和社会学研究センター(準備会)代表、名古屋大学名誉教授、成城大学名誉教授、南京大学客員教授。著書に『トランスナショナリズム序説―移民・沖縄・国家』、新泉社、2018年、などがある。

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